波動を高める食習慣の薦め パート2

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
昨夜は久しぶりに涼しかったです。気温は28度ほどで日課のウォーキングも大勢の人達で賑わっていました。
さて、波動を高める為に昔の人達は滝に打たれたりして、自分の穢れを取り除く行為を日本では荒行として行っていた時代もありました。
現代人は滝に打たれる場所も時間もないであろうから、普段の生活の中で穢れを取り除くには家の中の掃除をすること、さらに、食習慣を見直すことである。
私たち人間が食事をすると言うのは「祀り事」である。つまり食べ物は、同時に感謝することを学べるのです。私たち現代人が認識しなければならない事は、「食事は単なる栄養補給」ではないということです。
霊的な食養道から言えば、人が食事をする行為は、「自分と天地を結び付ける行為」であり、神道であり、神様との縁を結ぶ行為なのです。
神道的に言えば、「祀り事」であり、一粒の米、一片の野菜、一滴の水などは、天と地の恵みが凝縮されたものであり、この恵みによって、私たち人間は「天命によって生かされている」という意味があります。私たち人間は、自分で生きているのではなく、「天から生かされている」という事です。
戦前、戦後の日本人は、食べ物を神棚に供え、または先祖を供養する仏壇にも同じ物を供え、その後に頂くと言う風習がありました。さらに、食事をする前には合掌をし、手を合わせて食べていました。合掌は食べ物へ感謝する行為です。つまり自分と食べ物の間には、「祀り合わせ」というご縁で自分の目の前に用意された食も多くの人の流通によって繋がっていますし、食べ物のその命を頂くということで、生命を頂くから「頂きます」ということは以前にもお話しました。
しかし、私たち日本人は、戦後の高度経済成長期を境に、豊かになり、こうした豊かさが、余りにも食べ物を粗末にし、あまりにも軽視する状況を作り出して来ています。お金さえ出せば、レストランに行っても、沢山頼んでも、残し、必要以上に食べようと思いオーダーしたりして、食べ物などはあって当たり前、水もここ最近の災害続きで貴重になり、やっと、水の大事さを人間は意識しているようです。どの食材にしても、食べ物が天地の恵みによって与えられているという事をすっかり忘れてしまっているようです。天地の恵みから頂いた尊い命を忘れているので、食べ物に対しても忘れてしまっているようです。
車や家などは壊れたら買いかえたり、建て直したりするのにさほど時間が掛かりません。しかし、大木など倒したり、焼けてしまったりするとその木が同じ状態になるには人間の寿命の3倍はかかるでしょう。食べ物でさえも、大地の恵によって生まれ、大地に蒔かれた種は、土の気を根から吸収し、太陽の恵みを得て、光と水と二酸化炭素から光合成によって育ちます。どちらが欠けると育ちません。
そして、こうして収穫された作物を食べる事により、私たち人間は肉体に活力を頂いております。
食事が出来る体があるということは健康でもあるのです。食べるものと、食べられれるものとの関係の「バランス」が成り立ちます。ですから、食べられる物への感謝が必要なのです。命を頂くと言う感謝を忘れてはならないのです。
その食べると言う行為は「祀り事」であるという意味では、食べるときに食器に移し換えることも波動を高めることが出来ます。最近では、一人暮らしでコンビニで買ったまま食事をする人が増えているようですが、パックのままを長い間食べ続けると必ず運気が下がって行きます。
「面倒だからいいじゃない・・・。」ということもありますが、自分の運気を少しずつ下げるよりは、陶器などに移し換えて食事をすると運気が良くなることもあります。ご自身を植物だと思って下さい。その水や光や肥料のバランスによって植物も枯れたり、イキイキしていたりするでしょう。
食事という行為を静粛な行為であると同時に感謝することで、身体も健康でいられるのです。
食べ物から頂く運気、そして、家の中も小奇麗であれば、運気も波動も高くなります。
汚れの中に暮らす生活は、汚れなりの運勢しか頂けません。身体も部屋も清潔にし、小綺麗にし、食事にしても面倒臭がらないことです。その行為の中にこそ、「祀り事」という意味が含まれています。そして、感謝し、慎みを忘れないことで「人よし、我よし」精神にて運気も良し、日々の生活の中で常に感謝出来る出会いや、出来事が訪れることで、多くの気づきも頂けるでしょう。
ありがとうございます。