神秘の聖地 イスラエル渡航記 パート1

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
イスラエルはどうでしたか」と大勢の方にメールで聞かれております。
イスラエルの感想は「楽しかったです!」
すでに軽いタッチでメルマガには書いたのですが、学習無くして行ったのですが、ツアーガイドさんの説明や現地で色々な人々と交流出来たので学び深い旅となりました。
エルサレムの旧市街は最近では4つに分かれているようです。
ユダヤ人、ギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ系アラビア人
イスラエルの国土はほぼ四国と同じだそうです。
キプロスの国土は四国の半分ですから、その倍の場所に600万人の人々が住んでいると思うと人口密度が高いそうです。さらに、人も増えているが車の数も増えているそうです。
イスラエル人の子供はオレンジジュースを沢山飲んで育つと言われたそうですが、最近では、オレンジの木を切断して、開拓した場所にマンションが立ち並んでいました。
テ・ラビという町はアメリカのシリコンバレーの次に大きなエレクトロニクス、コンピュータ企業が軒並みに並んでいました。日本の会社もありました。
私達が滞在したエルサレムはテ・ラビとは違い、2000年前をそのまま残した面影がどこを歩いてもライムストーンと呼ばれている石作りの建物で作られていて、感動的でした。
旦那は石が好きなので、「ここに住んでも良いな〜」と言い出すほど、どこも彼処も白くて黄色い石の外装は素敵でした。
壁の中は車が通過出来る道路の幅が狭いので、かなり小さな車が重宝されていました。
壁の中の旧市街には神秘が一杯圧縮されている感じでした。
エルサレムという場所は、イスラエルパレスチナとの要所だけでなく、ユダヤ人にとっては、エルサレムは首都であった場所であり、嘆きの壁で有名な場所には、エルサレム神殿が置かれていた場所ですが、キリスト教徒にとっては、エルサレムはキリストが処刑され、埋葬され、復活した場所でもあります。
また、イスラム教にとっては、エルサレムはムハメッドが天昇した場所として、岩のドームと呼ばれている場所は重要視する場所でもあるそうです。
ユダヤ教キリスト教イスラム教が小さな場所に集まっておりました。
イスラム教徒にとっての聖地はメッカと呼ばれているサウジアラビアですが、キリスト教にとっての聖地はイスラエルエルサレムとなります。ユダヤ教エルサレムとなります。
私はキリスト教徒ではありませんが、キリストの教えは素晴らしい真理だと思います。
イスラム教徒達が毎年12月の8日辺りから、世界各国からメッカを巡礼すると、ハッジになれます。
キリスト教徒の場合、エルサレムのキリストが亡くなった場所の教会、さらに、ヨルダン川でバプテストを受けたり、キリストの誕生した場所ベツラハムの教会を訪れることで、キリスト教徒のハッジになれるそうです。
私もキリスト教の巡礼をしたのでハジャ(女性の場合)になりました。
なったからと言って、何かが違うということはありません。
イスラム教徒であれば、ハッジになると称号として名前に取り入れることも出来るそうですし、尊敬されるそうです。
ユダヤ人でキリスト教の人は皆無だそうです。
でも、しっかりイスラエル人はキリストのお陰で世界各国からキリスト教の聖地を目指して、遠い国から来ている観光客で溢れていました。
イスラエル人のツアーガイドさんや旦那の知人もユダヤ教徒は絶対にキリストを神の子だと認めないと言っていました。
予想はしていた金曜日の夕方から土曜日の夕方頃までのお努めの「シャッバート」でしたが、イスラエル入りしたのが金曜日の夜中だったので、少しホテルで仮眠して、ホテルで朝食を取り、旧市街を目指して、嘆きの壁に徒歩で歩き、お土産が売っているマーケットを通るだけで、お土産がどんどん増えて行って、ホテルに荷物を置いてから、どこかで食事を取りたいと思って散策したのですが、少し前まで車や人で賑やかだったところに誰もいず、犬や猫でさえも歩いておらず、電気まで切っているので暗く、車で走っているのは唯一タクシーだけ、日本食レストランがあるとグルメブックと地図を参考に3回ぐらい同じ場所を歩いて見たけど、探せず。結局、のろのろと土地勘の無い私達はホテルで食事をすることにしました。コーヒーショップもスーパーも閉まっている状態。まるで、クリスマスの日にキリスト教の国に行ってしまって、どこも開いてなくて、買い物も出来ないという感じに似ていますが、キオスクぐらいは開いているだろう、最悪、ジャンクフードで良いやと二人でお腹を空かしてホテルの料理はKOSHER料理(カシュルート)。
シドニー時代にユダヤ人のお宅にホームステイしたことがあったときは、食べれた気がするのだが、イスラエルのは本場のカシュルート料理なのか、香辛料が強くて、食べれない状態。周りを見ると、イスラエル人の中に私達二人は座り、世界各国のラビ信者達がフランス語で話していたり、ドイツ語で話していたり、アメリカ英語で話していたり、突然、家族みんなで手を繋いで歌を歌う中にいました。
不思議な空間の中でワインを飲んでいるのは私達二人だけ、生粋のユダヤ人は葡萄のジュースを飲んでいた。
私達が宿泊したホテルは旦那が予想していたユダヤ人の泊まるホテルだったに違いない。料理もサラダやカシュルート料理、タバコ、お酒を飲まないユダヤ人の泊まる場所だから、お部屋もタバコ臭くなく、誰一人とタバコを吸っている人は見かけなかった。
香辛料の強い魚を旦那は食べた様子で、お部屋に帰って痒い、痒いと言っていました。
香辛料無しの方が有難いなと思いつつ、ワインも1本飲めないというと、ウェーターさんがお部屋に持って帰って飲んでも良いと言われて、そうしました。
ラビ信者が歌う歌詞は分かりませんでしたが、空間を共に出来て楽しかったです。
死海、ベツラハム、マサダのお話は次回に致しましょう。
お読み頂き、ありがとうございます。
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