大切な人を亡くしたあなたへ

1319117692_Beautiful
こんにちは
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今年は本当に寒いですね。キプロスに帰って来て雨ばかりでいつもなら夏の水不足を心配しなければならない状態ですが、今年は山は大雪、国土全体も水が豊富で良かったのですが、電力不足が解決していないので、今年の夏も計画停電になるかも知れないです。
さて、キプロスに帰国して忘れないうちに書いたノンフィクションのお話ですが、脱字が目立ってしまって近いうちに修正する予定でいます。
また、デジタル本へ編集したのちに更新する予定でいます。
今年も1ヶ月が過ぎてしまいました。
ゆっくりペースですが、ブログの更新もして行こうと思っています。
どうぞ、よろしくお願い致します。

3回目の大切な人の死を2011年の12月の終わりに体験させて頂きました。
人は必ず肉体を離れ、霊界に帰って行きます。
しばらくの間は、現世での繋がりの人から、霊界に帰る準備期間として、教わる時間が設けられています。
霊的な視点からみると、死は「魂が帰る場所」です。
たましいの故郷へ帰れる人は幸せです。
本人にとって死に対する苦しみはありません。
逆に長期に渡り、老衰状態になっても延命治療をして、横たわっているご老人の方々は、死ぬに死ねない状況で痛みに茂垣苦しみ、死を受け入れられない家族が長生きの方が幸せで、短命が不幸だと思っているかも知れません。
便利な世界になり医療も進化し続けるいま、「死」は悪い出来事のように、触らぬ神に祟りなしのような感覚に変化しているかも知れません。
霊界に帰ることができる魂たちは、家族に感謝の思いを色々な形で伝えようとします。
ですから、霊界に帰る人のことを生きている人は心配する必要はないのです。
霊界にいる魂の方が、「そんなに心配しないで欲しい」と願っています。
私の父はまだ帰ったばかりですから、霊的な年齢は「子供」になります。人によっては自分が一番好きだった時期に戻るようです。
あの世に帰ったからと言って、肉体を持っている私たちと異なるところはあまりないようです。
歌を歌うのが好きな人は歌を歌い、ダンスが好きな人はダンスをしたり、この世で行っていたことは大まか遣っているようです。
ただ、食べたり、飲んだり、お金儲けをしたりすることは霊界ではすることはないようです。
しかし、遣り残して死を迎えた人は、後悔することもあるようですが、霊界に帰れば守護霊たちが両手を広げて歓迎してくれます。
霊界に帰れないまま、肉体を失ったことを理解しないまま、うろうろとこの世の境目で生活をする霊にならないように、日頃から「死」を受け入れる霊的な学びも必要でしょう。
あの世に還ってしまった魂は、遺された家族が幸せに暮らすことを心より望んでいます。
大切な人を失ってしまうと、「あのときにああしてあげておけば良かった」と後悔したり、最後に会えなかったり、喧嘩した後に事故で大切な人を亡くした場合、突然、愛する人を亡くした場合、色々な思いに苦しむこともあるかも知れませんが、亡くなった人は、思ってくれるだけで感謝して下さっています。
肉体を持って生きているほうがいつまでも悔やんでいたら、あの世に帰るのを遮ってしまい未浄化霊を誕生させてしまう可能があります。
もしも、本当に亡き人を想うなら、遺された人は精一杯に自分の人生を生き抜くことが、亡き人の供養になります。
元気で明るく、幸せになることが本当の供養になるのです。
大切な人を見送ってしばらくの間は、悲しみも深いのは当然です。
どうぞ誰の遠慮も要りませんから、思いっきり泣いて下さい。
でも、いつまでも泣いていてはいけません。
本当の意味で亡くなった人のためになりません。
霊界に還った人は、明るく、素直に子供に戻り、また、あの世で学ぶことが沢山あります。
来世の為に、現世での反省をしながら、学び続ける必要があるのです。
「かわいそう・・・。」と初めて、前夫を失ったときに言われた言葉ですが、私の中では「なぜ?かわいそう?」と思うわれるのか分かりませんでした。
悲しいことは確かですが、時間と伴に大切な人の死を受け入れることで、生きている私自身の生き方が変わりました。
死を想うことで、深く見えない何かと繋がることが出来たことに感謝です。
今回の父の死を通じて多くの気づきを頂きました。
ですから、日本に帰国して体験したことは辛いこともありましたが、貴重な体験が出来たと心から父に感謝しています。
「お父さん、ありがとう☆」
次は、介護のことを書きたいと思います。
ありがとうございます。
1327914447_shizuku