奇跡を信じて、諦めないで生きる


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私たち人間は裸で生まれて来ます。

何も持たず、この地球に生まれて来ています。

私の好きな禅語に「本来無一物」という言葉があります。

その禅語を言った僧侶は慧能ですが、貧しい家に生まれた慧能がどうやって中国禅宗六祖にあたる達磨の後継者になれたのかお伝え致しましょう。

ある時、五祖弘忍(ぐにん)が後継者を決めるために、弟子に「詩を書いて提出せよ」と言いました。

第一人者といわれた神秀(じんしゅう)が、まず提出して、満座の僧達をうならせました。

『身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し 時時に勤めて払拭せよ 塵埃を惹かしむることなかれ』

※「われわれのこの身は、悟りの花が咲く菩提樹のようにすばらしいものである。心も、研ぎ澄まされた鏡のようなもの。いつも努力して煩悩の塵(ちり)を拭き去るようにしなければならない」

この美しい詩に、そこにいた僧侶達は皆、神秀こそが後継者に相応しいと思いました。しかし、雑用係をしていた慧能(えのう)という男が、そのような詩は禅の精神に反する、と言って自分の詩を提出しました。

『身は菩提樹に非ず 心は明鏡台に非ず 本来無一物 何の処にか塵埃を惹かん』

※「われわれのこの身は、菩提樹ではなく、心も、鏡のようなものではない。本来、何も持っていないのだ。だから、煩悩の塵などはふりかかりようがない」

弘忍は慧能こそ法を継ぐに相応しいと判断し、自分の衣鉢(いはつ)を与えました。

忘れてはいけません。

私たちは魂の向上のために生まれ変わっています。

物質をたくさん持つために生まれ変わったのではありません。

しかしながら、それが生きていくにつれて、いろんなものを持つようになり、それとともに、心は豊かになるどころか、逆に縛られていくことになります。

何かを失うからといって、あなた自身までが失われることはありません。

もともとは何も持たずに裸一貫で生まれて来ているので、何を恐れることがありますか。

何も持たない状態というのは、逆に言えば、何でも持てる可能性があります。

どんな人にも、必ず可能性が秘められています。

 

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可能性がない人など、この世に存在しません。

しかし、その要素をどのように引き出すことができるかということがもっとも難しいのです。

自力で悟る人もいれば、他力で悟る人もいます。

最悪なのは知らないままでこの世を去ってしまうことです。

諦めたら、可能性もゼロになってしまいます。

いま、行き詰っている人、あるいは自信をなくしている人。

もしも、そうなら、もっと自分を信じてあげることです。

あなたの能力はまだまだ十分に発揮されていないだけなのです。

もっと、能力を引き出す努力をすれば、必ず、その道は開けて来ます。

あなたの持って生まれた可能性を信じてあげることです。

もちろん、人生とはすべてが上手く行くものではありません。努力が報われないこともあるでしょう。

それでも前向きに頑張って見てください。

前に進むことを恐れないで下さい。

回り道をしても、あなたが前に進むことで、道が開けて来ます。

そして、ある日、夢にも思わなかったことが訪れることでしょう。

ありがとうございます。

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