自分にも他者にも優しく ♪

150.7:265:350:0:0:DSC01066copy:center:1:1:手と手を併せて、ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
早いもので、今年も上半期が終わっちゃいましたね!
でも、まだまだ今年も終わったわけではありませんから、前向きに日々の精進をして行きましょう。

人は自分自身にも優しく、尚且つ、尊ぶ気持ちをそのまま他者にすることで、この世は尊ぶ心と敬う心にて、尊敬の無限の光に包まれることでしょう。
尊い自然の雨の恵みがあるからこそ、自然界では花が咲き、果物や野菜にまで、有り難い恵みの雨として降り注ぎ、この世は持ちつ持たれる自他との繋がっていることに気づくことでしょう。
自分自身を尊ぶことで、最終的には他者の為に奉仕をしたいと願う気持ちが内から湧いて来ることでしょう。それは、他者を尊ぶ事、そして、自分自身を尊ぶ事は同じだと思えるようになって来ます。そこには、境界線があるようでないことに気づくでしょう。
仏教では自分自身の利己的な「私」を捨てる事を「無私」と言います。つまり、自分の我(ガ)を捨てた境地を「捨我」と言います。
さて、私たちは意外と自分を粗末に扱っているかも知れません。
この世で生活していますと、案外、自分を大切に扱っている人は少ないかも知れません。
現世にて一回限りのこの自分を大切にしないで、自分を粗末にして、肉体が無くなってからはあの世に持参出来ない服や、高級車や家具や家ばかりを大事にしている人の方が多いでしょう。
自分を大事にすることを忘れて、自分を甘やかせていませんか。さらに、自分に甘い人は案外他者に厳しく、自分に甘いが自分を大事に扱っていると勘違いをしている人がいるでしょう。
自分に甘い人は自分を粗末に扱い、日常生活でも不摂生を繰り返している中で俗世界に流せながら快楽に溺れてしまっている人もいるでしょう。
さらに、自分に甘い人は自分には大変寛大ですが、他者には厳しい要求を求めることもあるでしょう。どうしても楽をしたい、辛い仕事はあの人に任せておけば良い、自分は辛い仕事から逃げる為にどうにかならないかと巧妙な言動をとることで自分が相手をコントロールして、殿様気分になっているだけです。本当の心は「自分だけ」、この世にいる間に、甘い汁を飲みたいと願っていることでしょう。
自分に甘い人は忍耐強くなく、怒り、恐れ、悲しみ、憎しみ、恨み、欲望、不満の心は、これらの感情は同じような波長ですから、順調にことが運んでいるのは自分のお陰だと思って生活していることでしょう。しかし、自分ばかりを思う甘い心は他者から悪い想念を送られることになります。
自分に甘い人は生活環境の中でも何事も楽をして、快楽を楽しもうと思いますから、少しでも辛いことは避けたいと願っているでしょうから、その為に生活を困難にさせ、不幸を呼び寄せることになり、人は生活が苦しくなって行く人の側にいたいと思わなくなり、蜘蛛の子達のようにばらばらに去って行くでしょう。
自分の幸せを願うこと、他者の幸せを願うこと、そして、他者の為に祈りを捧げてこそ、自分自身に祈りを捧げることと同一意識であり、自分を空にすることで、大きな向上になることでしょう。
人生で良いことも悪いことも両方を経験して来たお年より方は、どこの国でもこの両方はどちらも非常に似ているとおっしゃっております。
さて、ここでお釈迦様のたとえ話の中で、地獄と極楽のたとえ話をご紹介しましょう。
あの世でも食事をするのですが、心で食べると言った感じでしょう。
両方とも似たような感じだそうです。どちらも大勢が大きななべを囲み、なべの中のごちそうを長い箸で食べるそうです。
地獄では、その長い箸で食べ物を挟み、それを自分の口の中に運ぼうとします。しかし、箸が長い為、自分の口の中に運ぼうとするのですが、箸が長過ぎて他人の箸と絡まり、中々自分の口の中に、食べ物を入れることが出来ません。そうこししていると、お腹が減っているのに、ご馳走が食べれませんから、周りの者と争いになり、お互いの非難と怒号の光景は喧騒している様だそうです。
しかし、極楽では、この長い箸を旨く利用して、食べ物を取り、自分の口の中にではなく、向かいあう人の口の中に、お互いが運び合いながら、お互いが感謝の気持ちで、「ありがとう」の言葉を交わし、お互いが交互に口の中に食べ物を運んでやっているので、ご馳走も美味しく頂き、皆で仲良く出来ているそうです。
私たち人間は同じ環境に居ながら、自分の事を抜きにして、相手の事を思い、相手に譲り、相手が喜ぶことで満足し、この心こそが、自他同根の集団ですから、相手の口の中にご馳走を運んであげて、「ありがとうございます」と言われ、また、相手から、自分の口に運んで頂き、「ありがとうございます」と、感謝の気持ちのキャッチボールをしているのでしょう。
分かち合って食べれば、「人よし、我よし」になって、人の口に食べ物を運べば、また人からも自分の口に食べ物を運んでもらえるのです。また、これが「分かち合って食べる」これまでの日本人の人生観でした。
私が今住んでいる国も少しずつ現代の他の国や日本のように、民主主義の下のエゴイズムに染まりつつあると感じます。まだまだ、お年寄りが健康で元気な村人たちは「人よし、我よし」精神でしょうが、若い世代を見ていると、「自分だけよければ他はどうなっても良い」という悪しき個人主義の影響が現れているように思えます。
日本も含めて人と分かち合うのが当たり前だった時代から、物質を追いかけるあまり本当に大事なこころは失われているように思えて、とても残念です。
どこの国でも、「人よし、我よし」の精神に戻ってくれることで、世界中で起きている悲しい出来事の争いが終わってくれればと願っております。
しかし、一人の祈りは貴重ですが、大河の一滴ほどの小さなものです。
ですから、皆さんも、自分の幸せを願うのあれば、他者を祈念することから始めてみませんか。
そうすることで、他者は自分自身の反映であることに気づことでしょう。
他者は鏡に映った自分であり、その魂は壮大な宇宙の一点から発している同根から根元に辿りつくことでしょう。 森羅万象ですべては最終的に繋がっていることに気づくことです。
読んで頂き、ありがとうございます。
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