苦難は『幸福の門』

178.5:299:350:0:0:pic3:center:1:1:やっと、描き終えた「女神サイキ」 :
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
私はこの世では適職としてサイキック・カウンセラーを長年しておりますが、肌に合うのは芸術面の筆やペンを使った仕事かも知れません。でも、芸術面で食べて行けるほど才能はないのですが、精神統一修業にはもって来いの1つの修業だと思います。絵が上手い、下手とかよりも筆と息遣いによって自分の心の状態が分ったりします。
さて、去年、今年、ここ最近まであまりメールでも電話でも話しをしない人から相談を受けた。
その人は「先生の鑑定結果の通りに万事が運んでいるから、こんなことになるなんって思っていなかった。」と、今年の運勢の結果へのクレームらしき表現にも取れる感情的な内容であった。しかし、占い鑑定とは?霊視鑑定とは?その時のその人のバイブレーションから想定することもあるし、占いなどは統計学だから、当たるも八卦、当たらぬも八卦という天気予想と同じだと思います。
その人は結婚を前提にしていたが、状況がおかしな転回になっているので、鑑定結果と違うと言いたかった様子だが、それより前に、この世に転生しているすべての人は生を受け、その後、赤ちゃんから子供へ、そして、大人へ成長して行く過程が必ずある。自然界の木でもそうだが、いちじくの木は冬になると葉っぱが落ちる。そして、春になると新芽が出て来る、そして、いちじくの実がなる。
これはキリストの教えだが、「成長の法則」というのがある。
毎日の生活で起きる出来事はヒンズー教でいう「カルマ」とは関係ないこともあるのです。すべてをカルマだとか業だとかと言って、自分の周りで起こる出来事を対処しないでは、成長もないまま「死」に近づいていることに気が付かないといけません。
この地球上に存在するすべてのモノには誕生、成長、死というサイクルから逃げることは不可能です。
その地球上で「あらかじめ運命づけられている」という言葉の意味の中には、自分自身の様々な才能を取り上げているのではなく、「あらかじめ運命づけらている」のは、誕生、毎日の時間の経過による個々の成長、そして、死に至るまでの間のサイクルを意味しています。人生そのものはこの成長の法則の範囲であれば、私達の自由意志でどのようにも自由に創造出来るのです。
この過程の中で他力本願では学びも少ないことでしょう。
ですから、その人には、鑑定結果が素晴らしい内容であったにしろ、それは過去の鑑定結果の内容から今に至る際に、占いの結果など気にするよりも、本当にその人を愛しているならば、冷静になって、霊的な意味での愛であれば、「覚悟」を決めて誠意を見せるしかないだろう。男と女の恋愛関係は心変わりをするのは当然なことである。この世に転生しているすべての人に大なり小なり因縁で繋がる男女関係で連れ添ったり、別れたりするものです。
占い師や霊能者が告げた結果はスポーツのコーチ役ほどの裏方の役目です。スポーツをする本人次第で速く走ることも出来るでしょう。
それが相手がいての問題であれば、それだけ解決する問題も大きいかも知れません。占いの結果を云々よりも本人同士の方がその場での言葉や行動のやり取りがどうなったか、自分で内省して過去を振り返って見る必要があるはずです。
スピリチュアルから遠のいてしまって、毎日の生活でも「感謝」を忘れてしまってこの世的な生きかたをして、魔が差すこともあるでしょう。
自分で育てなければならないお花でさえも、管理せずに水もやらず、剪定もせずして、どうして他人を攻めることが出来るでしょう。
健康と同じで「あなたは健康ですよ!」とお医者さんに診断されて、暴飲暴食、さらに運動もせずして、ある日突然、余命はと言われて「お医者さんは健康だと言ったのに・・・」と言っているようなものではないでしょうか。
健康と愛は失って初めて大切さが分るでしょう。さらにこの世でだらだらと生き、突然の死を迎えてしまう時もあります。スピリチュアル・ワールドに帰って、「どうして?」「何がこの私に起きているの?」と悔やんでも後の祭りです。
だから、聖人達は何度も同じ言葉を繰り返して「今を大事に生きろ!」「一生懸命、生きよう!」とメッセージを残してくれている。
この世で繋がる人間関係で問題が起きると相性が悪いからとか、タイプが違う家庭環境だからという以前に、当事者同士が愛していれば、そんなことに拘るのは小さすぎます。
それに世間体での価値観で相手に振られてしまっての屈辱だったり、突然の衝撃であったりして、冷静に考えられないときもあるだろうが、自分のプライドを傷つけられてショックを受けるよりも、結婚などしなくても愛しているのであれば、必ず誠意は伝わるでしょう。でも、エゴで人の気持ちをコントロールして、昨日までこんなに愛し合ったのに、どうして?と言っても、その相手には沈黙でも寂しさなどがあったことを理解出来ないまま、結婚するよりは、好きだけど別れるときもあるでしょう。
人の心は慣れてしまうと大切さが伝わらないときがあります。
ですから、本当に大事だと思う人ほど、大事な言葉を毎日使ってあげる必要があると思います。昔の大和魂の人であれば、「じっと、オレの目を見つめてくれ!」と言って誠意も目力で伝わって来る人もいたでしょうが、最近はお腹に力を入れないで生活しているので、その気力は伝わらないと思います。ならば、西洋式に愛していると一日に何度も言う必要があるならば二人だけの暗号で伝えれば良いと思います。
色々な恋愛、結婚観念は型にはめ込む必要はないでしょう。
鑑定もこの地球の温暖化と同じで「絶対」はないでしょう。

順調に事が運んでいるときほど、周りの人たちに感謝しながら生きる必要があると思います。健康もそうですが、身体に負担が来る前に色々と気遣ってあげる必要があるでしょう。
そして、夫婦であれ、カップルであれ、大事な人であれば、木々と同じでその行為を見せるのが自分であって、裏方であるサイキックなどはアドバイスは出来ますが、その木の剪定まで依頼するのは、マラソンの為に走る靴を用意して、自分は靴は履くが、透明な空飛ぶ絨毯または、漫画のドラえもんのように、お願いばかりして、走ることを忘れているのではないでしょうか。実際に走るのはその靴を履いている人なのです。
その人には、これを機会にまたスピリチュアルな生きかたに戻って欲しいと願います。
そして、障害を越えて、その人と現世でご縁があるならばどんな形でも、時間を掛けても何十年後でも一緒になるでしょう。
見えない力が魂の成長の為の宿題をさせてくれている様に視得ます。
そして、今を大事に生きることを学ぶ必要もあるでしょう。
色々な事を先送りしていた為に、今起きていることは必然的であるのでしょう。
そして、人生の修行は、悪かったことを改め、良き想念を取り込むことだと気づくことが出来るでしょう。こうした折角のチャンスに、他力本願で、安易に誰かのせいにしては、開けるはずの道が閉ざされてしまいます。その後、幸福の門が開かれることでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
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