幸運体質になりたい人は食を見直そう ♪

6.7:200:150:0:0:NONALNUM-A4B4C8D3:center:1:1:感謝しながら 「いただきます!」:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
いや〜!昨日のアメリカ大統領の急変ぶりには思わず笑ってしまいました。地球温暖化問題でアメリカと豪州が拒否して来ている間にどれだけの自然破壊があったかと思うと悲しいものですが、欧州に圧されて、「これからは、アメリカ合衆国が率先して地球温暖化を防ぐ為にも・・・云々・・・」と言っていました。何はともかく、大国の参加は地球の為によしとしましょう。
しかし、21世紀になってから7年が経ちますが、霊的な追求を求める人、そして、このニューエイジになっても物質主義や拝金主義の思想が優先していることで、地球に様々な不幸現象を巻き起こしているかもしれないことに気づかないといけないでしょう。
ここ最近の不思議な事件は悪想念から発した不幸現象と言えるでしょうか。
ここ最近は性の乱れ、不倫、家庭内外の暴力、少年少女の不純異性行為、自殺、無気力感、孤独感、精神障害躁鬱病神経症自閉症精神分裂病など)、さらに、天変地異、汚職、戦争、争い、経営不振、経済破綻等は、過去から今に至る間に何事も規制がないが為の連鎖的に起きて来ている、悪循環からの現象です。
さらに、魂の病気である「生活習慣病」も、現代人の身体と魂を蝕んでいます。
ここで少し前に書いた「菜食の薦め」と今日のトピックは繋がっているのです。
私たち人間は多くの動物たちを殺し過ぎました。こうした動物からの怨念が「肉を喰った報い」であり、様々な不幸現象を齎していると言えるでしょう。
インドのヒンズー教徒は肉を食べる人たちと一緒に居たいと思わないそうです。インドでも裕福になるとお肉を食べる人たちが増えて来たそうですが、基本的には殺生はしないで自然の恵みからの食を取っています。話を聞くと、食堂などでも「ノン・ベジタリアン」と「ベジタリアン」の席に分れて座らなければならないそうです。つまり、喫煙席と禁煙席みたいなものでしょうか。
日本も明治維新頃からお肉を食べるようになったでしょう。戦中は米一粒や豆一個の有り難さを実感していたお年よりも亡くなってしまって、食事を始める前の感謝の言葉「いただきます」食後の「ごちそうさま」というのも言わないでテレビを見ながら食べるお宅も増えて来たそうです。
性の乱れと食の乱れは似ているのではないでしょうか。
裕福な女の子達が高級バックが欲しいが為に見ず知らずの中年男性と数時間を共にする行為、これは大人の男性がきっちんとしていないが為に起きている問題でしょう。
性欲を満たすだけの行為は動物達に似ているでしょうが、動物達には周期があります。子孫繁栄の為の行為であって、性欲だけの為ではないでしょう。
人間はさるの進化の賜物ですが、さるは肉食ではありません。
いつ頃から、人間は他の動物を食べるようになったのでしょうか。キリスト教徒は肉食は許可されていると聞きますが、キリストの生きていた時代はオリーブと塩と粉で作るパンを食べていたはずです。
この地球上で、私達人間だけが、他者の生物をコントロールして生きているのではありません。人間は自然と調和し、自然と共に生きる必要があるでしょう。人間が自然の中で生きていく時に、自然を破壊するのではなく、自然と共に調和を保ち続けて生きていく必要があるでしょう。
この自然と共に調和を保ち続けて生きる思想は東洋思想の中では当たり前でした。
「自然と共にある」という考え方です。

今では、西洋思考の方が素晴らしいという傾向があるのか定かではありませんが、何かにつけて、コントロールし、管理する考え方が根付いて来ております。昨日のお釈迦様のたとえ話の食卓では鍋を囲んで一緒に食べる習慣は西洋人では理解出来ないでしょう。一緒に食事をする際に、個々のお皿に同じだけ盛って貰って、ナイフとフォークで食べる人たちですから、日本やアジアで食卓を囲むと真ん中に土鍋で人のお箸がその鍋をくぐるだけで駄目だというアジア通でない人であれば、食べる気持ちも失せるようです。
これは、食べ物だけに限らず、お風呂でも同じでしょう。日本人であれば温泉に裸で入る行為は当たり前ですし、共同の場所であれば出来るだけ他の人の為に綺麗に使うように気遣うでしょう。
この東洋的な思想の中には、自然と共にあるという、優れた智慧があります。この智慧こそが日本人の生活の中で、これまで正しく機能していたのですが、この20年前ぐらいから、欧米化の波に巻き込まれた為に、古来より大事に受け継がれた日本人の智慧は忘れ去れようとしています。
以前、肉嗜好になっている霊能者さんと食の話をした際に、「ちゃんと蛋白質を取った方が良いのでは?」と言われました。そのときに私は「大豆や豆類からとっているし、魚は頻繁に取らないけど、魚介類は食べています。」と言うと、「それでは蛋白質が不足するから豚肉を取った方が身体の為にいいよ。」と言われて驚きました。
私がお会いしたことのあるスリーランカ人の僧侶さん達は肉などは一切口にしていませんが、身体も大きく筋肉もあり、びっくりしたことがあります。
日本でも禅のお坊さん達は菜食主義です。
この地球上で一番多い哺乳類の生き物は人間なのです。他の生き物はテレビや車など保持しておりません。土地も保持しておりません。コアラと人間の数を比較するとコアラの方が少ないのです。コアラも絶滅するかも知れません。どうして、人間が他の動物の居場所まで保有する必要があるのでしょうか。
東洋思想は「自然と共にある」という考え方でしたから、自然を破壊することなく、そして、動物の命を奪うことなく、自然と共存していく思想から生まれたものでした。
「人よし 我よし」の考え方から離れて行っています。自己を中心として「自分だけが」という西洋流の考え方が現代に起こる事件の元凶だと言えるでしょう。
この「食の乱れ」というのが大きな原因になっているのです。これまでも、食の見直しは指摘され、食が乱れれば、必ず身体は病気になるというのは、世界的に証明されています。
海外で活躍する多くの歌手や俳優、アーティストなどの多くは、4つ足の動物を食べません。
しかしながら、日本人は食の乱れを気にするよりも、未だに飽食と美食をすることが優雅だと錯覚しているのでしょう。
この食の乱れは肉体だけを蝕んでいるのではありません。精神も病み、魂は穢(げが)れ、霊的には益々低下しています。魂が穢れては悟ることも出来かねます。
霊的な質が落ちれば、当然、霊的波調も低級化し、空中に浮遊する未浄化霊の唸(ねん)や、地縛霊の唸を被り易くなり、こうしたものに波調が同調します。こうした事が起因して、肉体の病気ばかりではなく、霊的に向上出来ないままで死に至るでしょう。
幸運体質になりたいと願うのではあれば、自分達の生まれた土地の食べ物を取り、その土地の霊気を受けて、それを食べることで大自然のお陰を貰うことで、活力的に生きていけるのです。
古来から受け継いで来た素晴らしい日本語の言霊を使いましょう。
食事の前に合掌して「いただきます」という言葉、この「いただきます」は、食物から「命を頂いている」から「いただきます」と言うのであって、人間に代わって、その命を投げ出した食物に対しての感謝の意味を現わした言葉であることを忘れてはなりません。
読んで頂き、ありがとうございます。
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