自分の意思だけで生きているものはない

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ここ最近、「死にたい」という方達の鑑定依頼を多く受けております。わたしの場合、海外でプロとして、サイキック・リーダーの道を歩き始めました。
様々な人種の人々の人間模様を鑑定させて頂けるなかで、アジアの中でも、世界の中でも、生活水準が高く、物質面にて豊に暮らしている日本人のご相談者の中には、「日本に帰りたくないから、帰るぐらいなら、死にたい。」「信じていた彼が浮気をしてしまった。死んでしまいたい。」「わたしには子どもが出来ない、だから、生きていても無駄だから、死にたい」「仕事仲間と上手く行かない、死にたい」「借金地獄でローン会社からの催促で頭が狂いそうだ、死んでしまいたい。」等、他にも色々な理由で「死にたい」と相談を受けると胸が張り裂けそうになりました。
他の人種の人たちは「死にたい」という言葉はあまり言いませんでした。
カソリックも含めて、キリスト教徒などは死を違う角度から見ているからだと思います。
「死にたい」という方は、また違う言葉を使っていました。
「こんな人生なら自分は生まれて来なければ良かった。自分で生まれて来ようと思って生まれたわけではないのに・・・。」などと自分の逆境を、生んでくれた両親のせいにして恨みごとをいうご相談者さまもいました。
しかし、そんな人が何かの弾みで、急に人生が好転すると、昨日までの恨みごとを忘れてしまったのか、親は自分を生んでくれて良かった、よくこの世に生んでくれたなどと感謝します。随分と自分勝手なものですが、これが人間の本性なんでしょう。
わたし達人間以外の生物は大自然の中で不満一つ言わずに生きることが出来ますが、人間はどれだけの能力や才能が備わっていても、不満を言わずにいられないのでしょう。物質面だけにやけに拘り続けている人は、上を見たり、下を見たりして、お金が少し増えると幸福だ、お金が少し減ると不幸だと騒いでいます。
この地球上でもっとも出来が良い生物であれば、ここまで騒がないと思います。
ですから、人間は地球上の生物としてはあまり出来が良いとは言えないかも知れないですね。
わたし達人間はこの世知辛く、浮き沈みの激しい人生を生きながら、自分がなぜこの世に生まれて来たのか誰も分かっていません。そして、その人生の中でどんなことがいつ起るのか、これも分らないままで生きています。
いつも申し上げているのは、肉体ではないもう一つの魂の意識が、すでに地上にある肉体の両親を選び、そこではじめて人間となって生まれて来るのです。
輪廻転生を繰り返している中で、どの両親を選ぶことが個々の魂の成長の為になるか、事前に計画を立てていますが、人間として生まれるときに、どうして、この親を選んで来ているかという記憶は抹消されてしまいます。
この世に生まれたのも、今現在の暮らしも、すべて自分の意思などではありません。わたしたちは生かされているのです。
わたし達は苦労するために、生まれて来ているのです。
人生が薔薇色の世界であれば、生まれて来る必要はないのです。あの世に帰れば、様々なレベルのグループに分かれるだけです。学ぶ内容も一定レベルで肉体を持っていなければ学べない、感情を体験することは出来ません。
たとえば、あの世に帰ると自分勝手な人たちは自分勝手なグループで集まります。人を傷つけた人たちは、その集まり、人助けをしたり、人の為に神様のお手伝いをした人たちは、そのグループに集まります。
今生きているときに、夫婦だからと言って、必ずしも同じグループであの世で学び続けることは実は少ないのです。
この世の人生を80年間としますと、あの世の人生はさらに長いのです。
特に、死にたいと言って自殺してしまい、肉体から離れて後悔する未浄化霊がほとんどです。霊媒師の身体を借りないと身内と話が出来ない霊になってしまうこともあります。死んだことさえも自覚出来ない霊(人)もいます。
死んだ気になれば、今の問題はクリアー出来るはずなのです。
クリアー出来ないほどの課題は、キリストやお釈迦さまほどのレベルでなければ神様や守護霊さまたちが用意致しません。
ある人にこう仰って頂きました。私よりもかなり年上の女性でした。「人生は、幸福だと何ひとつ学べなのですね。子どもを亡くして、どうしてこんな思いをしなきゃいけいない、どうしてこんなに苦労しなきゃいけいない、悲しくて、悲しくて、死んでしまいたいと何度も思い苦しみました。長い長い期間、生きている意味も分からず、主人にもあなたはわたしの気持ちなど分らない!私が代わりに死ぬべきだった、どうして、あの子が死んで、私が生かされてしまったのか・・・。今はこんな私の側で見守ってくれた主人にも、あの子にも感謝しています。」
一人、一人、皆さん、大事な命を頂き、カルマの解消をしなければなりません。
わたしがいくら、あなたの気持ちが分ったからといっても、わたしはあなたではありません。あなたが苦労しなければ、無意味なのです。
今回の輪廻転生であなたが決めて来た課題をいまやらなければ、いつするのですか。あなたがやらなければ、だれがあなたの課題をするのでしょうか。

難関だと思える課題でさえも、あなたが本気で頑張る気持ちがあれば、必ず、達成出来ます。
この地球上には、生きたくても生きれないで涙も出てこないぐらいに家族と泣き明かして、余命宣告をされて死んで行く人たちもいます。
わたしごとで申し訳ありませんが、わたしの前の夫は余命宣告をされてから、1週間であの世に戻って行きました。
亡くなる1日前に多くの人たちが自宅にお見舞いに来て下さったときに、周りも私も悲しさを通りこしていましたから、笑顔で明るい会話を心がけていましたが、私も皆さんも目頭から涙がポロポロと流れてしまいながら、死んで行く夫は「皆さんに美味しいお茶を入れて差し上げて、ケーキとかも出してあげて、僕は死んで行くけど、みんな、カズコのことを頼むね。あっちに帰っても、僕は頑張って見守って行くから・・・、ちゃんとみんな勉強してね・・・。」と息も出来ない状態で痛みと戦いながら、「もう少し長生き出来たら良かったなぁ〜。」と言っていた言葉が忘れられません。
もしも、あなたが死を選び、死んでしまったとしても、死を自覚していない未浄化霊になってしまった場合は、どんなにも素晴らしい聖人達やお坊さん達がお経をあげたり、拝んだりしても、それで成仏することはないのです。すべて死者の魂が自分で判断して行くべき所へ行けるか行けないかにわかれるのです。
ですから、死者の成佛というのは、死者自身が自分の死を納得するかどうかということで、有難いお経なども死者本人の魂には全く関係ないのです。
その場の死者に対して、本当に通じるものがあるとすれば、それはお経などではなく、親族や愛する友人達の思いの方が強く、自覚していない死者で、理解しない死者は成佛しないまま、固くないに暗闇をさ迷うことになります。
自ら、命を立つことは、大きなカルマになります。
わたし達人間には寿命という、体内時計が備わっています。身体と魂のバランスによって寿命が延びたり短くなったりするとも言えるでしょう。
もしも、あなたが死んでしまったら、多くの人が苦しみます。
残された家族はあなた以上の苦しみで茂垣苦しみことを想像して下さい。
こころの病気であなたが葛藤しているならば、他の病気に比べて激しい戦いでしょう、だからといって、この世からあっさりと命を持ち去ってはいけません。
もしも、日本に生まれて、こころの病気の家族がいるとすれば、供養する大事さを経験するためにも、いま、大きな苦しみに見舞われているかも知れません。
供養に向かって一心不乱に意識を高めることで、どんなに難しい症状もきちんと治して元の明るく、素直な性格に戻ることでしょう。
続けていくうちに、供養の偉大さも理解出来ることでしょう。
死者のためと思いはじめたことでさえも、実は自分の為、自分の家族の為に知らず知らずに理解出来ることでしょう。生かされている今という貴重な時間の大切さ、有難さに気づくはずです。
自分が生かされている存在であることを開明出来れば、日々に感謝して、どんな過酷な条件の難題であろうと、幸福感にみちた生活に変化して行くことでしょう。
ありがとうございます。
合掌
カズコ