死んでからでは遅い

3:105:95:0:0:kazpink:center:1:1:いつもありがとうございます。:

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
もしも、あなたの言動が誰かを苦しめていたことに気づいたら、あなたはどうしますか?
そして、申し訳ないという心があれば、現世で作ってしまった過ちを来世までにも持ち込みますか?
自分の行動がすべて正しいと思っている人もいるでしょう。
でも、相手は実は言わないだけで、こころに傷を残しているときもあるのです。
人によっては親切心でしたことでさえも、傷つけているときもあるのです。
もしも、その人のことを思うのであれば、その人の為にあなたのすべてを賭けて癒さす為に努力する必要があるかも知れません。
その行為は『償い』という行為として、見返りを求めないでする必要があるでしょう。
言い訳しないで、自分の判断で誰かを傷つけていたのですから、無償で行動する必要があるかも知れません。
もしかすると、相手は許してくれないかもしれません。
でも、あなたはそれに気づいたのですから、自分を正当化しないで、言い訳をしないで、その苦しんだ人の為に償いという行為をする必要があるのです。
たとえば、罪もない人のところへ泥棒に入ってお金を盗んでいたら、その家の住人が帰宅して、驚いたので、その人を殺して逃げた。
そのお金で借金を返して、株で大儲けをして巨大な富を得ても、その人がした行いがばれなければと外見的には豊かに見えても、彼のこころの奥には人に言えない十字架を背負ってしまっていることもあるでしょう。
ご馳走を食べても、高級なお酒を飲んでも、その人が殺した罪もない人を生き返すことは出来ません。
でも、その人は一度得た豊かな生活を手放すことが出来ないまま、心では償いをしているつもりでも、寝ても覚めても、そのときを思い出してしまうでしょう。
償いという行為は、辛く苦しい道のりで死ぬまで逃避することが出来ない自分のこころとの戦いになってしまっているかもしれません。
この償いを本気でするときには、死を迎えるよりも苦しいときもあるだろう。
人間は情という感情が分かるように生まれている。
そして、この世に生まれて来たなら、高貴なこころや使命を持って生まれて来ているだろう。
俗世界にまみれて埃だらけにこころがなっていても、こころのどこかに埃がかぶっていないこころが少しでもあるとすれば、払いのけれないことは無いだろう。
この世でどんな悪行をしてきた穢れた魂でさえも、肉体が無くなってしまっては出来ないことがある。
それは、どんなに人を憎み、許せないと屈折した心であっても、許されないことはないだろうし、癒されないこともないだろう。
まずは自分の非を認めて、償いをするという心をもつ事は見返りがこの世ではないかもしれないが、あえて険しい道を自ら選択しても、得るものが無いかもしれないが、決して諦めてはいけない。
それが簡単に許して貰えなくても、償うという心を学ぶことで人間として生まれてきた人もいるだろう。
『償い』を学ぶことは容易ではないだろう。
でも、諦めてはいけない。
他人はあなたがどれほどの償いしているかを見て、あれこれ言ったり、もう止めたらとか、それぐらいで良いのではと言ってくる人もいるだろう。
でも、あなたが自分で良しとするときまで償いをし続けるしかないだろう。
きっと、その穢れた心から、慈悲の心に光が差すときが来るだろう。
だから、諦めてはいけない。
だって、人間として生まれて来たのだから・・・。
決して、ギブアップしないで償って行こう!
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。