傲慢は霊的成長を妨げる

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
時差ボケもなくなり、少しづつ本調子に戻りそうです。
しかし、1ヶ月半ほどパソコンを使わない生活だったほうが、私の性に合っていたようです。パソコンを使う作業は本当に目に悪い為に、視力が本当に悪くなっていました。便利な時代でそれはそれで良いのですが、一日に10時間以上パソコンの前に居たくないので、ブログなどもゆっくりペースで行こうと思っております。よろしくお願い致します。
さて、今日は真面目な霊的なお話で参ります。
こちらではすでにクリスマスの飾りつけも本格的になって来ております。
キリストの誕生日はこちらでは盛大というよりか、厳かな感じです。
イースターの方がもっと盛大でしょう。イースターの時期の方がほとんどの方がお休みを取って、キリストの復活を身近に感じる儀式をします。
キリスト教徒に限らず、最近ではクリスマスを祝う国がほとんどではないでしょうか。
大切なクリスマスの日ですが、最近ではバレンタイン・ディーの日と同じようにクリスマスをプレゼントを売る為の商売道具にしている企業や人たちが多いと思います。
キリストが生きていた時代も教会の前で商売をしていた人たちをキリストは叱咤しました。
私達はこの世に輪廻転生した本来の目的を忘れがちです。
霊的な生活がしたいと願いながら、楽な生活ばかりを望んでいませんか。
楽な生活をしておりますと、肉体的にも鍛えられるチャンスを逃がしてしまうこともあるでしょう。さらに、魂の成長も多くの試練の中から学ぶことが多いのですが、それも無視してしまうことがあるでしょう。そして、この世に輪廻転生した目的の「霊の目覚め」が出来ないまま、この世を去ってしまうことになります。
日本で感じたことは、私を含めて大和魂を現世にて持ち合わせた人たちの多くが繊細な感情を持ち合わせているということです。
つまり、感情的になりやすい、その感情表現が乏しい為に、些細なことで大きく傷ついたり、怒ったり、さらには感情を傷つけた人を恨んだり、憎んだり、落ち込んだりし易い人種ではないかと思います。
昭和の戦中、戦後を体験した人たちの方が「生きる」ことに貪欲だった為に感情的になり難いように思えます。
霊的な成長を望むのではあれば、感情的にならないように心がけなければなりません。なぜなら、魂はその本性として、感情的なものだからです。
新聞やメディアなどを騒がせている事件などは、感情をコントロール出来ない為に仕出かした行為の結果でしょう。
日本の都心は波動が落ち着いた人たちが少ない為に、霊媒体質の人や感情的な気質を持つ人たちには大きな試練の場所です。
つまり「受けやすい人」は、他の人が怒っているシーンを見ただけで感情的になることもあるでしょう。
そうならない為にも、平静を保つ努力をしなければなりません。
そして、怒っている人を見て、自分が感情的になるのではなく、その人をカームダウンする波動を送ってあげれるようになれば、魂も成長出来るでしょう。
しかし、その魂を鍛える試練は次から次へとテストされるかのように多くの試練がやってきます。
その試練を通過する間に自分でも判断を間違ってしまう人たちも多くいるでしょう。自分自身のエゴの為に判断力が鈍ることもあるでしょう。
つまり、自分の感情を中心とした生活をしていると、自分が間違っていても、それが本物だと思うことも多々あるでしょう。ある程度、魂が成長して、霊的にも成長したいと願う人ほど、判断力を間違えるでしょう。
例えで申し上げると、2つの聖書があなたの目の前に置かれておりました。ひとつは真実でない内容を書いた物、もう一つは真実の内容を書いた物です。
見た目はまったく同じです。
どちらを選ぶかはあなた自身の魂との対話でしょう。
今の地球上には善と悪がどろどろに混じりあっています。
人間でも表面的には綺麗な言葉、綺麗な姿を持ちながら、奥に潜む魂は自分さえ良ければと思う欲の塊の魂だったりします。
善を維持する生活は困難かも知れません。
色々な誘惑に負けてしまったりするものです。
霊的な道を歩きたいと願い歩き始めた人でさえも、途中、ピュアな心構えを見失う人も多くいます。自分は立派な人間だと思う人も多くいるでしょう。
さらにその人の周りに屯している人たちも、その人からお零れを貰いたい為にその人にお世辞を言ったり、優遇したりする人もいることでしょう。
物質的にこの世で成功した者ほど、高慢になってはいけません。
霊的な道を歩む為にこの世での修行は、物質的に兆のお金を手に入れても、霊的に成長したとは言えないのです。
キリストも何度も弟子達に言っていますが、「霊的な傲慢」ほどしてはならないものです。そして、今の時代、ちやほやされても、その後、あっけなく奈落の底に落とされることもメディアを通じて、皆さんもご存知でしょう。
このクリスマスの時期、キリストを思い出すならば、キリストが私達にこの世での修行の中で、「霊的な真理の追求」そして、「謙虚さ」を学ぶ必要があるでしょう。
私達が必要としているすべての物質は神様から頂いたものなのです。
本当に霊的な道を歩もうと思っているならば、謙虚に生活を続けて行く必要があるでしょう。多くの聖人達は人並み以上に霊能力を開発出来たり、目覚めたりしておりますが、あくまでも「神様の力が自分を通じて、自分の身体を道具として、神様のお仕えとしているだけです。」と仰る方こそが、本物でしょう。
なかなかそういった偉大な霊能力を持ち合わせた方は、地道に生活しているので、なかなか世に名前を残すことはないかも知れません。
霊的な道を歩まない方でも、このクリスマスの時期に一度、「謙虚であるかどうか」考えて見ることで、気づきが頂けると思います。
いつもありがとうございます。
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