品性レベルアップの為の修行

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こんにちは〜!
お元気ですか?
来週はイースター休みです〜![にこっ/]
ブログは充電中の為に、お休み中ですが、上からのメッセージ
にて、お休みになる前に書き込みします。
今日はキリストの大親友で一度死んだ人が蘇った人、ラザロスのアイコンの儀式があるらしい。夕方から始まります〜!セント・ラザロス教会にて!
夏時間に1週間してやっとなれました〜!夜が長くて、うきうきです!
では、真面目に行きましょう〜!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

お便りからの質問と似たようなケースで鑑定依頼を受けた内容で、心の想いが晴れない現代人へのメッセージ。
『現代人の多くは、みな自分勝手だし、自分だけよければ良いと言う考え方に固執し、誰もが個人主義に走っているようにみえてしまいます。他人を押し退け、蹴落としてまでも出世したい人が多すぎる。
少し前までは、give and takeという言葉がありましたが、今日の社会を見てみると、take and takeのように奪い取り合う、強い者が勝つ社会に生きていると思うと憂鬱になって来ます。
それに、日本の美談で、「譲り合い」や「歩み寄り」を悪用している人も大勢いるのではないかと思うと腹が立ってきます。
このような、世の中は、どこかおかしいのではないでしょうか。
人はどうして仲良くなれないのでしょうか。助け合わないのでしょうか。
譲り合って、礼儀正しく物事をすすめれば、何事もスムーズに円満に運ぶと思うのですが、先生はどう思いますか?』 
という質問とさらに、ここ数日の鑑定にて・・・、ほとんどの方が同じようなこころの不安を感じていると思ったので、ブログはお休み中とさせて頂いておりますが、皆さんとシェアーさせて頂きます。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
この質問に対して、わたしが思うのは、「この世」がおかしいという意識が怒りを抱いているように思える。もちろん、誰かのことを心配することは大変素晴らしい陰徳修行になるでしょう。
人によっては、「他人の事など、どうでもいい、自分さえ良ければ」という個人主義よりは大変良い傾向でしょう。
個人主義になると、不思議と人生の目標がお金儲けまたは、お金持ち思考になってしまいかねない。お金を儲ける為に働くという課題になってしまう人が少なくないだろう。
私たち人間は生活の為に齷齪(あくせく)働いて、老後の心配をしたり、老後の生活を優雅に暮らしたいが為に、多くの人たちは人生設計を立てていると思う。
だから、この世で生活している基準でお金がある人が偉いとか強いとかいうイメージを抱いて、この世での魂の最終目的を達成できないまま、ご臨終となる魂さんたちも多いだろう。
人生とは何だろう?一生懸命に働くことで、「より多くのお金を手にする」ことが、今の21世紀を生きる私たち人間の本当の目的だろうか。
もしも、一生懸命に働いて、より多くのお金を手に入れることが出来なかったときはどうなるだろうか。お金持ちになることが目標だっただろうから、その人の人生の目標の「お金儲け人生」は失敗したとなるだろうか。
ほとんどの人が多かれ少なかれ、お金を頼りに生き、お金を頼りに働いている。
だから、お金の為に働いているということになるだろう。
どうして、お金の為に働くのだろう。
それは「お金さえあれば、幸福になれる」と信じている人が多いからだろう。
拝金主義の人だと、「この世で、愛情も大金さえ出せば、買える!」と思う人もいるだろう。
だから、大金を得ることで、幸福な生活を夢見てしまう人も少なくないだろう。
しかし、拝金主義の人や人生の目的がお金持ちになりたいと願い、なれなかった場合は、その人の人生は無意味であり、コンプレックスを持ってしまうかも知れない。
多くの人は、より多くのお金を銀行に預け、高給取りになりたいために、一生懸命に齷齪と働いているが、お金持ちになりたいゲームの幻想から逃れない為に、自分で自分に莫大なストレスを与えている。
「お金さえあれば幸福である」あるいは「お金で幸せになれる」と信じている人は、何かとお金でのトラブルに参加してしまう人もいるだろう。たとえば、遺産相続争いや何かあると訴える!というお金で割り切ろうとしている人もいるだろう。
ここの読者の人はお金持ちだからといって、幸福であるとは限らないと分かっているだろう。
「お金がなくても、楽しくて、家族円満!」を望んでいる人の一人だろうと思う。
だから、読者の方は人をうらやましいとか、悔しいと思うことはないだろう。
もしも、人を羨ましいとか悔しいと思う人がいるならば、それはあなたの中に欲望と劣等感が宿っているかもしれない。
白雪姫の童話でのあなたは魔女のおばあさんのような、こころを持ち合わせていることになる。つまり、負け惜しみの呪縛を自ら招いていることになる。
人を羨ましいと思うよりも、今から、老後の短い期間のことで不安になるよりは、死後の世界の生活のことを考えた方が良いだろう。
死んでも、体がなくなるだけで、死後の生活が待っている。
死後の生活のレベルを気にかけた方が、この世よりも長く学ぶ場所にてランクがあることを忘れていけない。
どこのランクで暮らすか決定的なツールになるのが、品性で決まるらしい。
その品性はどうすれば綺麗になるか、それは、人間が持っている「慈悲」のエネルギーであるから、慈悲のこころは、人間の善行の象徴と言えるだろうか。
善い行いは慈悲のこころを無くして、実践できるものではない。
他人のために何かをする行いは、善行という修行のひとつでもある。
この善行こそが、品性を磨くひとつの修行の中で一番の陰徳がある。
昔の大和魂の品性を磨くほかの修行は、「礼儀正しい行い」である。
何かを誰かに教えて貰ったり、尋ねる時には、礼儀正しさもモットーとした時代があったが、今では、この世は「お金儲け」をする場所の為に生きていると錯覚している人が多い為に、本来の輪廻転生の為の最終目的を忘れて、死期が近づいてはじめて、霊界に帰るとランクがあることを思い出してしまう人もいるだろう。
この世での毎日の生活の中で高い霊界に行ける要素がある人は、この世でお金が無くても、この世が修行の場と分かっている人もいるだろう。
だから、人生には楽しいことなど無い方が良い。というとすごっく人生が辛いと思う人もいるだろうが、物欲や欲望が少なければ、さほど苦しむこともないのだ。
だから、この物欲や欲望があるから、苦しむわけだ。
苦しみが多いということは、それだけ自分の修行だと思うことだ。
苦しいから「修行の場」であって、楽しくないから「修行の場」なのだ。
人生を「娯楽の場」だと思ってしまうから、あの世に帰る時期が来ると、この世で修行をしなかったために、あの世で多くの修行が待っているから、帰りたくないという未浄化霊さんに読者の方もならないためにも、今からでも遅くない、苦しく辛いことが今ある人は霊界でのレベルアップの為の修行だと思い。
精進することである。
自分で決めてきた霊界レベルアップの為の「修行」を怠ってはいけない。
苦悩があるから、品性も磨かれ、こころも清められるし、魂も浄化出来る。
そうすることで、あなたは「今を大事に生きれる!」だろうし、慈愛も内から沸いて来るだろうし、欲望も半減して行くだろう。
そして、あのときの葛藤は自分での幻想だったと気づくだろう。
そして、多くの人からの苦労の種は、結果的には自分の霊界でのレベルアップの為に必要だった試練だと、気づくときが来るだろう。
そして、その苦労をくれた人にも、感謝するあなたがいるだろう。
ありがとうございます。

では、日本にいらっしゃる方には、良いお花見になりますように!
ダウンアンダーの方、欧米にいらっしゃる方には、良いイースターをお迎え下さい!
ありがとうございます。