本当のスピリチュアリズムの追求

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
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今の地球は水がめ座の影響を受けて、クリスタル時代に突入してからは、自分で悪いことをしたと思う人は、遅かれ早かれ自分自身に裁かれるという時期に入っているでしょう。
いくら良い言葉を使いメディアの注目を得ても、最終的にはその人の霊的な部分で実生活でも本当のスピリチュアリストであるか、その人の数年後を見れば分ると思います。どんな仕事でもプロとアマチュアでは努力の仕方が違うと思います。
華やかそうなスピリチュアルな仕事でも、図書館の一角が購入出来るほどの本を読んで来たり、子供の頃からの不思議体験など誰にも話すことが出来ずに孤独で辛い思いをして来たり、霊能者として生まれた人だと頷ける幼少期から、波乱万丈の人生で心の葛藤などで茂垣苦しみ、茨の道を歩き続けながら、逃げても、無視しても人が視得ない物体が見えたり、物が宙に浮いたりした経験などは、「自分はおかしい?どうして?自分だけに視える、聞こえる」という悲痛な心との対話を幼いころからしていると思います。
去年辺りから、日本のメディアでは予想通りのスピリチュアル・バッシングが始まりました。偽者のスピリチュアリストもいれば、本物のスピリチュアリストもいるでしょう。でも、暗闇の中でガチョウと白鳥の違いが分る人はいないと思います。混乱して人生の進路に行き詰った人ほど、騙され易いとも言えるでしょう。
以前に綴ったことがありますが、今の日本人は肺呼吸をしている人が少なくないでしょう。つまり、パニックになったり、ムカツク!という切れ易い人は肩で呼吸をしている人が多く見られます。感情的になると呼吸が苦しくなるのと似ている症状と等しいでしょう。
さらに、日本人気質は早く結果を求め過ぎる傾向があるように思います。
去年の暮にある外国人から質問があったのですが、「どうして日本人は自殺をするのか?それも年々、増えているには驚く、理解出来ない。」という内容だった。
豪州時代からもこの様な質問は外国人から受けたりして来た。
外国人でも、もちろん自殺をする人も少なくないが、日本人のように魔がさした死に方は周りの迷惑になるだろうし、キリスト教の影響で育った人たちであれば罪の償いをする為に生きたり、奉仕活動へ生涯をかけて行う方が良いだろう。
魔がさした死に方をするには、地縛霊や浮遊霊の影響が日本ではあると思う。
死んで、すべてが清算されるならば、多くのスピリチュアリストや霊能者達がお薦めするだろう、しかし、死んでも、カルマの清算もされないまま、暗闇の世界に葬られることがほとんどである。
死んだ後に必ず気づくのは、「死ぬんじゃなかった!」と、後悔の念が沸いて来る成仏出来ないでいる未浄化霊が多い。
未浄化霊がフラフラと東京辺りの空を同じオーラの人をターゲットにしている。
「私は霊媒体質だ」と言って、霊が集まる名所などには決して行かない方が良い。未浄化霊達がうじゃうじゃしている。あの世に行くことが出来ないままの未浄化霊に憑依されたら、なかなかオーラから出て行ってくれないまま、一身同体で生活を余儀なくされてしまう。
華やかに見えて、実は非常に怖い職種であるかも知れない。
霊能者として生活している上でも、一人の人間として生きなければ「生きる」意味が理解出来ないのと同じである。人の真価は、その人が何を言うか、何を書くかによって決まるものではない。「何を実践しているか、何を行っているか」すなわち言葉ではなく実際の行動がその人の価値を決定する。特に文章能力や話術が上手い自称霊能者やスピリチュアリストに騙されると骨の髄まで吸われてしまうことなどは赤子の手を捻るぐらいに簡単である。
彼らにとっては流行りの職種で一躍有名になり、その人が困ってようが、どうなろうと実は気にならないのである。つまり、無責任な人たちの集団とも言える霊界のグループからこの世にて転生していることになる。ただ、ウソをついて人を騙す側も悲しいが、ウソを言われて心地良いと思う人たちもいる。そのウソなどでお金儲けをしている偽霊能者も少なくない。
特に、「前世占いブーム」などは、偽霊能者にとっては嬉しいブームだったりする。
適当なことを言えば、喜んでお金を出してくれる消費者と言える、みて貰う側の姿勢も変わったと思える。求めてる側が「フランスで生まれ社交界にいたマドマゼールXXでした。」と、前世を見て貰ったところで、調べることが見て貰った人は出来ないことだろう。本来のスピリチュアリズムであれば、前世に拘りを求めない。
「真理の追究」こそが、スピリチュアリズムの鉄則であることを本当の霊能者であれば、本やメディアを見なくても、上からの通信は誠心誠意で指導してくれることを知っている。ウソをついて人様を騙すなどということは言語道断であろう。自ら人を騙し、物質的に豊かになったとしても、いつか誰かにその人も騙されるだろう。人の宿命には「巡りあわせ」というのがある。だから、正しい行いをせずに、目の前の物質や名誉などを追求しているスピリチュアリスト達は時間が経つと自分自身で襤褸(ぼろ)が出てしまい、自分自身で自分の評価を下げていることになる。ある霊能者さんは、霊的真理を語れない霊能者は意味がないという意見を述べている記事を見かけたが、霊的真理を簡単に言葉で語れるほど容易くないと思う。スピリチュアルレベルが高ければ、何を書いたかではなく、何をしているかで決まると思う。
犯罪者であっても、どんなに悪人であったとしても、口先では素晴らしい言葉、正義心に富んだ愛情豊かな言葉で表現出来る人もいるでしょう。
しかし、実際の行動と本来の使命を忘れてしまっては意味がありません。
神様の道具として、多くの人がスピリチュアリズムを学ぶことが出来る為に、霊能者であり、スピリチュアリストであるならば、人を騙してはいけないはずです。人間としてのモラルに欠けている人がどれだけ長続き出来るでしょうか。
神様、高級霊様たちは霊界から、私達人間の活躍を見ています。
人間以外にも優しさや愛情が持てない人が、どれだけ偽善行為をしても、時間が経てば、クリスタルの輝きのように、お見通しです。
多くの高級霊達が私達人間に愛に満ちたメッセージを送って来ても、人を騙す目的で善人を装っても、最後には裁かれることになるでしょう。
本当のスピリチュアリストであれば、大きなカルマを背中に背負ってしまったことの重さを実感すると共に、ブームで始めてしまった人たちは明日にでも、看板やHPを取り下げれば良いでしょうが、使命として先を生きる道先案内人達は止めることは出来ません。それは生まれて来る前に神様、高級霊様たちと約束をして来たからです。偉大な高級霊達との約束を破ることは、あの世に帰ったときに、自分自身を攻めてしまうでしょう。
最後の最後の死期が来るまで、導き続ける必要があると思います。
それが人生の目的であればなおさら、一瞬の流星としての輝きではなく、名も無い星だが、毎晩、輝き続ける必要があるだろう。
高級霊さま達が私達を指導し続けているように、辛抱強く、スピリチュアリズムを学びたい人には、誠意を持って小さな提灯として、歩いて行く必要があるだろう。愛と感謝を一緒に理解して行くためにも、毎日の精進を忘れずに、ピュアな心と共に生活を続けて行く必要があるだろう。
ブームと共に看板を下げるなら、最初からスピリチュアリストなどと言わない方が良いだろう。本当のスピリチュアリスト、霊能者になりたければ、茨の道が用意された人生だということを忘れてはいけない。そして、名誉、物質に拘ると、その茨の道から抜け出せなくなることもある。
未浄化霊に夜、昼と追い込まれてしまう。
畜生界の人たちと関わると、最後には自分までが餌食になってしまうことがある。
だから、本当のスピリチュアリストは下の霊界の人たちとは距離をおいたりすることが多い。と、何やらと電車のように長く綴ってきたが、「バランスの取れた生活」をすれば、良いだけである。
見えない世界と見える世界の違いはそれほどない。
「生きていることに感謝」しながら、「今を大事に生きること」を今年は一緒に学んで欲しい。そして、「愛=アガピ(ギリシャ語)」も一緒に学んで行きましょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
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