先祖供養と仏教 イン ジャパン

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こんにちは〜!
山は鳥達の声、春風のささやき、カラフルな花が至るところで絵の具道具を散らばらしたほどの美しさはこの世にいながら、極楽浄土気分になれました。
月曜日は村にもあまり人がいず、自然と沢山戯れて来ました。
あぁ〜!生きていて良かったと実感出来ました。 ^−^

さてさて、今の時期はご先祖様を敬うお彼岸の季節ですねぇ〜!
でも、意外と知らないと思うのですが、この「先祖供養」はインド仏教では教えていないのです。この先祖供養の教えはお釈迦様の教えでないのです。
私たち日本人の多くは勘違いしているのです。
お盆もお墓参りも、仏教の習慣だと信じているでしょうが、お釈迦様の教えとは無関係なのです。
今日は、この「先祖供養」「仏教」との関係に触れて見ましょう。
仏教の基本となるお釈迦様の教えは沢山あります。その教えはお釈迦様が苦行を重ねてくれて、「悟り」を開いたことから、「輪廻思想」も前提として、生まれて死ぬまでのプロセスを人間の宿命であると同時に、この世に生まれて生きること自体を苦しみました。
四苦である、生・老・病・死は誰もが通る道です。この四苦は人間の宿命でありますが、お釈迦様のお陰で私たちが人間として生きているなかで、「輪廻」とも深い関係があるという思想が生まれたのです。
では、この仏教が目指す最終目的はなんでしょうか。悟りを開いてこの輪廻転生から卒業することです。ですから、私たち人間は何度も生まれ変わり、魂の成長をしていますが、この輪廻転生を繰り返す必要が無くなるのが分かるときに、本当の幸せになれると仰っています。この輪廻を繰り返すから卒業するには、「解脱」する必要があります。その為にさまざまな修行が用意されています。
お釈迦様の生きていた時代のお釈迦様の思想は新興宗教と同じ扱いをされました。
それは、人間は解脱(げだつ)できないかぎり肉体は死んでしまうが、ある一定の期間をあの世という地点にてお休みして、この世に輪廻転生しているという思想は、人間が輪廻する際に、前世、現世、来世との間に接点がないと証明出来ておりません。
スピリチュアリズムを学び、受け入れている人たちにとっては「霊魂」の存在となるでしょうが、お釈迦様は霊的自我としての霊魂の存在を認めていませんでした。
スピリチュアリズムでは「霊魂」こそが輪廻思想の原点であるはずですが、それをお釈迦様は認めていなかったのです。
さて、この輪廻思想はこの辺りにしましょう。
では、お釈迦様の仰る思想に沿って行くと「現世にて必要のなくなった借り物である肉体は単なる抜け殻」であるならば、この死体は火葬にして捨てても良いとなりますし、インド仏教では火葬にして川に灰を撒いたり、山に持って行ったりして、死体→火葬→(遺言などない場合は)それで終わりです。
骨には何の意味もないのです。この点については本来のスピリチュアリズムと同じでしょう。
ですから、仏教ではわたしたち人間はこの世に生きている間に「悟り」を得なければ、輪廻して、世界のどこかにまた、人間として生まれ変わることになるのです。仏教の死後はあの世でもこの世でもない空間の時間に入り、その長さは49日とされています。その間に次に生まれる場所を決めることになります。
良い場所に生まれ変わりたいならば、僧侶に依頼して供養して貰います。供養は初7日に始まり、7日毎に行われて、49日目に、その人の生前の行いなどや善悪と共に次に生まれてくる場所が決まるとなります。
どこに生まれ変わるとなると仏教では6つの界があります。
これを書くとかなり長くなりそうですから、もっと先に進みましょう。
本来の輪廻思想であれば、お墓もお仏壇もお位牌も必要ないとなります。
日本の場合は宗教もメイドインと呼ばれるものは「神道」だったり、自然界を拝む宗教だったりでしょうか。仏教でさえもさまざまな要素の寄せ集めから成り立っている様子です。ある宗教研究者によると日本仏教の多くの要素はインド仏教とは無関係な先祖供養が占めていて、あとの一割がこころの救いになる教えと、あとは祈願的な教えから来ているそうです。
インド仏教のお釈迦様の教えから離れてしまった理由は、仏教が栄え始めていた鎌倉時代道元師によって禅が中国から日本へ伝えられたからでしょう。
インドから達磨さんが中国に、インド仏教を持って行きます。そのときの武帝は古来からの道教を捨てて仏教信者となった帝でした。
中国はもともと「シャーマニズム」もありましたが、「儒教」が根付いていました。
一時期、インド仏教は中国でも流行ったようですが、儒教の特長で先祖霊崇拝や葬式を重要しするという宗教だったのです。
余談ですが、私は鑑定を通じて多くの韓国人がこの儒教がベースですから、先祖霊を供養するのですが、先祖が多くてキリスト教になる人もいると聞いて驚いたことがあります。
その儒教の影響を受けている中国仏教が日本に伝来されているので、「先祖霊崇拝」もあると思います。
ですから、日本の場合は儒教民族宗教もインド仏教もミックスされた独特な宗教と言えます。
この日本仏教は先祖供養であると共に、死後の霊魂の存在も認めています。
しかし、この霊魂に関してはインド仏教も中国仏教も明確にしておりません。
でも、先祖供養の必要性を前提にしていることは、インド仏教よりもスピリチュアリズムという意味では霊魂説などの面では近い場所にいるともいえると言えます。
日本での問題点はお墓やお骨をとても大切にしてくれるのは良いとしても、少子化問題核家族問題もありますし、お墓を立てる場所、お墓にかかる費用も多大ですが、管理費やお寺への寄付も田舎ですと驚くほどの金額だったりします。先祖霊にしてもお墓やお骨に拘ることはないでしょうが、お寺を維持して行く際にこの先祖代々等を出すことで、お寺も継続しているところもあります。
先祖を供養しないと不幸になったりするという人もいますが、そうではありません。
神さまと、先祖霊と、私たちの輪廻思想とは別問題です。
霊的な意味での先祖供養とは皆さんとは繋がっていますので、自分がこの世に再生したことへ感謝し、ご先祖様に感謝して生きること、そして、自分の周りにいる方々に感謝しながら「あるがままに生きる」姿勢が、みんなも幸せ、自分も幸せの法則でご先祖様もあの世から喜んでくれるでしょう。
ありがとうございます。