『エゴ』という名の力比べ

こんにちは
去年からこの『エゴ』という言葉が気になりいろいろと自分なりに研究した。
でも、この『エゴ』という言葉は理解出来ないときに、旦那に『エゴ』とは何と聞いたことがある。
いつも私は旦那に教わることが多く、私にとってはスピリチャリティのドラえもんだと思うほど質問すると答えが返って来る。
答えが返って来るからと言って、毎回聞いてはいない。
深く考えても出て来ない答えにヒントを貰ったりしている。
ある夜、スピリチュアルな話をしながら、日課の公園を散歩していた。『エゴ』とは何だろう?「どうして人間はエゴがあるのか?」と『エゴ』とは何?と悶々と考えていた時期がある。
その話をすると、「『エゴ』はギリシャ語でみんな毎日単語で使っているでしょう?」と言うので、「いや、ギリシャ語はあまり理解していないから・・・」「エゴはギリシャ語から来ているのは知っているよね?」「いや、勉強不足だから知らない。」
「では、教えてあげるね。エゴは英語でいう「I」、ほら、エゴ イメ・・・と使うでしょう。」「え〜!エゴって「私」という意味なんだ!」このとき、わたしのあまたはどう表現していいのか?
ギリシャ語で思いっきり、「カタラバ!」と言って喜んだ!
なるほど、だからエゴ=Iだったら、答えが出たね。

世の中にはこの「エゴ」を知らないから、つまり、自分を知らないから外の世界に目を向け過ぎて、自分が誰なのか?自分の天命を知らずして、物質的追求を追い求めているために、エゴの餌食になっては常にこころが不安定で落ち着かない。
世の中の多くの人が追い求めているものは、お金だったり、地位だったり、権力だったりとほとんどが名前が違うエゴである。
物質的な追求を追い求めても安堵感が得られないことを21世紀の時代には理解しないといけないが、それがある程度解れば、この世も少しは心霊世界の天国の場所に近くなるだろうが・・・。
このメディア世界に突入してからは拍車をかけて偽りの世界を本物だと思って生活している人達も多い。
生きること=快楽的な楽しみだけを毎日の生活の中で追い求めている人がいるから、私は苦労したという人の話を聞くと大体が、お金の悩みだったり、学歴コンプレックスだったり、人間関係での力比べだったりする。人と比べるから自分のこころが不安にさせているだろうと思える。
虐められたからとか、経済苦が理由で死ぬのは人間だけだ。
ふと動物達にも好き嫌いがあることに気付いた。
野良猫たちの世界でもいじめはあるし、金魚でもいじめがある。
小さな金魚はちょっと哺乳類でないので、金魚の気持ちは難しいがネコの気持ちはわからないでもない。
そんなネコたちが虐められたからと言って「自殺」するかとなるとならない。生きることへ貪欲なので、どうにか生きるたいと願うというか本能で毎日の食べるモノをどうにか食べ、食べれないときは少し我慢して春を待ち、春になるとどうにか蛙や蛇とか食べたり出来るし、鳥も食べたり出来る。
死は必ずやって来る。
この世に送り出される前に多くの魂は多くの魂の期待と共に自分の魂の向上の為に、そして、前世にて出来なかった未練や使命として生まれて自分の意思で生まれ変わっている。
だから、その意思を貫かないで死んでしまうと成仏できない魂のままでうろうろとしてさ迷ってしまう。
突然の死の宣告を受けたりして、余命があと10日間というわたしの前夫などは「生きていたい!」と願った人だった。
快楽ばかり求めているから、その快楽を通じて魂の向上は残念ながら得られない。
私などは他の霊界サロンでブログをお書きになっている方からすれば若い方に入るモノが、生きるとは?と話を書くとおこがましいが、幼少時代から身体が弱い私からすると、もういつ死に神様が来てもおかしくないと思える体や事故の体験者からすると、生きていないと魂の修業は無理だということだ。
同じゴールを目指している地球人として一緒の地球に生まれてきているが、エゴを強調することが生きがいになっている勘違いの人達も沢山みかける。
パワーに餓えているから、自分で自分でエゴの奴隷になっている人が多い。この世に生まれたのはお金持ちになるためでもなく、地位や名声の為に輪廻転生したわけでもないが、ほとんどの人がなぜか?
五欲を追い求めている。
この世が借り物であの世が本物だということを言ったとしても、その場では分かっているつもりだが、やはり死期が近くならないと実感がない人達の方が多いだろう。
基本的にあの世とこの世はあまり変わらないというと、残念がる人もいるだろうが、この世であるものは身体という物質が備わっているだけで、あの世に帰るとその古くなった身体にさようならするだけだ。
だから、今が苦しいからと言って死を選んでも、身体がないだけで人間には見えなくても、あの世の世界に身体がないから帰って行ったが、この世にいるとき以上にこころが苦しいが、時期が来るまで待つしかない。
エゴを仏教的に言うと「煩悩」となる。
自分で苦しめているこの世の悩み。
エゴを無くすと、心に浄土を感じることが出来るだろう。
どうやったら、無くなるかとなると毎日の精進が必要だと思うが、自分を認めることかな?現世の今の自分を受け入れること。
過去世に拘ることもないし、自分の生い立ちや親に虐待されたとか、友達に虐められた、愛していた人に裏切られたとか生まれて今まで生きていると魂、魂での体験はこころの傷になっている人もいるだろうけど、それも後々、自分の辛い経験を通じて、人に優しくなれるだろうし、赦すことを学ぶことであなたが変わることも出来るし、周りにお手本として良い流れの作用があるかも知れない。
人生は長いようで短いものだ。とお年寄りは言っている。
私も昨日高校生だったと思っていたが、駆け足で今に来ている。
そして、まだまだ精進も怠っているし、修行不足ですが、きっと死ぬときには自分の人生は辛いことも沢山あったけど、いろいろな人に支えてもらって、いろいろと自分が肩肘張って生きていたときもあったけど、他者との繋がりで多くの勉強をさせて頂いたと思える人生にしたいと願っている。
読んで頂き、ありがとうございます。
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