善い行い

163:350:263:0:0:kuchi:center:1:1:ローマ 『真実の口』  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
さて、ここ数回にかけて綴って来た内容はキリストの教えでした。
キリストの偉大な教え、そして、お釈迦様も素晴らしい教えを残して頂いております。
どちらも言葉は違いますが、やはり最終的な「解脱」「悟る」ことを教えてくれています。
今日は仏教の教えの中に「善い行為」というのがあります。
私たちは常に身と口と意(こころ)の3つの行いを清めることを心がけなければならないのです。身の行いを清めるとは、生きものを殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことです。口の行ないを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。意の行ないを清めるとは、貪らず、怒(いか)らず、よこしまな味方をしないことです。
文章で読むと簡単に思うでしょうが、いざ、今の現代社会で世知辛い、この世の中で生活していると出来そうで出来ないかも知れません。
人によっては、毎日、不平不満の塊の波動を会社や家庭でも撒き散らし、周りにいる人たちを不愉快にしてしまっているが、本人様は周りの人たちを見下げ、自分のことが理解出来ないのは分かる能力がないか、分ろうという能力がない、頭の悪い人たちだと思っている人を見かけます。
さらには、お嬢様育ちで日本の流行言葉で言えば、セレブと言われている人たちは、これから更に拍車をかけて格差社会になっている中、ネール、髪型、洋服、バック、靴などの外見的なことに重要視している様子です。
海外でセレバティと呼ばれる人たちはパーティ以外のプライベートの時間に、リカちゃん人形みたいに綺麗にしている人はあまりいません。
テレビでソウシャル・ガールと呼ばれている人たちは、自分の地位を活かしてチャリティ・パーティとかしているのは確かです。
裕福であれば、その分をすべて自分の銀行口座に納めておかなで、その10%でも、20%でも、他者の為にお役に立てる行為をすることで、陰徳に繋がる「宇宙貯金」が出来るでしょう。
仏教では、お寺などにお布施という形で還元することがありますが、キリスト教であれば月収の10%を教会や恵まれない人たちの団体に寄付する形が一般的です。
俳優のポール・ニューマンさんなどは、これまでに200億以上を寄付しているそうです。
寄付という形では満足しない方などは、現地に出向いてボランティア活動をしているセレバティも少なくないでしょう。
お亡くなりになっても、今だにファニーガールで華奢な身体でお声もハスキーで永遠のかわいい女優さんだったオードリー・ヘップバーンさんは、自分の名誉があったから、人々にご支援して頂き、アフリカの飢餓で苦しむ子供達の為に頑張っていらっしゃいました。オードリーさんが華奢なのは、戦中に栄養失調で食べる物もなく、生死をさ迷ったからだとある記事でコメントしていらっしゃいました。
やはり、ご自身で辛い体験をなさっている方は、「人よし 我よし」の精神でいらっしゃるでしょうから、芯が強い方が多いのが特徴でしょう。
昨日はキリストの教えの中でも「執着しない」ことを綴りました。
さて、今日は仏教の「善い行い」のたとえ話です。
『 昔、ある金持ちの未亡人がいた。親切で、しとやかで、謙遜であったため、まことに評判のよい人であった。その家にひとりの女中がいて、これも利口でよく働く女であった。 あるとき、その女中がこう考えた。
うちの主人はまことに評判のよい人であるが、腹からそういう人なのか、または、よい環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」
そこで、女中は次の日、なかなか起きず、昼頃にようやく顔を見せた。主人はきげんを悪くして、なぜこんなに遅いのか」ととがめた。
「一日や二日遅くても、そうぶりぶり怒るものではありません」とことばを返すと、主人は怒った。
女中はさらに次の日も遅く起きた。主人は怒り、棒で打った。このことが知れわたり、未亡人はそれまでのよい評判を失った。』

このたとえ話は、だれでもこの女主人と同じであるでしょう。環境がすべて心に叶うと、親切で謙遜で、静かであることが出来ることでしょう。しかし、環境が心に逆らってきても、尚、そのようにしていられるかどうかが問題でしょう。
自分にとって面白くなく、耳が痛い言葉が耳に入ってくる時、さらに、相手が明白に自分に対して、敵意を見せて迫ってくるとき、衣食住が容易に得られないとき、このようなときにも、私たちは静かな心と善い行いを冷静に出来ることでしょうか。
環境がすべて心に叶うときだけ、冷静で静かな心を持ち、善い行いをしても、それは、決して善い人とは言えないでしょう。
ありがとうございます。