真理の体感

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こんにちは!
霊能ブームと思える風潮の中で精神世界の本を読み漁ったり、さらに、ワークショップに通ったりするのも最初の段階では必要であろう。しかし、追求すればするほど、この真理の探究とは非常にしんどいものだと分かるだろう。
多くの霊能者たちがだいたい孤独な幼少期を過ごしている。
この孤独な幼少期にも理由があるだろう。
人間が見えないモノが見えたり、感じたりすることで大人で心霊の世界を信じない人達が家族にいたりすると、この子はおかしい?のではと思い精神科の病院に連れて行かれていた時代が日本でもあったはずだ。
しかし、ここ最近の日本のスピリチュアル・ブームで逆に人間が見えないモノが見えるから、すごいと思う人達の感性から「前世占い」「前世療法」「ソウルメイト」「スピリチュアル」という言葉の方が先に歩いている様な気もする。
どこの女性雑誌もトレンディーなファッション誌までも、このスピリチュアルな特集を組むと雑誌や本が売れるというほど爆発的な人気だ。それはそれで良いとも悪いとも言えない。
しかし、スピリチュアリティとはそんなに簡単に理解できるものではないだろう。わたしもメルマガ、ブログと何回も似たりよったりの霊的な事柄を簡単に書いたり、難しく書いたりしている。
スピリチュアリストと言っている人達でさえも物質重視で来ている人達も多い。
日本人は戦後60年経った今でも、欧米諸国の文化からの教えの方が日本の禅よりも神道よりも素晴らしいと思う人達も少なくないだろう。わたしは海外生活20年以上だが、神道、仏教の教えの方が肌に合うとも言える。
今、キリスト教でも正教と呼ばれる古い歴史の国にいる。
キリストの十字架の一部も保管している教会もある国だ。
歴史的には日本人はあまり馴染みがないが、9000年の歴史がある国にいるが、祖母が神道信仰者だったので、そのお陰で多くの知識を学んだ。しかし、学べは学ぶほど霊的な真理の探究は終わりがない。
そして、多く学んだからと言って誰かに褒めてもらえるものでない。
一時期、この真理の探究をしているときに、「悟り」たいと願ったことがある。友達の霊能者たちもわたしには十分その素質があるだろうから、早く悟った方が良いと言われたが、私にはその時期でないと分かっていた。
釈迦でさえも葛藤に、葛藤を重ねて苦行も行い、断食も行い、死にそうになったり、気が狂いそうになって初めて、真理の体感を得た。
わたしが尊敬する道元師でも、中国での修行は言葉では言表せないほどの努力が必要だった。
だから、わたしみたいな凡人が若くして悟れるはずがないのである。
悟りたいと願う気持ちも物質的価値観だと気付いた。
それ以降は焦ることもなく、中道で修行して行きながらその時期が来れば、なるようになるだろうと思う。
お釈迦様がいう「悟りを開く」とはエベレスト山の高さを平らにしてゼロにするまでに一羽の鳥がハンカチで山の天辺を行き来しながら擦って行くぐらい大変だそうだ。
大変だからと言って何もしないのでは、真理の体感も得られないであろう。
では、この真理の体感はどうすれば得られるのか?となるであろう。
仏教的に言うと、「今を大事に生きるであろう。」今を大事に生きることで「自分を知ることが出来る。」だろうが、言葉では簡単に「大事に生きろ「とか「自分を知る」ということは、容易ではない。
自分を知るには時間が必要だ。インドも日本もチベット、そして、流行のスピリチュアリズムの国でも瞑想を薦めている。
私も瞑想を多くの方にして貰いたいと願っている。
瞑想をすることで、真理の体感が味わえるだろう。
1日3分で良いから、プチ・瞑想をすることで「こころと身体を整え、自己を見つめ直すこと」が出来るだろう。
読んで頂き、ありがとうございます。
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