芸術を喜べる人は、世界を刺激できる

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
昨夜、1ヶ月に1度になってしまったサークルに行って来ました。
昨日はスピィロス先生も志向を変えてみたかったのか、ダスカロスの生の声を録音した教材を使って、みんな静かに聞きいっていました。
しかし、なぜか、未完成な録音で中途半端な感じで切れていた。
わたしと旦那は英語版を聞いて学んでいる。旦那に聞いたら、やっぱりダスカロスはギリシャ語で話している方が言い回しが上手いそうだ。
スピィロス先生が旦那に一枚の絵を写真にしたからと言って、いただいていた。
何やらダスカロスのシンボルらしい、わたしに手渡して頂いた絵は家に飾っているシンボルと同じではないかと思いつつ、有難く頂いた。
昨日の参加者の中には、ダスカロスから学んでいたという年配のキプロス人女性がいた。
わたしはギリシャ語で学べるほど、語学力がないので、参加していてもところどろしか分らないが、旦那が参加しているので、便乗させて頂いている。
昨夜、盛り上がっていた話は「審判の日」だった。
いつも無口な旦那がスピィロス先生と論議していた。若い女性がキリスト教の聖書の中の「審判の日」について、「キリストが復活して、わたし達、一人、一人を選別して行く日が来ることについて、どう思うか?」という内容だった。
すでに2000年前に人間として生まれて、わたし達人間に多くの真実を教えて頂いたキリストが、努力もせずに、他力本願と変化してしまった現代人のためにメシアとして生まれて来るだろうか。とわたしは思った。
神界からわざわざメシアとして転生して来ていたとしても、個々のカルマを解消することは決してしないだろう。
霊性を向上させる学びは、途轍もなく困難なことだと思う。
簡単に手に入るぐらいだったら、すべての人が手に入れていることになるだろう。
もちろん、最終的にはそれを手に入れることになるが、輪廻転生するたびに忘れてしまっている人の方が多いだろう。
レッスンの最後の瞑想中にいきなり、先生宅のチャイムがなるので驚いた。時間によって音楽が違う。3回チャイムを聞いたので、夜の10時を知らせていた。
わたし達は時間通りに来て、一番先に帰る。
あまり長いすると先生ご夫妻もお疲れだと思うが、他の生徒さん達は2次会をする様子だった。
とっても気持ちいい瞑想を終えた後で、背中に天使の羽が生えたような軽さで帰宅中に、7色の光のスポットライトの場所を通り過ぎて行った。
「フェスティバルじゃないの?」とわたしは旦那に聞いた。
「だよね・・・。ちょっと、覗いて見る?」と聞かれたので、「10時過ぎているけど、いいの〜?」と次の日の心配をわたしはしながら、答えた。
旦那は「これって映画祭のイベントのプレミアムらしいけど、知っている人もいなさそうだし、招待客だけみたいだし、帰ろうか〜」と言うので、「そうだね、今日はわたしはメイクもしていないしプレミアムの日に相応しくない格好だしね・・・。」と言って帰ろうとしていたら、「あれって、Vさんの車だよね。」とわたしが旦那に聞くと、「そうだよね。」と言うので、「ちょっと中まで覗いて来るね。」と言いながら、入って行って、手でお出でコールがあった。
やっぱり、友人がいた。
わたしはみんなが美味しそうに飲んでいるワインが気になった。
伝統的な石で作られた建物の中での、映画祭とは粋で素晴らしいと思った。
去年の夏にVさんが伝統芸のドキュメント映画がある村にお出でと言われて、道に迷いながら、行ったことがあった。
今夜の映画は終わったというので、カタログを貰っていた。7日間、無料で誰でも入館が出来るそうだ。
中で写真展もあるから見てご覧と言われたので、見ることにした。
ハワイのパールハーバーの写真から、北朝鮮イラク、ミャーマ、コンゴなどの痛々しい中にも平和を意味している写真が広い会場の中に飾られたいた。
見ていて、サークルの余韻が無くなりそうになった。
でも、これが現実なんだ。先進国という名で弱い国を食い物にして命の代償に相手の国を援助して来ているだけで、援助されたくない国だってあるわけだ。
5年前のイラクと、5年経ったいまのイラクはどこが違うだろう。
もっと悲惨なんじゃないの・・・。神の名を使って戦争するのはやめて欲しい。
武器を使わなくとも、人に刺激を与え、反戦活動も出来るのではないだろうか。
わざわざ、他国まで遠いところまで行って、他国のモノを奪うと、巡り合わせて、時を越えて違う国に奪われてしまうことになるだけだ。
それよりも、本当に平和を望むのであれば、芸術から人を喜ばし、世界を刺激できるのではないだろうか。
かの有名な印象派の画家ピカソ反戦活動のために絵を描いていた。
綺麗な絵もこころを打つが、現実の写真なども真実で顔を背けてはいけないということだ。
わたしは子供の頃から、生まれがヒロシマ県なので、嫌でも、戦争、原爆の悲惨さを人づてながらに学んで来た。そんなわたしが海外生活で日本のどこの出身か、と、聞かれると「ヒロシマ」と答える。
わたしはヒロシマに生まれて良かったと思う。小学生に入学してから、戦争について多くの人からこころの痛みを聞けた。ヒロシマが日本国の犠牲になった。すでに敗戦していたドイツの研究をアメリカが負けを認めない日本国に自分たちの勝ちを認めさせることのために、芋のツルを食べて、ひもじい思いをしていた日本のヒロシマに原爆を落とした。
もう63年前のことだ。
アメリカがやったことはテロと同じではないだろうか。
神という名で、今もイラクを攻撃し続けている。ベトナム戦争のときと同じように、戦い続けている。
まるで、古代エジプト人がイスラエル人を奴隷として、一人の王様のために死ぬ前からピラミッドを建てるために、イスラエル人を鎖で繋ぎ、必要がないといとも簡単に殺していた。また、アメリカ大陸を見つけたコロンブスの後に、アフリカから奴隷狩りをして、国土開発をして来た。
弱い国の人たちを虐殺して、巨額なお金を手にして、自国の国のために使われているなら、殺された命も本望かも知れないが、少人数の人たちの欲の為に保持されているのでは、先進国と言葉は良いが、こころを殺してまで、巨額な数字のお金が必要なんだろうか。
こころを無視して、手に入れた建物やお金を保持しても、こころが満たされることはない。そして、自分さえ良ければと願う気持ちは最終的には、宇宙の法則に反することになる。
わたし達人間は時として、手を汚さないといけないときもある。
それは、大人になるに連れて、ほとんどの人は十字架をみんな背負いながら生きている。でも、その痛みをわざわざ他人に分って貰う事に力を注ぐよりは、自分が傷ついた分だけ、他者を傷つけることは止めようとするこころを学ぶ必要があるのではないだろうか。
もしも、ヒロシマ人が自分達が傷ついたから、同じ痛みを他者にしたいと願っていたら、戦争が終わることなく、続いていたかも知れません。
わたしの祖母の世代のヒロシマ人は水に流しました。
自分達だけが、犠牲になったのでは無いからです。そのまま戦争を続けていて、自分の息子すべてを戦場に送り出すことの方が辛いのです。
御国の為に大切な命を犠牲にする必要はないと思います。
今までの時代は大国が小さな国を奪い、そこにいる弱い人種は最低限の食糧だけのために、アリのように踏み潰されてしまいました。
発展途上国だから、強い国の我こそがこの国を立て直してやるという意気込みで、大きな象を送り込んで、アリ達の建物を踏み潰して、オレのいう事を聞けというやり方は、もう、必要ないのではないでしょうか。アリ達にも感情があるのです。それが復讐心として残るアリもいるのです。
本当に相手のことを思ってやる行いは、時間が掛かることはありますが、神様と同じ気持ちであれば、最終的には小さなアリの願いを聞いてくれることになるのです。
満たされている物質社会にいるとアリも働かなくなります。今起こっていることへも無関心となるアリも増えて行っています。
復讐と無関心だと、復讐したい気持ちがある方がエネルギーに変わることもあります。たとえば、神様の存在を最初から嫌いな人もいます。
神を憎むあまりに、その追求をしているうちに、憎しみが愛に変わることが多いのです。
愛は世界を刺激して行きます。
その愛を学べるときは、この世でしかありません。
様々な霊界のレベルから、現世で共にする地球という場所で巡り会えたのです。
この世でしか会うことの出来ない、高貴な魂の芸術作品のお陰で、わたし達は学ぶことが出来ます。つまり、芸術体験をこの世で出来るのです。
あの世に持っていけるものは、体験です。
芸術体験も肉体を持って生まれたからこそ、味わえる感覚なんです。

つまらない人生の事実よりも、芸術作品という真実の賜物の創造は、多くのほろ苦い感覚から、胸を突く感覚、さらには、自然に涙が出て来る不思議な気持ちを教えくれるはずです。
長々と書いてしまいした。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

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