人生の目的 パート2

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
真理の探究を始め、瞑想したり、スピリチュアルの本を読んだりして、生活していると、「自分の人生」「自分の人生の目的」は何だろうと意識し始めます。
「人生の目的」を知りたくなることでしょう。
「なぜ、私はこの世に生まれてきたのか。」「なぜ、今、この悩みがあるのか。」「なぜ、この両親のもとに生まれてきたのか。」「何のために、ここにいるのか。」「なぜ?」「どうしてだろう?」と色々な疑問を抱くことがあるでしょう。
外の世界に幸せを求めても、心は満たされないことに気づくことが、ある程度の歳を迎えたときにすこしでも、分かった人は幸せでしょう。
幸せと同じように、「人生の目的」も探しても、簡単に見つかるものではないでしょう。
見つけ出すことが出来ないから、諦めてしまうのではなく、疑問を抱くことで、知恵の輪を解くように、考え、悩み、そこから、何かを学ぶことも出来るのです。
私たちに出会う身近な出来事は、私たちにとって、すべてに意味があるのです。
色々な出来事は、私たちに生きる「道しるべ」として、私たちが「自分の人生を生きる」「自分を知る」ために必要な道であり、その道を通ることで、「気づく」ことが出来るのです。
若い人が「人生の目的」を知ろうと焦る必要はありません。
深い部分を理解するには、多くの経験の積み重ねによって、「生きる目的」が見えて来るようになるのです。
ですから、表面的で物質世界の評価に振り回され過ぎると、本来の生きる目的から目を逸らしてしまいすぎて、脱線したまま、死を直前として「なぜ、もっと自分と向き合うことをしなかったのか。」と悔やむことになるかも知れません。
時間が無かったから、そんな環境に生きていなかったと言い訳しても、自分自身を知ろうという行為は以外と勇気のいるものです。
コンプレックスやトラウマを抱えていればいるだけ、さらに、自分をしることほど、辛い道のりはないでしょう。
しかし、自分を知らないままでは、「人生の目的」の扉を開く機会も訪れないでしょう。
釈尊、キリスト、ダスカロスという聖人達でさえも、「自分を知る」ことを私たちに教えて下さっています。
「WHO AM I?」
自分の育った環境、両親、友人、どんな因縁のもとに生まれたのかを除き、裸で生まれたときの意識が戻る事で、物心の心から、貢献の心へ、辿りついたときに、人生の目的を理解できる人もいることでしょう。
物質を手にいれるために、この世に生まれ変わったのではなく、魂のレベルアップのために、生まれ変わったことを覚えていて下さい。
その原点さえ忘れなければ、人生の途中で何かを手放さなければならない出来事が起きたとしても、手放すことで、もっと深い部分で真理を理解できることでしょう。
そして、生まれる前の直前の記憶を思い出すことが出来るでしょう。
「この世に生まれた目的」は、ひとり、一人、異なります。
だからこそ、困難な道に感じることでしょうが、私たちには大きな味方が常に誘導して頂いています。その味方は守護霊さまです。霊的な生き方をしたいと思えるときが来たら、二人三脚で私たちと伴に歩み続けていらっしゃる、守護霊さまに問いかけ、感謝の言葉を伝えましょう。
そうすることで、あなたの魂は遠い昔を思い出すことでしょう。
そして、あらゆる出来事を通じて、自然に「人生の目的」へと導かれていくことでしょう。
ありがとうございます。

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