本物のスピリチュアリストとは?

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こんにちは!
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
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宗教を学ばなくても、良いスピリチュアリストになれるだろうか?
「宗教とは?」となるとそれぞれの今までの生き方や環境やこころの癖が影響して賛否両論になるので、今回はその宗教とは?ではなく、いろいろな宗教が今でも存在しているが、スピリチュアリストと名が呼ばれている人、自称スピリチュアリストとして職業として生活している人も今の次元上昇中には至るところに輪廻転生している。
英語でスピリチュアリストとなるから、なんだか、デザイナーとか、アーティストとかミュージシャンなどと似ていてとってもトレンディーなかっこいい職業だと思う人もいるだろう。
しかし、スピリチュアリストと呼ばれている人、または自分がスピリチュアリストと思うのであれば、受身なのか?それとも、他者を導いていくかによっては、その人の人格が問われるだろう。
たとえば仏教とは何か?となると3つないし、4つほどの要素を考えなければならないが、一番は仏の人格である。仏の人格というものが仏教と名題を構成していると第一の重要な要素であるだろう。
仏の人格が偉大だったから、その偉大な仏が社会的にも影響を与えたと思える。
さらにこの仏が偉大だったから、今でも仏を中心にして動いていると思える。
この仏教に限らず、どの宗教もその人格が中心にならないものはないだろう。
その仏さまの人格が書かれている書物は沢山あるので、私がここで書くことは控えます。
ただ、どの本を読んで良いか分からないけど、仏の人格をあらわしている表現はどのような場所にあるか分からない人のためにも、少しだけ説明致しましょう。
阿弥陀経の中に仏のお顔を光顔巍々(ぎぎ)と表現しているところから分かるように、お顔が光輝いて山のごとくどっしりしている様子をあらわしている。
仏様が伝道していた時代に5キロ離れた場所からでも、仏様が黄金の光を放射しているのが見えたといわれるほどである。
今風な言い方をすると黄金のオーラが仏様から放つものだと思うと分かる人もいるだろう。
このオーラと人格がどう交じり合うかといいますと、仏様が生まれた時代にはバラモン教やシャーマリズム的なほかの宗教もありました。仏様以上に光を放していた僧侶もインドにはいたはずです。そんな中、仏様が2500年前に真理の体感をしていただいて今に至りますが、この心霊の世界もそうですが、誰かの話を聞いて信じるか信じないかとなると、そのことが本物であり、論理的であるからその話を聞いたからと言って、それを聞く側は信じることにならないのである。
まずは言っていることが本物であることもそうでしょうが、その言っている人の人格が、その真実の中に加わり、良い塩梅である必要があるでしょう。
つまり、真実と人格が交わることで、聞いている側は信じないといけないという心持ちをされてくる。
ですから、宗教の書物を1万冊読んだとっても博学な者でも、人格が伴わないとその真実は本を読んでいるのとあまり変化がないので、真実味がないとなる。
その人格と真実を話すことで、1+1=2ではなく、3という奇跡を招くことになる。この奇跡を起こす作用が「人格」である。
その人格は真理よりも大きく、人の心を作用しているとも言えます。
仏に限らず、キリストも同じで人格が人々のこころを惹き付けて、多くの人々が彼を慕い続けております。
他の3大宗教教祖さま方以外のシャーマンの方々、高貴な僧侶の方々、スピリチュアリストの方々の共通点はなんでしょうか?
私個人的な意見では、やはり人格が第一、その次は素直に自分が尊敬する先生などを慕い続けるながら、信じる強さがあるように見えます。
スピリチュアリズムと呼ばれているモノも一種の新興宗教(ほとんど、新約聖書からの教えを違う言葉で教えている)プラス 現場検証の心霊研究会とがが交わって出来た組織や協会であるが、基本はやはりキリスト教であろうと思われる。
どうして?キリスト教からの教えかは、そのスピリチュアリズムの組織を作った英国スピリチュアリスト協会の方のことを書いたエッセイをほかのブログで書いたことがあるのでここでは省略させて頂きます。
さて、この霊性と呼べる「人格」。
人を霊的な目覚めに導いて行くには、やはりこの「人格」が必要であろう。
そうなると、良いスピリチュアリストになる条件の中には、この人格が必要であるから、無宗教の人ではなれないだろうとなる。
シャーマンにしても、僧侶にしても、霊能者にても体験ももちろん必要だが、神を信じる、その神を信じることを教えてくれた仏教なり、キリスト教なりをある程度勉強している共に自分の真理の体感や奇跡といえる不思議体験が人格ともに人を真理の道へ導いて行く光として天命として活躍して行かなくてはならないだろう。
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