キリストも生活していたかも知れないヒーラーたちのエデンの園より

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
イェラバンは少し暖かくなって来ました。
わたしの風邪は適当に自己ヒーリングをしたので、お薬も飲まずに治したのですが、旦那の方は高熱でおとといはうなされていました。少しだけヒーリングをしてあげたのですが、わたしよりもはるかにスピリチュアリストな人なので、自己ヒーリングを自らして貰いたいので、6割ほどは手助けしました。
さて、ここに来ている間にいろいろな人々と会うことが出来ました。
そんな中で、ホテルの近くで毎日決まった時間立っているおばあちゃんがいます。
ほかの物乞えとは違い、黙って立っているだけなんです。
旦那は一度も見たことがないのですが、私が出かける時間にはちゃんと立っているのです。
ソ連から独立してからのアルメニアは貧富の差が激しくなっているようです。
手を出されると、ついついお金をあげてしまいます。
常に小銭を用意しておかなければならない状態です。先日、2時間以上テクテクと道に迷ってしまったので、ふくらはぎが筋肉痛で硬直していたので、昨日はあまり冒険しないで、ホテルでギリシャ語の勉強をしようと思っていたのですが、いつも立っているおばあちゃんと話していたら?(ボーディランゲージ)アルメニア系のフランス人のおじさんに写真を撮られて、彼曰く、フォトグラファーらしいのですが、写真をプリントするので私のステイしているホテルに持って行くから、強引に時間指定して来たので、時間前からロービーで待っていました。
アメリカのブシュ大統領がイスラエルに到着する飛行機をライブでぼっ〜と見ていたのですが、まったく興味がないので、部屋に戻って、洗濯をしていました。近くにはランドリーもないし、ホテルで洗濯して貰うと異常に高いので、洗剤も自分で買ってごしごしと洗っていても一行に連絡がないので、旦那がホテルまで帰って来るまで、時間もあったので、おばあちゃんのところに同行することにしました。
わたしがタクシーで帰る?と聞くと、「駄目だよ!勿体無いから、メトロで帰るから・・・」というので、一緒にメトロ(インフォメーションセンターではメトロはあまりお勧めしないと言われていたのですが)に行くまでに多くの人たちと言葉を交して、メトロまで行きました。どうやらおばあちゃんは顔パスでチケットらしいものも購入しない代わりに、飴をたくさんあげていました。ポケットから10個ほど取り出しては駅員の人たち、私の泊まっているホテルが近道らしくドアマンの男の子にも飴をあげていました。
イギリス辺りのメトロだと、モダンな電車が来るのですが、予想していた感じの古い旧ソビエトのレトロな電車が到着したのです。メトロの中はとっても綺麗でおばあちゃんが電車に入ると数人の人たちがすぐに立って席を譲っていました。結構混んでいました。
おばあちゃんの合図と共に、2つほどの駅で降りました。
何だか分からない地下の露天商みたいなところを通り、天井が高層な建物の駅に出て来ました。
その高層な建物から出て行くのかと思いきや、旧国鉄のビルの中がどうやらおばあちゃんの棲家からしいのです。ロダン銅像らしいアンティークも飾ってありましたが、誰もそんな物に価値があるとは思えないのでしょう。
おばあちゃんは鍵を部屋の前辺りに隠しているようで、ごそごそと暗い中で探していました。
部屋のサイズは日本でいうと江戸間で12畳ぐらいでした。天井も高く、壁紙が剥がれ落ちそうでしたが、それほど汚い?という感じでもなかったです。多分、エジプトの方が汚かった感じです。テレビもあり、冷蔵庫もちゃんとありました。
窓からは広場が見えたりして、それほど悪い様子ではなかったです。
冷蔵庫からイチゴの砂糖漬けを出してくれて、「食べて頂戴!」と言われたので、沢山頂きました。ほかにもポテト料理を作るというので、「おなかが一杯だから、良いよ〜!」と動作すると理解してくれたみたいでした。
壁に貼られたキリストの絵はおととい、私が道に迷って行った教会に飾ってあったキリストの幼少時代の絵と子羊の絵でしたが、おばあちゃんが飾っていたのは、ダスカロスやリマーソールの主教と同じキリストの画像でした。キリストが首に子羊を巻いている画像です。
その隣に戦争で失ってしまったという息子さん二人の写真が飾られていました。
途中、おばあちゃんは入れ歯をはずしたらしく、動作で戦争のときに兵隊に殴られたらしく、すべての歯がないらしいと言っていたと思います。
旦那さんも交通事故で遠い昔亡くしたと言っていました。
会話が続かないので、テレビを一緒にみることにしました。
ホテルでは映らないチャンネルぽっく、のどかなアルメニア民謡らしい歌に合わせて、バックの映像はアルメニアの山だったり、教会だったりして音に合わせてリズムをおばあちゃんはとっていました。青年が歌い始めるとハンカチで目を押さえていました。
1時間ほどいたのですが、おばあちゃんに勧められたサイダーでトイレが近くなり、どれぐらいホテルに帰るのに我慢できるか分からなかったので、おばあちゃんの使っているトイレを借りました。
一人、一人のトイレがあるようで、鍵を持って行きました。
水は流れていませんでした。
隣のおじさんがおばあちゃんに何か話しかけていました。
駅の外から写真を何枚か撮りました。
おばあちゃんは私が間違わないようにと、一緒に電車のホームまで着いて来てくれました。
写真をカチャカチャと撮っていましたら、兵隊さんに注意されて、削除するように言われました。どうしてなのか?分かりません。
無事にホテルまで辿り着けました。
旦那に「今日は何していたの〜?」と聞かれたので、話すとかなり驚きながら、「ホームレスの人のお家に行く人はあまりいないよ〜。それにパクパク食べて来て、お腹壊したら大変だから、ちゃんと注意してねぇ〜!」と言われて、「大丈夫、変な人のところには行かないから・・・。」「おばあちゃんも人を連れて帰ったのは初めてだと言っていたよ〜!」と言うと、「まず、豪邸訪問する人は多くいるだろうけど、汚い場所を見学しに行く人はいないよ〜!」と言われたが、私は楽しい思い出を作っているだけだと思う。
昨日まで大金持ちでも、政府が変化したことで銀行口座も凍結されたりした国の人たちだから、お金では買えない「こころ」を持っていられるのではないかと思えた。
キリストが伝道する前まで、ヒーラー達が集まって生活していたと思われる場所がアルメニアには存在していたらしい。
いろいろと学び深い渡航である。
いつもありがとうございます。
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