カルマの重さ

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
こちらも朝夕はちょっと肌寒くなって来ております。
さて、今日は皆さんも普段から耳にしたり、多くの人が使っている「カルマ」という言葉ですが、意味はすでに理解しているでしょうから省略致します。
では、「カルマの重さ」とは?
どれぐらいの重さを想像しますか?1キロ、10キロ、100キロ?ご自身の体重と比例している?と思いますか?
カルマの清算、蒔いた種は自分で刈り取りしなければという言葉は本やスピリチュアルなブログなどで語っておりますが、いざ、このカルマの清算と書いてある本を読んでも、実行するとなると困難なときもあるでしょう。
カルマにはマイナスのカルマ、プラスのカルマがあります。
つまり、マイナスは過去生で成し遂げれなかったことが無念にて、この世に再び、輪廻転生したことになります。この過去生ですが、俗にいう前世ですが、実は何人(なにじん)だったとか、何世紀に生まれたとか、男、女とかの性別よりも、前世にてどんな体験をしたか、どんな体験をしようと過去生で思い、その時代も自分が決めてこの世に転生したのに、果たせなかったかということが、現世にて引き続き、形や姿を変えての学びになります。
この世にリゾート気分で転生したわけではないので、一人、一人にカルマがあります。仏教語で言えば、「業」をすべての人が持って生まれていることになります。
では、最初にお尋ねした、カルマの重さはどれぐらいでしょう。
ほとんどの人が1000キロほどのマイナスのカルマを背中に背負って生まれております。キリスト教で言えば、十字架となります。でも、キリストが背負って磔になる場所に背負った十字架は木で1000キロの重さではありませんでした。
そんな!1000キロもあるカルマを現世にて清算出来るでしょうか?
ネガティブに考えてはいけません。生まれてから、日々の生活の中で学び、傷つき、赦す、愛することを繰り返しながら、生活しています。その間に少しずつカルマの清算をしていることでしょう。でも、そんなにすぐに軽くなることはありません。もしも、もっと軽くしたいと願うのであれば、プラスのカルマを現世にて作ることです。カルマと聞くと皆さん、マイナスのカルマばかりの過去生を考える人もいるでしょう。自分自身が今の環境にいるのは、「きっと私は前世にて悪いことをしただろうから、今を苦しみ、不運なことばかり・・・。」と思う人もいるでしょうが、この世に生を受けている人で悪いことをしなかった人はほとんどいません。殺生したり、人を傷つけたり、誰かを裏切ったり、騙したりしたかも知れないでしょう。でも、そういう過去生があったから、現世ではその傷つけた人を愛したい、騙した人の為にお役に立ちたいと願い、この世にて人の縁で繋がっております。
もしも、今、あなたが不遇な人生の中にいると思うのであれば、プラスのカルマを増やして行くことです。
そのプラスのカルマとは、「陰徳」です。
感謝したり、人の為にお役に立ちたいと願う気持ち、さらに見知らぬ外国人の為に寄付したり、親孝行したり、お年寄りの為、これからの子供の為、地球の為など色々と無償の愛で行う行為です。
でも、この陰徳は優越感に浸る為にしてはいけません。
出来れば、さりげなく・・・、募金する、寄付するときもしてやっていると大きな字で自分の名前を書いてはいけません。その時点で陰徳は半減します。
陰徳修行を重ねることで、プラスのカルマとして来世の宇宙貯金として積み立てられます。その繰り返しにて、最終的にこの世の修行を終えることが出来ます。そうすると、もう、この世には毎回、帰って来なくても良いと確認して頂けます。(あの世の指導霊達から合格の証明書が渡されるでしょう。)
さて、私は人生を山登りやマラソンなどに例えることが多いのですが、皆さんは「運命」が気になりますか?
長い人生、短い人生の間には、誰しも避けては通れない運命的な出来事があるとことがあるでしょう。
カバラなどではその山登りに人生は似ていますから、谷あり、山ありの人生です。昔、流行った人生ゲームみたいなものでしょう。
あるインドに伝わる哲学でも、「4つの山」という表現しています。つまり、人生は4つの期間で成り立っているという考えです。
まずは、「成長」の期間。健康な肉体を作る食事と運動、明晰な頭脳を作る為の学習期間です。これは学生時代ですね。
そして、「働く」期間。これまでお世話になった家族や社会の為に働く。つまり、社会人時代でしょう。
さらに、「養う」期間。今度は自分自身が家族を作ったりして、人を養うことです。家族、社会の中で弱い人や部下や両親などにもお返しとして、糧を与えます。これを終えると社会への貢献はある程度終了したことになります。
最後は、「林住期」と呼ばれます。静かに死を受け入れる為の「心の準備期間」です。どんなに働く期間にて、素晴らしい貢献をしていても、地位があろうとお殿様でも、地位を捨て、隠遁生活が待っています。

そんな意味では、過去だけに拘らず、未来を不安がらずに、自分のカルマの清算をしながら、プラスのカルマを作りながら、山を越える必要があります。
皆さん、一人、一人の山の時期や越える時期が違います。人によっては、一緒に山に同伴者と歩き続きながら、感動を分かち合うことになります。
皆さん、違う人生ですから、人と違う体験をし、人と違う感動を得ることが出来るでしょう。
私たち人間は、過去の心の傷を癒しながら、日々の精進もしながらこの4つの山を登り続けてて行く必要があるでしょう。そして、最後の臨終の時期が来るころに後悔がない為にも、一生懸命に歩き続けましょう。
ありがとうございます。