すべての命は尊い

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生まれてくる子どもが五体満足でありますようにと願うのは、親として当然だろうと思います。
出生前の診断で胎児が障害を持っていることが分かったら、多くの人は悩むでしょう。
妊娠中に堕胎することも出来るでしょうし、産むことも出来ます。
魂は自らの意思で親を選んで来ますが、産むことを選択をするのは両親の意思になります。
現在の医学は進化していますから、胎児に異常があるかどうか、早期に見つけることが出来るでしょう。
障害児を生み、育てるだけの覚悟がない場合は、中絶するケースもあるでしょう。
障害を持った子どもを育てることは、体力的にも精神的にも強くないと出来ないことでしょう。
この地球上には、色々な障害を持った子供達が存在します。
医学が進化して行けば、障害を持った子どもが、この世に生を受けることは無くなるかどうかは、分かりません。
たぶん、少なくなっても障害を持った子どもは生まれて来ることでしょう。
すべての障害児を産まないと選択した両親がいたとしても、たぶん、生まれて来ることでしょう。
その障害の子どもは、この世に生を受け、健常者の私たちよりも物事が理解しがたいというだけだったり、身体は不自由だが、高貴な魂の持ち主だったりします。
この世に転生して来る理由は、学ぶことです。
知ることによって、神に近づけることが出来るのです。私たちが知っていると思っていることは、まだまだ、未熟で無知に近いでしょう。
ここ最近は、社会が障害者に対しても偏見が薄くなっているので、昔のように、障害の子どもと歩いていても、冷たい目線や罵倒されることも少なくなったと感じます。
逆にそんな方達が一所懸命生き、頑張っている姿を見ることで、五体満足の私たちはもっと前向きに生きなければと元気を貰うことも出来るでしょう。
私たちは、この地上に生まれ、多くの体験を通過し、また、あの世に帰ります。
ピュアな赤ちゃんの体から、子どもの体、子どもから成人へ、成人から老人へと誰でもが通る道を通ります。
老人のまま、この世に居続けることは出来ないから、古くなった服を着替えるように時期が来たら、肉体をこの世で脱ぎ、霊界に帰って行かなければなりません。
私たちは色々な肉体を纏い、この世で生活しています。
あの世で決めた自分の魂の成長の為、カルマの解消の為、使命の為、そして、弱者のためにこの世に転生して来ています。私た
ちの人生は偶然ではありません。
私たちは両親を自分で選んで来ています。通常はこれまでに縁のあった魂を親に選んで来ることが多いようです。
子ども、成人へと肉体的にも成長しながら、霊的にも成長して来ています。
肉体の死によって、この世を去っても、あの世でこの地上より高い意識で学び続けています。
この世では、幼稚園ぐらいの魂から、大学生ぐらいの魂が共存しています。
何度も転生を重ねることで、魂は高貴になればなるだけ、肉体にハンディを持って生まれ、未熟な魂達へ、「生きるとは」を教えてくれているようです。大きな大志を持って生まれて来る障害児も少なくないでしょう。
彼らは地上に舞い降りた天使達なんです。
正常か、異常かは、わたし達は分析結果から他の人を判断します。
霊的な面で言えば、ハンディを持っている方たちの魂の方が高貴だったりします。
彼らは、人を信用するかどうかは、その人に権力があるかどうか、お金持ちだからとか、学歴が素晴らしい人だからという理由付けで、相手を見定めません。
子どものようなピュアな魂を持っていれば、直ぐに抱きついたり、話をし始めたりします。
ダウン症と呼ばれている子供達は、どこの国でも、同じようなお顔で体型も似ています。
3歳から5歳ぐらいの知能のままで、大人になり、年を取るようです。
1000人にひとりの確立で、染色体が健常者よりも多いようです。治ることはないそうです。
一般と違うと言う事は、それだけ、何かが違うということでしょう。
わたしは幼い頃から、姉のさーちゃんがダウン症でした。わたしが物心がついたときも、声を出して話していませんでした。ですから、学校で誰かに突き倒されて、さーちゃんをジャンピング・マットとして使っていた子ども達に悲鳴をあげることも、泣き声も聞こえなかったそうです。
わたし自身もさーちゃんの事で虐められました。
でも、何で虐められたのか、理解不能でした。
さーちゃんは誰にも悪いことも、迷惑を掛けるどころか、静かで大人なしく、話すこともせず、達磨のように、黙っていただけでした。
自分では作ることのない傷を作って、学校から帰って来ていました。
クラスメイトの子ども達はさーちゃんとは違い精神的にイライラする子供たちで急に叫んだり、人を殴ったり、髪の毛を引っ張ったり、人を蹴ったりするような子ども達と一緒だったようです。
温厚な父に比べて、母は勝気な性格でしたから、担任の先生に抗議をしたりしていました。
さーちゃんが中学校へ行くようになってから、男性の養護の先生との出会いで、姉はバレー部に入ったりして、声らしい声を聞くようになりました。
ひとりで何かをするのが好きな性格だったようで、鼻歌交じりで、ハッピーでしたね。
わたしが漫画本を読んでいると、側によって来て「かっこちゃん、この女の子かわいいね。」と言うので、生返事のわたし。「かっこちゃん、この女の子、かわいいね。」と言っては、かわいいものが好きだったようです。「さーちゃん、この漫画欲しい。」と聞くと「わから〜ん。ビックスマイル」
「あげるよ〜。」と言うと、「ありがとね〜」と言って、寝そべって、本がぼろぼろになっても、また、同じ本を手にして、バイブルのように見入っていました。
言葉数が少ないさーちゃんでしたが、「愛している」「好き」という言葉は頻繁に使っていました。どこで覚えたのか。今でも、良く使いますね。
さーちゃんの場合は、美味しいものが大好きなので、丸太のように丸くなって行っていました。母も父も姉が食べるのを見るのが好きで、食べ歩きにも良く連れて行き、身長が低いので、丸く、ころころしていました。
さーちゃん達、ダウン症の子ども達は大人になっても子どものように、欲がない。
欲が無いから、我を捨てる必要もない。
素直で幸福なので、怒ることもない。
わたしがさーちゃんと接すると、他人の苦しみや悲しみのオーラを活性化しているように感じました。
わたし達が見えている物に対して、さーちゃんたちは、もともと欲がないので、それが無くてもあっても困らないと思っているかも知れない。
最終的には同じ目的地で再会することになるでしょう。
早く目的地に着いたからと行って、功徳を誰に求めるのでしょうか。
ひとり、一人の命はこの地球にとっても、あなた自身にとっても宝なのです。
あるがままを受け入れると心が軽くなることでしょう。
ありがとうございます。
合掌
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どこかで、すでにお伝えしているかも知れませんが、私の実母はさーちゃんとは一滴も血が繋がっていないのです。父の死に別れになった前妻との子どもだったのです。人付き合いが苦手な父でしたから、母が亡くなってからも、母が産んだ子どもだと思っていたご年配の方々も大勢いらっしゃいました。わたし自身は、血縁に対して、こうあるべきとか気にしていなかったので、大人になって、母の子ではないぐらいで、家族にはかわりありませんからね。

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