ちょっと生きるとは何か考えるお話 パート2

810.5:605:457:500:378:chikyuu3:center:1:1:愛は地球を救う! ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
中越沖地震、お悔やみ申し上げます。
ここキプロスに移住する前に日本へ旦那と一緒に旅行した時に、東京に滞在中にどうしても日本海の夕日が見たくて片道3時間をかけて日帰りで新潟に行ったことがある。その同じ年に新潟で大洪水、大地震が起きた。そして、おととしの東京での地震、今年の能登半島地震も相次いで来ている。飢餓で苦しんでいるアフリカ、黒いダイヤモンドと呼ばれている石油を奪い取る為に戦い続けている中近東。人事ではすまされない、日本は平和という意味ではまだまだ平和ボケしている人もいるだろうから、平和であろうが、天災は避けれないだろう・・・。
台風の被害も多かった次の日に地震・・・。
神様が何かを私たちに告げていることは確かだろう・・・。
祈りましょう! 明日の日本時間20時11分
さて、続きを書くかどうか考えました。今、書いておかないとどうも今年中に書けないと思いました。少し綴ってみます。
ここ最近はマスメディアの影響で人々を不安にさせる出来事を目や耳を通じて見たり、聞いたりしていることでしょう。さらには家族や友達との話題も今後の悩みや不安が多いと思います。
日本や他の国での資本主義の国であれば、少なからず平等というカテゴリーにはめ込むことは無理難題でしょう。
私たちは生きているだけで他人の力を借りないと生きていけないのです。
つまり、生きているだけで他者に迷惑をかけていることになるのです。
迷惑をかけずには生きていけないのです。
人間一人が生きていることで、それだけ地球の酸素が減少するでしょう。
会社でも学校でも枠の中で決まれた定員以上に人を増やせず、受験で合格者が5人と決められていれば、5人だけが合格し、不合格者は涙をのみ、その後の進路を考えて生きていく必要があるでしょう。
会社でも部長というポジションにつくことが出来なければ、平社員でいるか、転職するか、努力して部長になるしかないでしょう。
それが競争社会の本音でしょう。
つまり社会全体が椅子とりゲームに参加していることになります。
競争社会にいる限り、ひとつしかない椅子に一人以上の人達がその椅子欲しさに競争しているのです。その時点でお互い迷惑をかけて生きているのです。
人が多い場所に住んでいると、お互い様なんです。
私たち人間は、生きているだけで迷惑をかけているのです。自分だけは違うという人はいないでしょう。この暑さでエアコン、扇風機をつけていない人もいないでしょう。洗濯物を手で洗う人は最近では先進国では稀でしょう。ガスや電気代を払っているから、電気もガスもつけ放題という人もまだまだいるでしょうが、地球の酸素を減らしているのです。
自分は他人に迷惑をかけている。それを他者に許されて生きているのがわたしたち人間なんです。だから、他者から受ける迷惑も耐える必要があるのです。
仏教では、他人から受ける迷惑にじっと耐え忍ぶことを「忍辱」(仏語。六波羅蜜の第三。侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。)という言葉があります。
忍辱は大乗仏教の大事な修業です。仏教では他人に迷惑をかけることは教えていません。迷惑をかけないで生きれるなら迷惑をかけないほうが良いでしょうが、そんなに簡単に他者に迷惑をかけないで生きれるならどんなに楽でしょうか。
話は食べ物に変化しますが、20年前にグルメで大金を散財した方達も今ではオーガニックの食品や日本食や手作りの食材を食べる方達が多くなりました。
日本では禅の影響で食事を頂く前に「いただきます」と言いますね。その「いただきます」という言葉の意味の中には、その意味は、「あなたの命を、私の命に変えさせて頂きます。」という意味があるそうです。他のサイトで書いておりますので、少し省略します。
では、仏教の不殺生戒を考えてみましょう。
意味は生き物を殺してはいけませんという意味です。
殺してもいい殺さなくても良い、どちらでも良い場合は、人や動物を殺す人はいないでしょう。
鎌倉時代は武士社会に変化して行きました。公家と武士の戦いの中で、さらに人々は飢えで苦しみ、天変地異で怯え苦しみました。その時代に輪廻転生していらっしゃる道元師、法然師、日蓮師、親鸞師などがいますが、法然師は念仏を唱えることであの世に行けると庶民に伝道しておりました。
殺しても殺さなくても良いなら、仏のこころを持って生まれた人間すべてが人や動物を殺すことがないでしょう。わざわざ人を殺す人は正気ではないでしょう。正気な人が人を殺すことで、そこでこの世でカルマが出来ます。そのカルマはその人の心を脅かし、何をしても、寝ていても、その映像が浮かんで来るでしょう。
では、どうして生き物を殺すのでしょうか、大抵はその因縁の星の下に生まれていることになります。
人の命を奪わなくても、生き物の命を奪っているのです。
今日、あなたは焼き鳥を食べましたか、タマゴを食べましたか。
リンゴ、にんじん、たまねぎを食べましたか。
人間で生きている際に、空気だけ食べているという人は皆無に近いでしょう。
キリスト、お釈迦様でさえも、何かしら口に食物を入れて生きておりました。
ですから、凡人であるほとんどの人達は食べなければ生きていけません。
私たちは生き物の命を奪っているのです。不殺生戒をしているのです。
いや、私はそんなことはしていない、犯していない。
他人が殺したものを買って食べているという人がいても、それでも間接的に誰かの手で殺した後にカツどんを食べていることになります。
でも、私たち人間は何かしら食べないと生きて行けません。
そういう意味でも、他人に迷惑をかけているのです。
小さな迷惑でも、大きな迷惑でも、動物、植物やミネラルが存在している地球に負担をかけて生きているのです。
これからは少しその地球に住む動物、植物や人間にも負担を軽くしてあげる為にも明日のイベントにて地球に感謝しましょう。
良い想念で私たちの母体である地球に感謝することで、多くの人が生きるとは、これからの精神面での意識改革に繋がることでしょう。
そして、良い想念は必ず、現世でなく来世にあなたを含めるこの地球人へ良い波動として返って来ます。

では、明日、時空を越えてお会いしましょう!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

パート3も機会があれば・・・。 ^-^
18.7:350:215:0:0:fuji:center:1:1:祖国ニッポンを大事にしましょう。ありがとうございます。: