学びの深い アルメニア渡航

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今日は少し真面目に綴り、その後、軽く綴ってみようと思います。
いつも貴重なコメントをして頂いているガウリールさんの方がアルメニアに関しても、よくご存知だと思います。
予定よりもさらに長く滞在することになりつつあるアルメニアです。
アルメニアは世界でも最も古い文化を持つ国のひとつで、301年には、歴史上初めてキリスト教を国教と定めているそうです。東ローマ帝国とサーサーン朝に挟まれたアルメニア王国は、5世紀になると両国に分割されて滅ぶが、6世紀末には東ローマ帝国のあらゆる場所にアルメニア人のコミュニティが形成され、特に軍の要職はアルメニア人が占めるほどになったそうです。アルメニア人は東ローマ帝国内に社会的優位性を築き、ビザンティン建築においても、その発展に寄与することになりました。
アルメニア最古の教会建築物は5世紀から6世紀に遡り、その形式はシリアの影響を強く受けたものだそうです。聖堂の建設は、最初の大主教啓蒙者グレゴリオス(17年間、穴に閉じ込められていた聖人)が、キリストが天から下りて、金色の槌で大地に触れるビジョンを見たことで、彼はその場所、ヴァガルシャパト(現エチミアジン)に大聖堂を建設しました。

ですから、知識がないまま来たわたしみたいな者は、予定していない国でしたが、新鮮な喜びを頂くことが出来ました。
長くても3週間の予定だったアルメニア滞在ですが、キプロスの自宅の観葉植物も枯れただろうと思うと、家族にアパートの鍵を渡してくれば良かったと思ってしまいました。
着たきりスズメのように、同じような服を着まわしております。
ほとんどバックパッカー状態です! バックパッカーといえば、いつもブログを更新したりしているインターネットの場所で足を引きずりながら階段を下りて来るアジア人女性を見かけた。
受付嬢に日本語フォントが使えるか尋ねていた。
イェラバンの街も一人でぶらぶらするのも、ちょっと退屈だったので、ブログを書き終えてからと思っていたら、彼女は10分ほどネットをしただけで、早くも外に出て行っていた。
現地に住んでいる日本人ぽっくなかったので、裏道を通ったりすることはないだろうと思っていたが、人ごみで見えなかった。
ご縁がなかったと思って、私が滞在しているホテルに入ろうとすると、さきほど見かけた彼女に再会した。
久しぶりに使う私の日本語がたどたどしかったようで、どうも警戒された感じだった。
変な日本語を話すアジア人だと思われたようだった。
彼女とちょっと立ち話をすると、アルメニア料理を食べに行こうと思っているというので、ホテルでいつも似たりよったり夕食はとるが、昼間は食べないので、お供することにした。
ただ、ワンピースを着ていて、パンプスだったので、坂道がすごいイェラバン市内のパンプスは足が疲れそうだったので、一旦、お部屋に帰って着替えた。
話によると、すでに3ヶ月以上も旅をしているらしく、その日の朝にジョージアからイェラバンに電車で到着したということだった。
どこに宿泊しているのか、尋ねると、イェラバン駅(おばあちゃんが住んでいる場所?に近いらしいが、おばあちゃんの話は彼女にはしていない)の近くにホームステイをしているらしい。
いくらぐらい?と聞くと、1泊1000ドラム(ユーロで2ユーロちょっと、日本円350円ほど)だというから驚いた。でも、ここイェラバンは物価が高いということだった。
食事もシャワーも付いていないということだった。
わたしがシャワーでもお風呂でも私の泊まっているところでどうぞ。と、言うと、泊まっている近くに1時間150円ほどでシャワーが出るところがあるというので、遠慮していた。
彼女が食べたいというアルメニア料理は脳みそだった。
私は暑かったので、アルメニア産のビールを飲むことにした。
別にお腹は空いていなかったが、アララト・サラダというのに惹かれて、注文した。
日本でパン職人らしい彼女はパンは食べたいが、パン代を気にしていた。
一日の予算があるらしい。
ここイェラバンは高いので、早めてイランに行こうと思っていると言っていた。
外国人男性でも現地情報があまりないイランに行くとなると、考える人たちもいるなか、女性一人でアメリカと仲が悪いイランへの渡航というから、驚いてしまった。
気になっていた足の話になった。
渡航中に足の膝が痛くなった様子である。
転んだ訳でもなく、ズキズキと痛くて、日本からの鎮痛剤も飲み干したと言っていた。
すでに3ヶ月以上、痛みと共に戦いながら旅行を続けているらしい。
もしかすると、カルシウムや栄養不足から来る病気かも知れないし、足は早く治しておいた方が大事故を3回以上と遭った私は一生痛みが続くと思うと辛いだろうから、出来るだけ早く治ることを願った。
カルシウムを買いに行きたいと彼女がいうので、同行した。
旦那MからSMSが入っていた。
また、明日にでも会えそうだったら、会おうと言って別れた。
次の日にホテルから出かけようと思って、サングラスを探した。
サングラスがないことに気づいた。
唯一、サングラスを外した場所は、彼女と一緒に行ったレストランだった。
ローカルのイエローページ?で電話番号を探したが、見つからなかったので、ホテルのレセプションの人は英語の意味が理解していないこともあるので、インフォメーションセンターがホテルから近いので、行って電話で問い合わせて貰うことにした。
偶然にも彼女がいた。
どうやら、足が痛むので病院等の情報を聞いているらしかった。
私は顔見知りになったインフォーメーションセンターのかわいいアルメニア人女性に、「もしかすると、昨日、レストランにサングラスを置き忘れたかも知れない。」と、話すと、「お店の名前は?」というので、隣にいた彼女が知っているが、「何とかビレッジという店だったと思う」というと、「外に壷とかあるところ?」と聞かれたので、「そうそう、そこのレストラン。」というと、すぐに電話をしてくれた。
聞いてくれていて、LAV、LAV(良いという意味)と連発していたので、あったんだ?と安心した。
「あるみたいですから、いつでも、取りに行って下さい。」と笑顔で言って貰えた。
サングラスは色々と持っていても、このサングラスといつも旅に出ているし、多分、前夫からのプレゼントということもあるかも知れない。
そのサングラスを取りに行くことにした。
その後、バザールに彼女が行きたいというので、見に行った。
野菜とかあまり新鮮でない野菜がピラミッドのように積み重ねて売られていた。
果物を見ながら、キプロスの義理母は今年、さくらんぼうや杏、桃などを収穫する私たちがいなくて、寂しいだろうなぁ〜。と思ってしまった。
どうやら野菜なども彼女は食べていないらしく、顔色が悪かった。
暑い中、歩いて、疲れたので、私が泊まっているホテルでランチをご馳走するから行かないかと誘った。遠慮していたが、お茶だけでもどうか?と言って、ランチをすることにした。
アルメニア料理ではないが、豚肉のBBQ、サラダ、アルメニアの野菜?などを出してくれた。
豚肉にはビタミンEがあるから、大豆と同じ作用がある。
食事が運ばれるまで、顔色が悪く、辛そうだった。
食べ終わったときは、唇が赤くなって元気になったみたいであった。
同じ広島県民ということで、話も弾み?
「イェラバンにいる間は、私は暇しているから、いつでもここのホテルに遊びに来てね。」
と言って別れた。
ここイェラバン滞在もイスラエルから再来週に来る予定のコンサルタントの人が「必ず、僕と一緒にイェラバンを出国出来るように手配する!」と、仰って下さり、旦那Mの誕生日はオーストリアか、ニコシアになりそうだ。
旦那Mは早く私が作るものなら、何でも良いから食べたい〜!と、言うほどになって来ている。
と、何だか、だらだらと書いてしまいました。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。