疑問を持とう ☆

12.6:300:225:0:0:see01a:center:1:1:ご一緒に学んでいきましょう。 ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
最近、多くの方からリクエストがありまして、腱鞘炎の手首をかばいながら、期待に副えているか分りませんが、時間を作って綴って来ております。
多くのメッセージも頂くのですが、私の拙い文章ですと短く簡潔に書いて行こうと思うのですが、どうも無理みたいです。「旦那にはそんなに長く書くと誰も読んでくれないだろし、続編にしてはどうか。」と、アドバイスを頂いたりすることも何度もあるのですが、私の性格はのんびり怠惰な性格ですから、明日とかでもいいかなと思うことがありますが、明日になると違うメッセージが来たりするので、さらに書くことが多くなる状態です。
結構、自分でも沢山書いていると思うこともありますが、スピリチュアリズムを追求すればするだけ書きつくせないでいます。 聖者たちが今の地球を救うためのメッセージを誠心誠意で綴らせて頂けることは大変嬉しいことです。
私たち人間は人其々の好みがあるでしょうから、真面目に書いたり、少し辛辣な書き方をして来ています。
文章でスピリチュアリズムを語るには限界があるかも知れません。
いつもながらに申し上げますが、エジプトの「ピラミッドはどんな形か。」と誰かに聞かれると三角という方も多いでしょう。しかし、上から見ると四角に見えたりするものです。
先日のキリストのたとえ話でもそうですが、聖書でさえも誤解を招いている文章でさえもあります。
ですから、わたしの書く拙い文章など、わたしが伝えたいことが分り難いかもしれません。
そんな中でリクエストを頂けると嬉しいものです。
同じ地球人として生まれ、個々のカルマを背負いながらご一緒に「真理の追究」が出来ることは大変嬉しいことです。
さて、その地球人として転生して生きていますと、人、それぞれにて恐怖を感じるものが異なるでしょうが、多くの人々に共通する恐怖の対象は「死」ではないでしょうか。
「死」の反対の「生」も同じく恐怖があるでしょうが、生まれて来ることは喜びに繋がります。
どの宗教でも、死の恐怖を和らげる為の教えが中心となっていることでしょう。
お釈迦様は、悟りによる輪廻のサイクルからの解脱として死の問題の解決、キリスト教では、終末における再臨のキリストによる復活にて、死の問題に目を向けています。さらに、イスラム教では、この世を正しく生きることによって終末のアラーの審判で天国行きの約束の切符を手にすることができるとして問題解決をして来ています。今までの私たちは、宗教にすがって死の恐怖を乗り越えようとしてきました。
日本では、道元師の禅の教えが中国から持ち込まれる鎌倉時代に、親鸞様や日蓮様も日本各地で起っていた天変異変の中で飢餓や病気で死んで行く人たちの為に、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」を唱えることで、死後の世界で救われると言っていました。
しかし、本当に死後の世界で救われたのでしょうか。
私たち人間は死後、誰もがあの世(霊界)に行くようになります。信じる信じなくても死後の世界は存在します。死後の世界の存在を信じない人でも、死んでしまえば必ず霊界で生活するようになります。
そうでなければ、スピリチュアリズムの通信霊方達がこの地球の為に多くの人々を通じてメッセージを送って来ることもないのです。
このスピリチュアリズムを通じて明らかにされたことは、「これまでの地球上の宗教では、死後の救いは成就しない」ということです。いくら従来の宗教にすがっても、人間は死後の救いを得ることはできないのです。それは、霊界に帰り多くの人間が、死後あまりにも醜い状況に堕ちています。現世にて熱狂的な信仰者の多くが死後、救いとはほど遠い環境の中に置かれています。
あの世こそが、私達人間にとって本来の世界であり、この地球上はそのための準備の世界にすぎません。この地球上の人生において霊界へ帰る日のためにしっかりと準備をすれば、死後には喜びに満ちた生活が待っています。
生きている間に過激に信仰熱心だった多くの人々が、死後にこの世の生活を後悔したり、苦しみを体験することもある様子です。
また、この世で宗教と関わりを持ちすぎた人間だけでなく、この世で無知な為に、その多くの魂は、死後の世界の用意もしないままあの世に帰るために、死後の世界に対する知識がないために、死後、混乱を招いてしまい、肉体が無くなったが魂はそのことを理解することが出来ずに未熟さゆえに混乱し、戸惑うことになり、先にあの世で生活している現世での繋がりの家族の霊達にお世話になることでしょう。
この地球上で学んでいなかった為に、あの世で一から生き方を学び直すことになるでしょう。
しかし、人によっては肉体が快楽の一種の中毒みたいになっていますから、似た波動の人の側をさ迷っていることもあるでしょう。
人によっては肉体が亡くなっても往生際が悪く、「死んだ」ことに気づきませんから、低級霊として地上の近くをさ迷い、悪い想念を送ったりする人たちもいます。
死に際に初めて「あの世」とはどんな所だろうと思う人はまだまだ恵まれた環境にいる人達です。
21世紀になっても、こうした死後の悲惨なケースがあまりにも多いために、霊界の高級霊達は、地上人類の救いに乗り出すことになったのです。
では、その霊界の高級霊が、スピリチュアリズムを通じて地上人にもたらそうとしている救いとは何でしょうか。

いつもながらスピリチュアリズムは奥が深いので言い尽くせません。
ですが、一言で述べるならば、「霊的成長」ではないでしょうか。
霊的成長こそが、霊的存在である人間にとって最も価値ある永遠の霊の存在です。
スピリチュアリズムの霊的真理は、この霊的成長のために与えられたものなのです。
「霊的真理」は霊的成長と共に、この借り物の肉体を短い期間であの世での生活の用意が出来る場所でもあります。
特に、今の次元上昇中の時代では、過去世に学校で言えば、小学生ぐらいの学びをしていた新しい魂でさえも、この21世紀の時代では、スキップして大学院の学びさえも出来る魂もいるでしょう。もちろん、霊的真理を追究し、実践なしにてこのスキップは不可能ですが、やる気次第では、霊的成長が他の時代より多く出来ます。
必ず訪れる死、そして必ず行くことになる霊界へ、そこでの幸福、喜びに繋がる「霊的成長」こそが、この21世紀の「真の救い」になることでしょう。
その本当の救いを得るためにも、霊界の高級霊団体が多くのメッセージを送って来てくれているのです。

奥の深いスピリチュアリズムに含まれる目的は、「本当の救い」であるでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

*いつもお気遣いを下さる読者様、ありがとうございます。
今晩から、山に一泊して来ます〜! ^−^
ありがとうございます。