輪廻転生

11.1:150:231:0:0:hana:center:1:1:おかあさん、ありがとうございます。:
こんにちは!
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今週末は『母の日』ですね。良いひと時をお過ごし下さい。
ありがとうございます。
私達人間は現世に生まれ変わるとき、過去世を忘れた状態で生まれ変わることが多い、稀に過去世の名前、住んでいた場所、現世にて繋がる人達が誰であったか覚えている人もいるが、通常は産道を通る辺りに過去世での思い出を一掃して、現世にて新生児として誕生することが霊界からこの世に生まれ変わるときの条件として配慮されている。
どうして、過去世を忘れた状態が配慮となるかというと、人間は感情的な動物の延長の進化だから、思い出という感情を忘れることで生きることが出来るらしい。
しかし、輪廻転生を繰り返してこの世に生まれ変わっても、この世の俗世界に染まりすぎて、怠惰になり、何の為に輪廻したか「死」を直前にしないと正気になれないままでぼんやりと生きていては、来世は地球人口が減少しているだろうから、借り物の身体さえもないだろうし、先進国とよばれている国に転生して来る確立は少ないであろう。
死の宣告をされたり、大病を患ったりすると、人は現世でやり残したことが一杯ありすぎて後悔する人も多い。今度、生まれて来たら、もっと人助けをしたい、もっとしっかり生きたいなどと、思い残す期間が与えられる。
仏教では人は死という転機を得て、思い残した課題を現世にて復習の機会を与えられ、そして、再び現世にて生を受け、崇高な魂に近づくためにその時代を生きることで体験と共に勉強が出来るというのが輪廻の原理であろう。
心霊を信じない人は人間は死んだら終わりだという人がいるが、終わりであればどうして霊能者達が一度も会ったことのない人に会い、その人の心の中での葛藤やどこにあざがあるかなど、さらにすでに他界している祖父母の名前を告げることが出来るであろうか。
祖父母達がスピリチュアル・ワールドにいるが霊達は瞬間移動が出来るので、自分のかわいい子孫が路頭に迷っていれば、辛抱強くスピリチュアル・ワールドで見ていてくれる。
そのほかにも他の霊達は個々の課題を達成する為に慈悲深くとも厳しい目で見ながら、余計な邪魔はしない。
大きな慈悲愛には厳しい判断もあることを忘れてはいけない。
霊界にいらっしゃる人達もそうだが、現世で会う人達でも常に優しく相手に手取り足取りというと居心地の良い人間関係ではそこから抜け出させなくなる、常に心が常夏状態でいると、忍耐も精神も強くなることもないまま、我侭言い放題の高慢な人間にならないためにも、ある程度時期が来ると試練を与えて、辛い状況からでも一輪の花の美しさがこころに灯火をつけてくれることもある。
だから、現世で真理を追究したいと願う人は一休みすると新たな課題が待ち受けている。
現世に転生をする際に「怠けますから、生まれ変わりたい」と願って転生した人は稀であろう。だから、人間は輪廻という大きな宇宙空間に生まれ、自分の過去世での償い、過去世での過ち、過去世で恩を受けた人への恩返し、さらにやり残した自分の思いの為、さらに自分を見つめ直す機会を与えられたのであるから、自分で見つめ直し、心の癖も良い癖になるように、努力する必要があるだろう。
現世にて悪行、怠惰をしたツケは必ず自分のところへ返って来るだろう。
そのツケが返って来たときに、自分を誤魔化していては、同じことの繰り返しでいつまで経っても前進出来ないだろう。
人間として魂を持って現世に転生しているみんなが同じように使命を持って、それぞれに修行をしている。
輪廻というのは永遠に過酷な山登りではないのです。
自分のペースで無理をせず、休憩地点もあるでしょうし、決して血を吐きながら自分に鞭で打つ必要もないのです。
頑張った分は必ずどこかから救いのある手を貸して頂けるでしょうし、必ずどこかに救いのある道のりがあるのです。
目指すモノが高ければ高いだけ、過酷な試練もあるでしょうが、極端に無理をすると借りている身体へも支障が来るので、自分自身のペースで長く細く魂を磨く人もいるでしょうし、太く短く魂を磨く人もいるでしょう。
他者が頂上に登ったからといって、焦りは禁物です。
焦ることで本当の真髄を見失うこともあります。
一瞬、一瞬を大事に生きることが出来るようになれば、どんな現状にいても、常に前向きに生きることが出来るでしょう。
現世というときは、一回限りです。
大事に精進を続けて行きましょう。
疲れたら、時々、休んで下さい。
でも、諦めないで自分の決めた山へ登って行きましょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
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