生かされている

こんな人生なら生まれて来なければよかった。
自分でこの世に生まれて来ようと思って生まれてわけでもないのに、なんでこんな親元に生まれて来たのだろう。と、自分の逆境を他者のせいにしてしまうこともあるでしょう。この世に生まれて来たのも、自由意思なのです。
生まれ変わることで、この世でカルマの解消が出来るから、軽くなるから、遣り残したことがあるから、人の為に役に立ちたい、神さまのお役に立ちたいと願って、自ら、自分の魂が選んで来た人生なのです。
文句を言っていた人も、何かの拍子で人生が好転すると、昨日までは誰かのせいだといい続けていたことを忘れてしまい、自分をこの世に生んでくれたことに感謝することでしょう。
私たち人間は浮き沈みの激しい人生をさ迷いながら、自分がなぜ、この世に生まれて来たのか分かっていません。
そして、人生の中で何が起ころうとしているのか、分からないまま生きています。
生まれて来ること自体が摩訶不思議なことですから、自分がどうして、その両親を選んで生まれて来るのか、どんな人生を歩みことで、この世で様々な経験ができるのか、わからないまま生活しています。
この世に生まれたのも、今の生活をしているのも、すべてが自由意思かと言えば、そうでないときもあります。
ひとり一人、生かされているのです。
生かされていることを理解することで、内側から何かを感じることでしょう。
ただ、楽な生活やガラクタの収集のために、この世に生まれて来たのではなく、苦労することで、人に優しくできたり、他者の
こころの痛みが少しでも分かることで、学ぶことができるのです。
苦労もしないで生きていても、あの世に帰るとき手ぶらで帰って後悔するのは、その人自身なんです。
人生が常にばら色だったら何ひとつ学べないまま、生まれて死期を迎えるまで、魂の向上もあまりないまま、この世から肉体だけが無くなるだけです。あの世に帰って、もっと生きている間に学べばよかったと思っても後の祭りになります。
死後どこに行くかは、どのように生きたかで決まります。
どれだけ自分が苦労したのか、人様のためにお役に立てることが出来たのか、自分自身が知らなくても、しっかり向こう側で書き留めてくれています。
向こう側にいる魂たちは、みんながみんな高いところから見守ってくれているわけではありません。
未浄化霊になり、子孫の魂が向上することで、帰る道を照らして貰えるときがあります。
いま、受けている苦しみが大きければ大きいだけ、家族ぐるみで功徳している魂のグループが存在しています。
個人のカルマ、家族のカルマ、地域のカルマ、人種のカルマ、国のカルマ、地球のカルマ。
様々なカルマが複雑化して、多くのカルマを背負って生きています。
すべて私たち人間が作り出したカルマです。
自分達でカルマを刈り取らない限り、解消出来ません。
解消出来ないまま、終わることはないのです。
魂は永遠に行き続けます。
だからこそ、手と手を併せて、この世に生まれて来たことを感謝しながら、亡くなった人を思い感謝することで、自分がこの世に生かされていることを実感できることでしょう。
本来、供養するということは特別に大変なことではありません。
人間として当たり前の真心なんです。
日々、感謝しながら、自分の心と向き合いながら、生活することで、どんな過酷な条件で生きようとも、幸福に満ちた生活へと変化して行きます。
人の為に生きようとする姿は、向こう側で見守っている魂たちの想いと似ています。
一生懸命生きた分、幸福で満たされて行くことに気づくでしょう。
ありがとうございます。

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