苦労は価値ある学び

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に多くの方から頂いた、お便りを読ませて頂いております。
お返事は致しておりませんが、この場を借りて、ありがとうございます。
ここ数日、家族のことを書いて来ております。共感して頂きましてありがとうございます。自分の事、家族の事を書くことで、似たようなご病気のご家族の方もいらっしゃるでしょう。しかし、家族の業というのは深いものです。
その業という難題の知恵の輪を外そうとする家族のメンバーもいれば、そうでないメンバーもいるでしょう。でも、逃げていては解決しません。悲しみの生活ばかりではありません。
さて、今日は苦しみシリーズの続きを綴ります。
本当は今年は「死者からのメッセージ」という内容も綴りたいと思っておりましたが、来年になりそうです。
この世に生を受けて、頭も良く、財産も豊かに所有して、他人が羨む物質的な物を多く保持している者達が必ずしも、真の幸福者であるかと考えるとそうではないだろう。
豪邸を保持していたり、銀行に多くの貯蓄があることを人は羨ましく思い、それが幸福だと言う人もいるだろう。
多分、この世の95%ほどの人たちは、そう思って齷齪と働き、家の為、老後の為と思い働いているだろう。
しかし、その幸福は、この地球上で変化の連続のように、大きな豪邸を建てたときは嬉しく、その後はそのローンの為、維持の為に悩みの種になることさえもある。物質的な幸福はこの地球で起きていることに比較すると小さな出来事である。
その物質的なモノを手に入れる為に働き、その幸福をどれだけ所有したとしても、本来の人間の魂について何一つ学ばないで生きているのであれば、死後に迷い、苦しみ、その物質を手に入れる為に使ったこの世での時間は返ってこない。
そう考えると物質を持てば持つだけ、不幸ではないだろうか。
その物質を持っていても、生きている間に死後の世界を考えずに快楽の為だけに生きた人が、成仏出来ずにうろうろする。
特に儒教の教えをバックグランドにしてこの世にて生を受けた、現世にて日本人、韓国人は精神的な悩みが増えているのは、死後の世界の死者から影響である。このことは、『死者からのメッセージ』として、来年にでも綴る機会を持てると良いと思う。キリスト教徒が他界しても、それほど、この世でうろうろしていないが、どうも日本人、韓国人として現世にてご縁があった方達は精神病ではないつまり憑依されている人たちが今の日本には多く見られる。
今日はその内容は保留にしておこうと思います。
物質的に余裕もなく、普通の人から見ると、一見どん底と言えるほどの苦しみに悶え、その体験が出来る人は、本来のこの世での修行を忠実に学んでいることになる。この世は体験をしなければ、意味がない。その苦しみの体験により人間の本来の魂磨きをすることが出来るだろうし、それこそが真の幸福と変化して行くことだろう。
すべてお膳立てされた中での暮らしは一見華やかで、明るく安楽の道を歩いているようで、実は暗闇を歩かなければ、その明るい光さえも気づくことなく、この世を去って行って初めて、この世とあの世では学びが違うことに気づいても肉体は持ち合わせておらずということになる。
健康で医者要らずの人に、いくら健康とはとレクチャーしても、病気一つにもならないのに、体の健康に感謝しなさい!と言っても、馬に念仏と同じであろう。
暗い道を歩いているからこそ、その暗闇から明るい道に出たときに、感謝出来るものである。
大きく、沢山、苦労なしでは、人の心の痛みも分らないであろう。
人の苦しみが理解できずして、いくら霊性アップの為に自らの霊的レベルも向上することは難しいだろう。
人と同じ、死者の苦しみ、悲しみ、怒り、喜びもまた、自分のことのように理解すべきだろう。
その身近な死者となると、ご先祖様、両親、愛する人との死別を通じて、学びへと変化する。
祈り、感謝するという行為は自分の為以外にする方が霊性の向上になるだろう。
手と手を合せて、自然界で戯れる蝶や鳥達のさえずりに耳をすませ、せせらぎの音を心で聞き、生の喜びを知り、大自然と心を交わし感謝の暮らしをする中で、真の幸福に一歩、一歩と進んでいることだろう。
だから、痛み、苦しみが多いということは、多くの幸せのバロメーターになることであろう。この世の幸せという物質的な幸福は、実は幸福と呼ばれるには小さいことであろう。
人間は、この世に魂の修行の学びの為に生を受けたと分るのであれば、この世で学べる不幸と呼ばれる苦労を受け入れ、学ぶことで魂磨きになるだろう。
苦労無き状態は、神様からの「教え」という教訓を学ばないままでいるだけであろう。
地上にて、平穏無事に生きることばかり考えてはいけない。
その平穏無事に長いをして、願うのみにて、そこから離れて見る意志がなれば、生きてこの世にいる意味を忘れていることであろう。
肉体があるときに、苦労をして、そこから学びを得ることで、真の幸福を学べるだろう。
そうすることで、死を恐れて長生きのみしたいと願ったところで、死後、学ばないで行ってしまったので、あの世にも帰れず、人に悪さをすることになるだろう。魂が平静になれば、死後、迷うこともないまま、あの世にすんなり帰れることだろう。苦労、病苦を不幸とばかりと決め付けてはいけない。嘆くのみの人生は自分の成長にならず。 神様、高級霊さまたちの慈悲深い下に私たち人間は生きて、今という地上にて苦という体験を求めてこの世に生を受けている。
神様、高級霊、天使、ご先祖様、あの世にいる魂達は常に見守り続けてくれている、しっかり愛されている。苦労を沢山している人ほど、愛してくれている。
だから、迷うことは決してない。ただ、信じて、苦労を受けとめ、魂についている埃を取り除こう、一歩、明るい光の世界に近づいているだろう・・・。
ありがとうございます。