霊能開発学校は必要かどうか?

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ここ最近のスピリチュアル・ブームでいろいろな人からメールにて不思議なお問い合わせがある。
メールでのお問い合わせでの内容は『霊感を開発したいけれど、霊能者を育てる学校というのが雑誌広告で出ていました。その学校に問いあせてみると高額な額でしたけど、授業を受けると誰でもが霊感を使えるようになれるようですが、本当にお金を払えば霊能者になれると思いますか?』 他にも『カズコ先生は霊能者養成学校とか作る予定とかありますか?』などなどの不思議な質問が寄せられて来ている。
このスピリチュアル・ブームで霊能者になりたい、占い師になりたい、ヒーラーになりたい願望の人は多いと思います。英国では私もメンバーの英国スピリチュアリスト協会やその他でも日本で有名なスピリチュアル・カウンセラーの江原さんが英国に留学しているときに通っていた霊能者養成学校があることは確かです。
私自身は霊能系の家族一家ですから、持って生まれたものです。サイキック・カウンセラーとしてプロになったのも上からの指示でしたから、なろうと思ってなったわけではありません。
私よりも能力のある兄などは唯一、私が他界した前夫とどうしても誰かを通じて話しがしたいというのでイタコ(霊媒師)になってくれて身体を貸して貰って一度だけお話したことがあります。
そのときは丁度母が亡くなった時期も重なり、霊界で元気にしているか気になっておりましたが、誰かに依頼して霊界での様子を聞くということは自分のエゴだと思っていたので、誰かに相談するということはありませんでしたが、前夫が他界して、母が他界した際に兄とたまたま話している際に霊界や守護霊の話題になりました。兄は私以上の霊媒者だと思いますが、現世では普通に生きる道を選んだ様子です。
この普通に生きるということは大変だと思います。私も幼少時代から霊との対話で悩まされただけに、兄もそうだったというのは実は知りませんでした。少し歳が離れているので、霊の話しなどは母や祖母とはしておりましたが、兄がそんなに凄い霊能力を持っていたなんて思っておりませんでした。
それがどうして分かったか?わたしは兄と何度も輪廻転生を繰り返しているというのは分かっていました。あまり日本人として転生はしておりませんでした。過去世にてほとんどヨーロッパ人だったというのは兄の現世でのお顔をみると分かるでしょう。転生する際に自分で容姿を決めてくることが多いのですが、自分が親しんだ馴染みのお顔や身体付きを意識して再生してくることも多いのです。
その兄と同じ時代に中国人として生まれ変わったときがあります。そのときは家族としてでなく、お互いに独身で兄は少林寺、私は中国の都で公な場所で教える役目でいた様子です。
ですから、幼少時代は水墨画が大好きな私でした。兄などはどの靴を履いてもすべて踵をおって履く習慣が今でもありましたので、不思議に思っておりました。
その踵を折って履く習慣を解明して頂いたのは、兄の守護霊を見たときに、あまりにも高貴な人がついているので・・・、兄の前で「うそ〜!あり得ないよね〜!低級霊が付いていると思ったのに〜!」と冗談交じりに話していると、兄も「このおじさんね・・・、子どものころからうるさい人ね!」と茶化しながら知っている様子。兄に「お兄ちゃんもこの能力使って人助けしたら?」と聞くと「現世ではその役ではないから、前に一度、このあばら家に禅の托鉢のお坊さんが来たときにも、あなたの光を人助けの為に使ってあげて下さい。と言われたことがあるけど・・・。ワシは言い返したよ・・・。今日を生きるのが精一杯なのに、人の為に何かする偽善者になれるか?それにワシは目立ちたくないし、ひっそり暮らしたい。お前はお前で違う天命で生まれて来ているのだから、それをやれば良いよ〜!でも、本物の霊能者ほど下の力に使われやすいから気をつけろよな!」という会話をしたことがある。
霊能者は通常ヒーラーでもある。教わったわけでもないがほとんどの人が泳ぎが上手い人と同じで使い方を理解している様子だ。
そんな話よりも話を霊能開発に戻そう。
占いは私も教えて来た。これはマニュアルも存在する。
私個人の意見では霊感を開発するための修行というよりも、生まれ持った霊感をコントロールして日常生活に支障を出さないのが目的でした。
それは人が見えないモノが見える、聞こえる、感じることを繰り返していたら、霊界からの人、未浄化霊の人達、生きている人の悩み相談?などなどで一歩間違えれば、低級霊の餌食になってノイローゼになることもあると思います。
余談ですが、映画の「ビューティフル・マインド」の中で主人公は人が見えるモノが見えて精神科に送られたりしているシーンがあります。今では人が見えない霊界のお話をすると「凄いね〜!」となりますが、私も人が見えないモノや聞こえないことを話すときは少し躊躇するときがあります。
私の知り合い霊能者方は本当に子どものころも孤独、そして、身体が弱かったり、繊細なこころの持ち主が多いですから、どちらかというと心身を鍛えながらのこころの葛藤があったと思います。
結局、こころとマインドと身体のバランスが良くないと、霊的な通信もどことチャネリングしているか分からないし、自分では高級霊の方とお話しているつもりでも、実は低級霊の餌食になっている霊能者の方々も見かけます。
私も長い間の葛藤の中で日常の中で普通に暮らすことを重要視しています。お仕事と普段の生活は区別して生きるのが一番大事だと思います。人間はもともとサルの延長の哺乳類ですから、皆さんもサイキック能力は持って生まれているでしょう。ただ、私はわざわざ眠っているこの能力を起こさなくても良いのでは?と思います。どうしても必要な時はちゃんと直感が働きますし、霊能開発学校に大金を払うよりは日本であれば、お寺も宗教に関係なく、座禅修行と共にお寺のお勤めもさせて頂きながら、心身のバランスを取る本当の意味を教えてくれる場所もあります。
わざわざ外国からの影響でスピリチュアル・ブームで無理して霊能者なったとしても、霊感を開発したとしても、その後の生活までは学校はアフターフォローはないと思います。
霊能者に生まれた人の多くは同じことを言います。「別になりたくてなったわけではない。」
安易に霊感の開発など、お金を出してHOW TOを学ぶ時間があるなら、「WHO AM I ?」を学んで下さい。そうすれば、学校など行かなくても 「霊性が開けます!」
霊感は占いと違って、自分の為にならないと思います。
私が書いて来たメルマガの中でもお話していますが、「砂漠の中の井戸水」みたいなもので、自分が井戸ですから、自分はこの水を飲めない状態なんです。
霊が見えない人がわざわざ霊能開発をして、霊が見えるとなると、波乱万丈な世界に足を踏み入れない方が良いのにな〜!と心配になるときもあります。
霊能力があればあったで自分の未来に役に立つと思う人もいるでしょうが、生まれ持った霊能力の人達は輪廻転生する前にこの霊能力を自分の為に使うのではなく、他者の為に使うことを約束して生まれていますから、お役目(使者)としてこの世に来ているので、わざわざ学校に行く必要もないのです。
これもカルマなんです。
人の為に何かしてあげたいのであれば、違う奉仕活動も出来ると思います。
霊能者だから偉いわけでもありませんし、霊能者だからすべてを理解することは不可能なんです。
私個人の意見では霊能開発の学校は別に必要ないかな?と思います。
もちろん、霊能者の卵みたない人達も存在しますけど、ほとんどの霊能者は生まれ持ったモノですから、自分と戦いながら、上とコンタクトを取りながら自分自身を知りながら、他者の為に時間を割くことでスピリチュアリズムを学ぶことのきっかけになればと願う人もいると思いますが、多くの霊能者になりたい卵さんたちは「目立ちたい」というか、尊敬されたいと願ったり、名誉や地位の為だったり、お金の為だったりしないか考え直して下さい。
もしも、エゴの為であれば、最終的に低級霊の餌食になってしまうこともあります。
「愛と他者のため」に生きるということは波乱万丈に生きる覚悟をしておいた方が良いと思います。
つまり、十字架を背負って生きる覚悟をする必要があると思います。
違う言い方をすると「人魚姫」みたいに『霊能力』を得る代わりに、何かを失うことを覚悟してでも霊能者になりたいのであれば、それはそれなりの覚悟の上で能力を開発するのでしょうから、誰にも文句を言いに行かない方が良いでしょう。
お金を出して得た霊能ですから、それ以上の価値はないと思います。
ですから、霊能開発学校に行って、霊能者になりました。
はい、明日からHPやブログや口コミで「私は今日から霊能者です!」というのは変でしょう?
神様、高級霊様、そして、ご自身の守護霊様や背後霊の方は3ヶ月〜数年で修得した霊能などは「紙に書いた餅」ぐらいの役目だと思っていると思います。
今の時代は霊能者、サイキック、ヒーラーなどは迫害されたり、火破りや水攻めなどは少ないかも知れませんが、まだまだヨーロッパなどは伝統的な場所ですから、キリスト以外が人を癒やすことは不可能だと思っていますし、公に日本みたいに霊能者活動も不可能です。
世界一のヒーラーと呼ばれたダスカロスでさえも、日本語の本の題名は「メッセンジャー ストロヴォロスの賢者の道」ですが、英語ですと The MAGUS of Strovolos です。 MAGUSとは日本語で言う賢者に訳していますが英語では、人を騙すとか?マジシャンみたいな感じの意味です。
生前にダスカロスは他者の為にヒーリングや相談を受けて来ていましたが、彼も死ぬまで自分の名前を公表しておりません。キリスト教の背景からムディアムやヒーラーはご法度なんです。イギリスやフランス、スコットランドから外国人霊能者達がキプロスに出稼ぎに来ますが、やはり、神様、キリストが絶対の国です。
日本でさえも、自称霊能者が多くなりつつあれば、規制されて行くでしょう。
偽物も本物も混合している今の時代ですが、生まれながら持った才能は残念ながら消すことは出来ません。生まれ持った才能を他者の為に使っている霊能者の人達は慎重になっていると思います。
それは、近い将来、このブームが去る際に15世紀のヨーロッパみたいにご法度になる可能性もあるかもと思っているでしょうから、逆にこのブームで「イギリスで勉強して来ました。ですから、今日からプロです。よろしくね〜!」というインスタント霊能者もこれから増えるかも知れません。
私もイギリスでアメリカ人のおばちゃまとかで霊能開発の学校に行っている人に会いました。
話を聞いているとお金儲けかな?と思った人も多くいました。
残念ですが、霊能者になると必要以上にお金は入って来ません。もちろん、必要なお金は用意されているでしょうから、時期が来れば何のために使うかによってはまちまちですが、霊能者、占い師=お金持ちになれると思う人はやめておいた方がいいと思います。本当に低級霊に弄ばれて・・・。
というケースもありますし、低級霊は人間の考え方とは違いますから、容赦なしですので、自殺者の低級霊に憑依されたりすると、自分は死にたくなけど、自殺に追い込まれたりするケースもありますので、毎日の精進と共に自分を知るのが一番の霊性アップになります。
さて、霊能開発学校の話はこのあたりで終わりにして、『十牛図』をみて下さい。
十牛図
禅の世界のプロセスといえるものです。
牛を描いた十枚の絵です。中国の宋代に作られたそうです。
私の下手な絵で少し、なんだか?分かるかな?
「牛」が何だか?分かると色々な自分が見えて来ます。
禅でもこの十牛図を用いるのは臨済宗です。
絵は右から↓へ行って下さい。番号は書いておりません。

一、 尋牛・・・自己の目覚めの為に旅に出る。
二、 見跡・・・ようやく手がかりを見つけました。
三、 見牛・・・とうとう見つけました。
四、 得牛・・・牛は見つけましたが、なかなか自分のものになりません。
五、 牧牛・・・牛もなれてきました。でも、安心は出来ません。
六、 騎牛帰家・牛は逃げることなく、牛にも乗れます。
七、 忘牛存人・家に帰ると牛は必要ありません、牛のことを忘れかけてます。
八、 人牛倶忘・牛のことも忘れたが、自分の事も忘れた。「空」
九、 返本還源・自然の中にいる意味、美しさが分かります。
十、 入塵垂手・己の悟りの中だけではいけません。人々と自由自在に暮らすこと。

禅の世界はシンプルな中に本当の幸福があるということを教えています。
日常生活に幸福を見つけなければならない、これこそ本当の幸せであると・・・。
たとえでいうとふるさとを出て、旅をして、この旅をしたあげくにふるさとに帰ってくる。このたびの世界のプロセスにて皆さんは?今、どこにいますか?
だれでもいつかは必ずふるさとに帰ってきます。
でも、旅に出なければ、ふるさとの価値も分からないのです。
とにかく、最初の1歩から踏み出して行きましょう。
出発してみましょう。
ありがとうございます。