前世の記憶

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
先日、プチ休暇を頂いたときに、赤とんぼを見かけました。
暑い日もあと少しですね。季節の流れを肌で感じるような時期ですね。
さて、前回は「家族との運命」を綴りましたが、今更ながら、「前世」とは何でしょうか。前世ブームもありましたが、前世はあるのかないのかという疑問を持つ人もいらっしゃるでしょう。前世と運命は繋がっています。
前世、特に東洋においては仏教の影響もあり、歴史上、文学の中でも語られて来ております。
前世に関しては、「臨死体験者」「ニア・デス」の体験が取り上げられます。事故や病気などによって生と死の境をさ迷いながら、不思議な体験をしたという話。最近までの前世ブームでは、マスコミ等の話題になりましたが、今だに賛否両論あるようです。科学者の中には、こうした体験のすべてを「脳の幻覚」として完全に否定的な意見を述べる人もいます。
しかし、「脳の幻覚」としてすべてを否定することは、無理があるのです。
それは、臨死体験者の体験はあの世(スピリチュアル・ワールド)とこの世を肉体から魂が抜け出て、さ迷った様子をリアルに語っています。
肉体を失った方達と同様に、ニア・デスの状態にいるときは、自分の家族が話していた内容を細かに記憶している人がいます。また、自分が死んだと思っているので、お医者さんの顔や話している言葉など細かく事実を表現する人がいます。また、同じ時期に死を迎えた人の参列者として壁などを通り抜けて、死期を迎えている人たちの様子を観察したり、誰が何をしていたかということまで細かく記憶していて語る人もいます。
このような体験談をただの「脳の幻覚」だけでは片付けられません。そういった意味では前世に対して大変興味があるが、あの世の研究をしていない為に、科学的な証拠がないと、でたらめだということになってしまいやすいのです。
ニア・デスの体験者のお話を聞くと、天国や天使などの、あの世的な話が多いようですが、中には、前世に関するお話しをする人もいます。
前世を記憶している人もいますが、持たない方が現世にて馴染めると思います。
なぜ、私たちは前世の記憶を生まれたときに忘れてしまうのでしょうか。
それは、この世で記憶を保持していない方が都合が良いからだと思います。
もしも、あなたの前世が素晴らしい人生であれば、覚えていた方が良いかもしれないでしょう。
では、もしも、反対に苦労の多い人生であったならば、覚えていたいでしょうか。
現世でも、幼少時代から今のあなたになるまでに受けた苦しみや悲しみなどの苦労は忘れたいと思う人も少なくないでしょう。
前世で悲惨な死に方、あるいは人を殺した思い出など、悲しい体験を持って生まれた記憶は、現世の新しい自分の人生を作るうえで妨げになることが多いでしょう。
私たち人間は煩悩を持ち合わせた生き物ですから、完璧な人間などこの世に転生して来ません。
もう20年以上も前に流行った「前世療法」「ソウルメイト」など、アメリカで精神医学を通じてありました。
これは心の悩みを持つ患者さんに対して催眠をかけ、前世の記憶を取り戻して病気を治そうという新しい試みから、生まれ変わりの科学とも呼ばれていました。
不思議なことに、患者さんが深い催眠状態において前世の記憶を取り戻し、心の葛藤やわだかまりとなっている前世の記憶を開放すると、病気が治るのです。前世で何か悲惨な体験をした人は、現代においてもその記憶を潜在意識の脳は思い出さないだけで、保持されているようです。
その葛藤がある意味、今の足枷となる原因を作り出しており、記憶が心の歪みとして、患者さんを苦しめていることを証明しているようです。
人によっては前世の記憶と現世での体験が重なることで「自分はおかしい人間だ」と人に言えないまま生活している人もいます。
自分はおかしい人間だと思う気持ちが強くなって来ると、前世の人格が現れたりする人もいます。
たとえば、今まで大人しかった人がある日突然、恐ろしい行動を取る事件などでマスコミ等を騒がせる人もいます。また、攻撃的だった人が、ある出来事を切っ掛けに人が変わったように優しくなることもあります。
それ以外にも、何の変哲もない人が自分のやりたい道を見つけたことで、才能が開花することもあります。
人の運命は不思議な事例が沢山あります。
手相などもにもはっきりと表れます。
凶暴な事件などが起こると家族構成、教育環境、幼少時代に受けた虐待などと結びつけて犯罪者の経歴を分析したりすることもあるでしょうが、必ずしも現世だけの影響ではないことは確かでしょう。
ただ、その原因が前世と結びつけるには現代の科学では解明出来ないこともあるのです。
21世紀は「心の時代」だと思います。
つまり見えない霊的なことを理解しているかどうかによって、心の癖が違って来ます。

通常、私たちは前世の記憶を思い出そうと試みたとしても、なかなか思い出すことは出来ないでしょう。しかし、前世療法でも分かるように、心の奥底の次元から現世に生きる人間の性格へ影響を及ぼしていることでしょう。
たとえば、現世にて素晴らしく活躍している人は、前世からの持ち越した才能を発揮していると考えられます。生まれ持った才能や能力は、何らかの心の情報を時空を超えて表に出てきた形と言えます。
音楽の才能や芸術の才能などは、親から子供の遺伝というよりも、前世の自分自身の才能が開花した形でしょう。前世にて死を迎えたときに、その種であった才能は魂の脳の中に保存されていた状態で、再び生まれるときに、新しい肉体にインプットされたことを気付かないまま、ある日、何か心にショックを与えるほどの体験などをすると、それが表に出て来ることもあるでしょう。
ですから、もしも、あなたが来世で何か大きな活躍をしたいと願うならば、今からそれを始めることを薦めます。たとえ、現世では大きな成果がないかも知れませんが、来世では時空を超えて成功出来るかもしれないのです。
さて、ちょっと運命と前世の関わりを考えてみましょう。
前世の記憶が遺伝するということを申し上げましたが、遺伝というのは染色体などではなく、自分自身の前世の体験などが伝達された状態です。
前世で体験したこと、考えたこと、研究したこと、遣り遂げたことなどの意識の遺伝機能が、エジソンのように研究であったり、ダ・ビンチのように芸術に関係する才能であったりします。
テレビ画面に現れるスポーツ選手や芸術家たちも、偶然の産物を現世に持ち合わせていません。彼らの前世における鍛錬の賜物が現世にて開花した形でしょう。
こうした活躍をする人たちの運命を見てみると、彼らがそれにふさわしい運命を持っていることがわかります。
もちろん、彼らが活躍する時期もタイミング良く、見えない力に招かれてある有力者に会ったり、その場にたまたま居たりということも運命的にも恵まれている場合もあるでしょう。
私たちの誕生日、時間でさえも、決して偶然ではありません。
自分がこの時期に生まれることで、前世で学んで来たことを開花させることが出来るからこそ、あの世で守護霊、指導霊などと共に何度も話し合いながら、この世に転生しているのです。
前世の記憶は、才能に関するものだけではありません。今、あなたが関係する、家族、恋人、夫婦、子供、友達などに対する想いや、記憶も保持されています。
前世で出会った人たちと何度か転生を繰り返すことが多いようです。
たとえば、前世で仲良かった夫婦は、現世では赤の他人だが、初めて会ったときから、親近感を感じる人もいれば、結婚まではスムーズに行ったが、夫婦になった途端に喧嘩が絶えず、憎しみの方が強い夫婦もいるでしょうし、前世では仲の悪い夫婦だった為に、現世では兄弟として生まれてきたりすると、現世でも仲が悪い状態が続いたりすることもあります。
夫婦を何度も繰り返す中で、妻が夫に入れ替わったり、夫が妻になったり、母親が夫になったりと色々なパターンで生まれ変わることがあります。
こうした人生の設定は、生まれる時点で決定していると考えられます。
前回で綴ったように、家族の運命にて、夫の運命が悪くなると同時に、妻の運命も悪化してしまうこともあるでしょう。
仏教ではこのような状態を「因果関係」と言っております。
突然に起きる不幸な事件や事故の背後にも、このような秘められた原因があると考えられます。これは不幸の原因だけに限るものではありません。
もちろん、幸福の原因もこのような原理によるものでしょう。苦しく悶えながら生活しているときに、見ず知らずの人から助けられたりすることもあるでしょう。偶然の奇跡に思えるような救助劇の中にも、このような例があります。このような話をすると、現在の苦労もすべて前世の影響かと思えて来ることでしょう。
キリストのたとえ話の「毒麦」「からし種」などを参考にしてみて下さい。
因果応報という原理は確かに存在します。しかし、それをすべての法則に当てはめることはできないでしょう。このような原理ですべてを解釈しようとすると、そこに矛盾が生じてくるのです。たとえば、現象のすべてが前世の因果であるとすれば、その発祥の起点はどこでしょうか。旧約聖書のアダムとイブの子孫であるかも知れないとなるでしょう。
そして、必ずしもすべてが前世に起因するものではなく、努力しようにも、意志の弱い人などは、一生懸命に生きているが、魂の成長が出来ないままで、現世での修行時間も終了してしまい、この世での成果があったかどうか分らないまま、この世を後にして行く人もいるでしょう。しかし、決してその人たちは怠けていたからではないかも知れないのです。
一生懸命生きたが、「自分自身の心の癖」を理解出来ないまま、この世を後にしてしまった人もいることでしょう。
つまり、「思い」は原因であり、現実の人生は「結果」なのです。
どんな種でも、蒔かないと種子は生えてきません。
からし種から、葡萄はなりません。
種子は「原因」で、実りは「結果」なのです。
この宇宙では、結果は原因しだいなのです。どんな場合も、原因どおりの結果がもたらされるのです。
目に見えないこころの世界の種子があるゆる面での種子となり、原因となります。
その種子から生じた結果が、今の現世でのあなたの人生なのです。
実りには、土地が大きく関係します。十分に耕されている豊かな大地であれば、同じ蒔かれた種も、豊作へと変化して行くことでしょう。
私たちは人と比較しないと生きていけない生き物かもしれません。自分よりも人の人生の方が素晴らしい人生に思えてしまいます。そして、その人に対して批判を直接ではなくても、言っているかもしれないでしょう。
運が悪いと決め付けているのは、他ならない自分自身に気付くべきでしょう。
運が悪いと思い込むと、運が悪いのが居心地良かったりする人もいるでしょう。
現世にて、「私が運が悪いのは、前世悪いことをしたから、こんなに惨めな人生なんだ」と決して想ってはいけません。
もしも、あなたが今の人生に満足していないのであれば、心の考え方を変える必要があるでしょう。
そうすれば、あなたの運命は変わります。
長い文章をお読み頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
合掌