生死からの学び

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ここ数日は気温もこちらはそれほど暑くなく、穏やかでもう夏も終わりかな?と思えるほど夜はひんやりしております。
しかし、数週間前に欧州を襲ったヒート・ウェーブが今はアメリカを襲っています。南米では50年に一度というほどの寒さの為に雪が降らないところに雪が降っている様子です。暑さを襲って死者が多く出たルーマニアブルガリアは今度は大洪水に襲われた様子です。残念ながらこの異変は拍車が掛かっております。愚かな私たち人間はこの地球を牛耳っていた為にその反撃が大自然から起きている様子です。どうぞ心して、真理の追究を日々の生活の中で学び続けましょう。
ありがとうございます。
さて、ここ最近は普通の鑑定もしておりますが、「死者との対話」もしております。しかし、対面でなく、メールやお電話ですとスピリチュアル・リーディングは身体を消耗しますし、時期が来ていない方はお見送りすることもございます。
そこで今日は生死からの学びを考えてみたいと思います。
この世に生を受けたすべての生物にも生と死があるように、私たち人間も赤ちゃんとして誕生した瞬間でさえも、その赤ちゃんが永遠にこの世で命を保てることは出来ない。
人間には人間の寿命があり、その人、その人の天命が一人、一人に備わっているだろうが、天命を果たして死ぬ人はそれほど多くないだろう。
いつまでも元気で長生き出来れば本望だが、誰もがいつしか死を迎える。すべての人に訪れる死だが、日頃はそんな「死」の話などをすると「縁起」でもないからと言わんばかりにその死に対する心構えさえも避けてしまいがちであろう。
その「死」とは別に金銭的な事では生命保険などの会社は盛況しておりますが、家族、最愛の人とこの世での別れは、お金や物質的な物では心は満たされません。
死に対する精神面での支えを愛する人が死んでから学びたいと願う為に、人によっては悪徳な祈祷師に騙されたりする人も増えているでしょう。
少し前までの日本では「死」は身近でした。それは三世代で暮らす人や長屋みたいな人が大勢集まる場所で生活していた為に、お年寄りが亡くなったりするとお通夜、お葬式も喪主以外の人達が一生懸命にお手伝いして頂ける環境でした。
臨終の際に、孫の顔を拝みたいと願う御年寄りもいらっしゃるでしょうから、その孫や曾孫の顔を見ながら、息を引き取ることもしばしばあったでしょう。
その臨終を幼い時に脳の記憶の一部にでもある子供は「死」に対しても悪い観念もないでしょう。
頓知で有名な一休さんはある日、村人の娘が嫁ぐから有難い文句を書いて下さいと、一休さんにお願いしました。すると、一休さんは「祖父母の死、父母の死」いう文句を書いて渡しました。するとその村人は縁起でもない、祝いの日にこんな物を娘にいくら一休さんからでもあげれませんと憤慨しました。
そう怒る村人の為にもうひとつ文句を書いてあげました。「孫の死、子供の死」という文句でした。すると村人はこれは悲しいから、やっぱり、最初の文句を下さいと言って、持ち帰りました。
この地球上で起る出来事には順番というのがあります。その順番が狂うとさらに心が張り裂け、悲しみが長く続くことでしょう。
たとえ長寿をまっとうしたと思われる人の死でも家族はその死を悼み、悲しみます。まして、若い人の死、子どもの死は救いようのない虚しさがあります。いくらその亡骸に伏せようとも、どんなにその名を呼ぼうとも、その悲壮な思いと止まぬ心の叫びは、終わりのない迷路のような世界、納得のいかない事実です。しかも、それを抱えて生きていかなければいけません。
また、自分の死というものが目の前にあらわれることもあります。年齢的に死を考えるという人、病気などで死の宣告を受けた人など、そういう人達は死に対し精神的にもどうすれば良いか路頭に迷う人の方が多いでしょう。
どんなに若く健康な人もいつかは死に立ち向かい、それを考えなければいけない日を迎えます。その時、それまでに死に対し何の認識もなかったとすれば、理不尽ながらにも悶え苦しみ孤独と虚しさが繰り返し脳裏に過り、その時までの人生に対しての後悔や無念さで胸が締め付けられることから逃れることが出ないでしょう。
今の社会背景の中、いざ死というものが目の前にすると、自分を失ってしまうくらいの大変なものがありますが、どうやって精神的支えと認識と学びを得ていけばいいのか、それこそが霊的な学びであり、死を直前として真理の追求を学ぶことであの世に行く人を安らかにお見送り出来ることでしょう。
家族、友人、最愛の人の最後を見届けた人は辛いながらにも、死に対して納得することが出来る人もいますが、突然の病死、事故、自殺などで最後を看取れないないまま、この世でお別れした人にとっては、あの世に行ってしまった人とお話したいという願いがあるでしょう。本来ならすべての人に備わっているはずの「死者との対話」が出来るはずですが、今の世の中の物質的な生活に追われ過ぎてしまった為に神様とも距離が離れ、高級霊方とも距離が離れ、さらには自分の最愛の人からのメッセージも聞き取る能力さえも衰えて行ってしまっているようです。
有難いことに、先人達が伝える智慧は、生死観にも深く関わっており、現代社会を生きる無知な私達を癒してくれます。また、科学では証明出来ないスピリチュアリズムは本当の意味での生死の事実を教えてくれ、そして、無知な私達に緩和と知識で虚しい心や孤独な心を解放してくれ、本来の人間の「生きるとは、死ぬとは」を教えてくれています。
どんな死に方にも、その人とその死人に繋がる人達との間に業や因縁があるでしょう。生という誕生が人生でのスタートであり、最後の死期を迎える人生のゴールまでに、多くの気づきを生活の中のあらゆる処から頂けます。その死から目を逸らして生きて行くよりも、生死の根源とその崇高さを知り、「今を大事に生きる」ことこそ、現世にての生を充実出来ることで、「天命」を果たすことが出来るでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
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