名残惜しいですが、しばらくお休み致します。

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
こちらの気温の方が湿気がない分、涼しいと思います。
洗濯物もしながら、掃除もしながら、時々、メールチェックやブログへのリスポンスをしたりして、ちょっと疲れ気味です。明日の夜には20時間ほど飛行機の中でぼっ〜としたいと思いますが、どうなることでしょう。
明後日には日本へ到着していると思うと、不思議な国のアリス状態です。
本当に海外から海外という感覚でいます。きっと時間はさらりと過ぎて行くでしょう。 沢山の直メールをありがとうございます。
時間に余裕があれば、「オフ会」を開催したいなぁ〜!と思っております。
さて、今回の日本行きは父だけの為に行くのでなく、実は私には父の連れ子の姉がいます。兄と私の母は実の母なのですが、父が死に別れで幼い姉を連れての再婚となりました。父と母の時代の再婚となると、後家だったりしますが、母はどこが良かったのか父と結婚することになりました。それはそれで二人にしか分らないことです。死に別れの人と結婚するのは本当に連れ添う側が忍耐や心が寛大でないと難しいと思います。
さらに、父の死に別れの子供はダウン症と呼ばれる子でしたから、周りの反対は凄かったと思います。普通の子供でさえも継母だというだけで大変だったと思います。今でこそ、日本も少しづつ福祉社会になっていますが、私も姉のことで虐められたり、詰られたりしたものです。姉と歳が近い兄は私以上に傷ついたことだと思います。そんな複雑な家庭だと私は思っておりませんでした。姉は常に子供のままの笑顔で物質的にも興味がなく、幼稚園生のほどの知恵を持った大人になっています。
母は死ぬまで自分の腹を痛めた子供でない姉を常に連れてどこかに行っていました。かわいかったんだと思います。大人の様にエゴがない子供のままの姉。
母が亡くなり、公的な用事も済ませたので、ある日、オーストラリアに向かう為に田舎の駅のベンチに座っていると、高校時代の担任の先生に会いました。母の話をしたりしていたのですが、その後、姉の話になりました。田舎で頻繁に姉と母が一緒に歩いていたり、ショッピングしていたりしていたので、母の連れ子だと思っていた様子でした。私が父の死に別れの前妻の子供ですと告げると、大変驚いていました。
それだけ、可愛がっていた母が先に行き、父も歳が歳なのと、途中何かあっては行けないということで、2年前にまかない付きのホームに入居して貰いました。今でも、毎日、作業所という場所にそこから通っています。(1ヶ月のお給料は1万弱です。国から障害者年金が出ています。)
それまでは、その作業所に通う為に父は体調が悪くても朝ごはんを姉の為に作り、バスに乗り遅れない為に送り出し、彼女の下着や服なども洗濯したりして、さらに、夕方には決まって帰って来る彼女。そして、夕飯の仕度などもしていました。
父にとっては姉が側に居てくれるだけでも、良かったのでしょう。
しかし、体調的にも元気であれば、それほど負担にならないでしょうが、毎日では、元気な若い男性でも大変だと思います。
姉は服を着たり、食事の前にお膳にお箸や何やらと並べたり、お片づけも出来ますし、洗濯を取り込んだりすることも出来ます。
ただ、言語障害もありますので、言葉も単発的な「美味しいね〜!」「かわいいね〜!」「これ綺麗!」「あれが好き!これが好き!」という言葉を使います。
作業所には姉みたいな人もいれば、知的障害者で人に暴力を振る人もいます。行き成り、頭から牛みたいに突進して来る人もいます。私が学生のころ、姉はたまに痣を作って帰って来て、「痛い!」と言ってましたが、誰にそれをされたという名前が分りません。「誰に叩かれたの?」と聞いても「あっちが悪い!」と言うだけで理解出来ません。
そんな姉は誰にも被害を与えることなく、生活しています。
しかし、姉を大事に思っている父も弱って来ています。どれだけの寿命かも分りません。その姉も目の手術で全身麻酔をしなければならないということで、父が入院する時期に作業所から連絡がありました。いつもであれば、難聴の父が後見人になっているので、父に連絡が行くのですが、多分、体力的にも無理だと思ったのでしょう。私に姉のことでご相談があるということでした。
父のことも心配ですが、姉のことも気にかかるので、今回は行かざるおえない状態となりました。
兄夫婦が「父の面倒をみたい」と願い出てきたときに、私は姉の入院の件などを軽く聞いてみました。兄は黙っていました。義理の姉は「カズちゃんは大変だね。」と言いながら、「お父さんの面倒もみてくれるなら、Xちゃんはこの10月ぐらいには目の手術をしなきゃいけないらしいけど、身元保証人になってくれるの?」と聞くと、「私たちにはそれは無理だわ・・・。」とのことでしたから、最初から期待していなかったのですが、本当に父の面倒をみたいと願うのであれば、姉の入院の身元保証人ぐらいにはなるだろうと思いました。
姉は金銭的にも問題無いのですが、父が後々のことを考えて兄夫婦には任せないと思います。
私は若い頃から、身体障害者さん達やダウン症の人たちと会う機会が多くありました。そんな彼らと会う度にこの人たちは自分のカルマの為に自分で決めて生まれて来るのだと思いました。慈悲愛がない母親の元には生まれて来ないでしょう。
御母さんが良い魂だから、生まれて来たとも言えるでしょう。
著者で有名になった『五体不満足』という彼も、ご両親がとっても彼を愛していらっしゃったということが分ります。
昭和の時代に、ダウン症身体障害者などは優遇されていませんでした。臭いモノに蓋をするぐらいの気持ちだったと思います。
弱いモノ虐めという陰湿な風潮の社会だったと思います。
そんな子供を産んだ女性は非礼な扱いをされたり、なじられたり、陰でかわいそうと言われたりしていたでしょう。
人間とは自分より弱い人には、偉そうに振る舞い、自分より強い人には媚を売るということを私は幼少時代から見れたと思います。
色々な気づきを頂けた複雑な家庭環境であり、さらに、弱い立場の人間を虐めたり、心無い言葉を野次ったりしている人たちの方がどれだけ偉いのでしょうかと思ったりもしました。
ただ本で読んだ誰かの話でなく、私自身が体験することでそれでも人を憎まない姉の笑顔を見たり、感じたり出来たことは大きな学びになりました。
彼女達はとっても高貴な魂の人たちでもあります。
物質的な欲もなく、霊界とも言葉が分れば、一般の霊能者達よりも優れた才能を持っていると思います。ピュアなままで生まれ、ピュアなままで死んで行ける彼女達でもあるでしょう。
母が御棺の中にいるのを姉が見たとき、彼女は涙を流していませんでした。
それよりも髪飾りのお花に目が行ったのでしょう。
「これかわいいねぇ〜!^−^」とお花を触っていました。
死んだことよりも、お花がかわいい?と普通の人であれば、何?となりますが、視得るモノが違ったり、死に対しても私たちは植え付けられた感情ですから、彼女達にとってはお役目が終われば、お花畑の天国に帰るだけだと思います。
「かわいいねぇ〜! ^−^」と言った後に、姉はハミングしていました。私が買ってあげた赤い靴が気に入った様子で、スキップしていました。
母も心残りでしたでしょうが、姉の様子を見ていましたら、死=悪いイメージは植え付けられたものであるのでしょう。彼女達はニコニコしていますからね。
そういったプライベートこともあり、父も一言も言わないけど、姉に会いたいと思います。私にも会いたいでしょうけど・・・、でも、自分が介護して貰う側ですから、姉の面倒は数日でも大変だと思います。
姉の目の手術後、経過を見て父宅に何日か一緒に姉には食べたい物を食べて貰い、父は1日6回ほどの食事を食べて貰い、父もとっても喜ぶことでしょう。
長い文章になりましたが、読んで頂きましてありがとうございます。
2ヶ月後には復活して、霊界のお話、死者との対話、精神病と憑依現象などの関係を真面目に綴って行きたいと願っております。
名残惜しいですが、皆さんもお元気でいて下さい。
ありがとうございます。
合掌


ダウン症とは何か知らない人の為に、こちらを読んで下さい。
1866年に、イギリスの医師ダウン氏がはじめて論文を書いたことで世に知られる。病気の原因が「染色体異常」と解明されたのは1959年。
染色体の異常が原因の症状。人間の染色体は46本あり、1番から22番はペアになっている。ダウン症の場合、21番目の染色体が通常より1本多く3本存在する。これを21トリソミーとも呼ぶ。
染色体の異常がなぜ起きるのかは、今現在の医学でも不明である。卵子精子が作られた時の異常という意見がある。大部分は遺伝的なものでもなく、人種による発現の偏りはないと言われている。要するに、誰にでもありえる症状ともいえる。ちなみにダウン症は新生児の染色体異常でもっとも多い病気で、その発現割合は約1000人に1人。
身体的特徴としては「顔が平たい」「目がつりあがってる」「目と目の間が開いている」「長い舌」「太く短い首」「太く短い指」「猿線(俗に「マスカケ」と呼ばれる、横一直線の手のひらのシワ)の発現」「全身の筋力の低下」「心臓の異常」「食道閉鎖症」など。内臓にも異常が起こる例が多い。
眼科的問題も多く、その症状としては、視力の低下、斜視、近視、遠視、乱視、白内障など。耳も聴覚の障害があり 軽度の難聴の為に気がつくのが遅かったりもする。
歯は、乳歯が生える時期が遅れ、生える順番も乱れる事がある。生えてこない場合もある。精神発達の遅れも典型的な症状だが、性格は明るい事が多い。
基本的に遺伝病であるため、根本的な治療法はない。
身体的な要因もあいまって、ダウン症患者が20歳を越えて生きるケースは少ないとまで言われてきた。だが最近では、徐々に生存年令も伸びてはきている。


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