どんなことでも絶対はない!

3.6:134:202:0:0:healinglight:center:1:1:光・・・ヒカリ・・・ヒーリング・ライト:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ご縁があって『霊界サロン』をお読み頂いている皆様、
ありがとうございます。
さて、5月28日はお休みです。今年はこちらはお休みが少ないです。日本みたいに改正されるとお休みが増えるのになぁ〜と思っております。[にこっ/]
前回で精神統一について書いたが、心霊研究を追及して行く際には、この「精神統一」が身体と心のバランスに繋がることであるから、どうしても、この基礎である『精神統一』修業は必要でしょう。
心霊研究に関係なく、幸福を招き入れるカギといっても良いでしょう。
人の心は「こころの癖」というのが日常生活の中での意識がポジティブ思考の方であれば、障害が目の前に起きても、ポジティブ思考で乗り越えられます。
ポジティブ思考の方は息遣いを心得ている方が多いのが特徴ですので、土壇場に立たされても、深呼吸をしてパニックにならないように心の平常心を保とうをします。この精神統一で有名なお侍さんは海外でも人気のある「ムサシ」と呼ばれている宮本武蔵などは相手がどう行動するか息遣いで判断していました。
この息遣いというのは直感とも言える感覚であると思います。
ですから、日常生活の中でも、子供の頃から「精神統一」をする訓練をすると良いでしょう。大人になってからですと何事も時間が掛かります。それは身体で覚えた癖などもあるので、おしゃべりな人が24時間という時間、誰とも話すことを禁止されるとパニックになってしまうこともあるでしょう。沈黙が怖いという方もいらっしゃるでしょう。
日本では最近の怪奇な事件を見ておりますと、この精神統一を学校で教育しないが為に「ムカつくから、殺した!」「ムカつくから、殴った!」などと加害者である若者が語っていたりしています。本人様はあまり悪いことをしたという気持ちもないように思います。残念ながら大人も子供も自己中心的な人が増えてきた様に思えます。
これはやはり「忍耐」と「我慢」が出来ない為に切れやすい人たちも多くいるのではないでしょうか。
よく、「子は親の背中を見て育つ」などと言われていますが、家庭生活の中で親の生活態度が知らず知らずに子供の言動や性格に反映してくることはあると思います。それと同じように、精神統一と家庭生活との関係もあるのではないでしょうか。日常生活の態度や習慣が精神統一の修行に反映されてくるでしょう。
ここ最近はネット社会と言っても過言ではないと思います。
自称霊能者が溢れている中、このインターネットを使用して「言ったモノ勝ち」という風にみえます。
豪州時代に瞑想会などを開くと、一人か二人は見栄っ張りというか、自慢したいのか、練習をしないうちから、霊の話やあそこに誰かがいるとか、身体をくねらせていたり、時には奇妙な声を出して、いかにも霊能者ぶろうとする人もいました。
本人は無意識でやっている様子ですが、呼んでもいない霊さんと波長が合っている様子ですが、周りはちょっと迷惑です。それに精神統一している際はピントは沈黙の中での自己内省だったりしますから、外から来る霊などをシャットアウトしないと何の為の精神統一か分らなくなってしまいます。
この手のタイプの人は普段から自己中心的で注目を得たいのでしょう。
すべての現象がニセモノではないだろうが、やはり、真面目な人であると騒がずに手が震えていたり、身体も前後に揺れていたりすることはあるだろう。
霊にも未浄化霊と高級霊など様々な霊が地上界と同じで、性格も思考ももちろん様々であるから、どのレベルの霊と波長があっているかはオーラが見える人がみれば分るであろう。

しかし、霊能者達で死者との対話などする際は必死の覚悟で波長を下げてることもある。これは本当に辛い。さっきまで極楽モードで気持ちが彼岸近くで戯れていたのをへびやとかげや暗いどよどよした身が凍る思いに引き寄せられることもあるからだ。一歩間違えると未浄化霊などは身体を失ったことに気づかないで生活をしているから、そのまま、霊媒者の身体を乗っ取ってしまうこともある。
それが多重性格などと言われる一人の身体に3人、4人の霊が存在していることもある。奇才な人などは一つの身体に3つほどの魂を持って生まれることもある。
神童と呼ばれたモーツアルトなどは一つの身体に複数の魂を持っていたであろうと思えるが、順調に共存している時は波長が合い良い想念でいられるが、心身ともに不調が続くと複数の魂達の中で一番「我」が強いのが誘導しようとするが、どれが自分だか分からなくなる。
生まれ持った人もいるが、途中からオーラの中で波長が合い生活を始める霊もいる。これは守護霊様とか背後霊様とかと類が違い、未浄化霊であるから酒が好きだった人だと酒なしでは生活が出来ない人になったり、女が好きだった性格の未浄化霊がオーラの中で生活を始めると急にその手の行動をして周りを驚かせたりする。
さらには、狂言を言ったり、叫んだり、周りの人たちでは手に負えない状態に発展してしまうこともある。
さて、心霊に関心を持ち始めたばかりの人はとにかく霊の力に興味が抱くようである。さらに、本や誰かの話を聞いたりして人が体験したことでも、自分が体験してことだと錯覚することもあるだろうし、幽霊を見たり、火の玉を見たりすると自分はその能力を持っていると思い、たいそう偉くなったような気分になりがちである。
ちょっと変わったことがあると何でも霊の仕業だとか言い始めたりするものである。
しかし、ここで注意しなければならないのは、私達人間は死んで霊界に帰ったからといっても少しも偉くなるわけではない。
死ぬということは、身体が無くなるだけだから、重い鎧を家に帰った際に脱ぎ捨ているだけで、この肉体を捨てるだけである。
そのだけのことである。だから、霊というと何でも有り難いと思って霊任せで生活する人もいるが、これは危険ではないだろうかと思う。
ある霊能者は私に「私の守護霊さんは大きな家を買ったら、もっと迷える人を導けるから必要だから買ってやると言っているとか、ダイヤモンドは石の中で一番だから、それを持つようにいって下さっているのは、本当に有り難いことだと思う。」と言うのを聞いて、「守護霊様でそんな物質に拘る人はいないと思うけど?」と言う私の顔を見て笑われたことがある。
こういう霊能者と話すと、その守護霊様が地上に降りて来て、その人の側で人間として家に行ったりして指示し始めたらどうなるのかしら?と逆に心の中で笑ってしまった。
さらに違う霊能者は守護霊は本も読ませてくれないし、研究もさせてくれないのです。とニコニコしながらいう人もいたが、その人の守護霊様だけのいうことを聞いていれば何事も万事オッケーと言っているのでしょうが、それはどうも視野が狭いと思います。守護霊様とて、霊界でのレベルが違う霊達がいらっしゃいますから、霊界学校であって、さほど私達人間の思考とあまり変わりないと思います。
もちろん、研究に研究を重ねた禅の開祖の道元様などが悟ったのちの教えの中での説得力のある教えは頭で考えなくても心に響く有り難い言葉は沢山あるが、心霊の初心者であれば、小さな体験、大きな体験も含めて、本を読んだり人の話を聞いて尽きることはないであろう。
真理を求めている研究者であれば、「井の中の蛙 大海を知らず、されど空の高さを知る」という意味が理解出来るのはないでしょうか。
人間のこころはきらきら万華鏡のように輝いています。神様から頂く無透明な光の中にスピリチュアリズムを通過することにより、無限の光を受けています。
ですから、霊であろうと人間であろうと、一つの物体を通過して得られる真理というのはまだまだ小さな大河の一滴に過ぎないのです。
ですから、これがすべてということは絶対に有り得ないのです。
さて、良い波動を引き寄せる修行のお話もしようと思いましたが、またの機会に致しましょう。
この世で存在する私達人間には一人、一人に守護霊様はついております。
守護霊様と人間の関係は「先生と生徒」の関係のようなものですが、いくら先生の質が良くても、生徒にやる気がなければ先生も無理難題で、助けてあげたくても無理なときがあります。本当に助けて欲しいならば、その為には一日1回でも精神統一をして、その日のうちに、心の埃を取り、霊的なコンタクトを取れる霊的体質になる必要があるでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
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