めぐりあわせ   人とのご縁とは

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
3週間のアルメニア滞在がなんと?2ヶ月近く滞在することになるとは夢にも思っていませんでした。私も長旅の疲れで風邪や腹痛などで体力不足になって来ているのですが、横で魘されている旦那Mを見ていると辛くなりしましたので、昨夜は軽くヒーリングをしてあげたので、いびきをかきながら寝ていましたが、何を食べても下り気味で顔が旦那Mは小さいのですが、さらに小さくなっていました。
アルメニア人の人たちから、これ食べて?と頂くようですが、新鮮ではないらしい食べ物を食べたらしく、治りが遅いようです。
さて、今日はエッセイ風に「めぐりあわせ」を綴ってみようと思います。
ありがとうございます。
人と人とのめぐりあわせは偶然の出来事ではない。
人と人とのめぐりあわせの奥底には必ず見えない力が関係していることだろう。
たとえば、もしも、あなたがご主人さま、奥様がいらっしゃるならば、どういう形であなたはその人と結婚しようと決めたのであろうか。
世界中の異性の中から、選んだわけではないでしょう。
通常はあなたの周りにいた人の中から、「この人なら!」と思って選んではないでしょうか。
選ぶということは買い物に似ていると思います。
選ぶ行為よりも不思議なのは、選んだ人と結婚して、夫、妻になる方が不思議な出来事ではないだろうか。
どうして、その人がこの世に生まれて、偶然にもあなたの側にいたのか。
そして、結婚したいと思う時期、または、結婚したいと思う気持ちにさせて頂いたことなど、その出来事の方が神秘的ではないだろうか。
これが「縁」の不思議である。
この「ご縁」という言葉は仏教用語にはあるが、キリスト教では「縁」という言葉はないらしい。ないからといって、キリスト教徒たちが目に見えない力や存在を否定しているわけではないだろう。
逆にキリスト教徒も人生のあり方や真理の追究を求める中で、見えない存在が生きる中で必要だと信じていると思う。
しかし、仏教はこの「ご縁」という意味を大切に育みながら、今の日本文化の背景を作り出したのではないだろうか。
不思議である「ご縁」を大事にしたいと思う気持ちが内なる潜在意識から湧いて来ることもあるだろう。
また、仏教には「時節到来」という言葉がある。人間に働いている仏の心を知るには時節を待たねばいけないという意味だが、同じように「ご縁」についても、そのことが理解出来るのは人生の時節を待つ必要があるのでしょう。
しかし、家の中で待っていても「ご縁」は出来ないでしょう。
地球が生きていて、多くのエネルギーを地球に生きる生命全体に放出してくれている。
だから、大自然に出かけて深呼吸をすることで宇宙の命を吸い込んでいると思うことで、心身ともに浄化され、新しい「ご縁」に繋がることだろう。
スピリチュアリズムを学んでいる人は、ここで思い出して欲しい。
人とのめぐりあわせ、土地、国、本なども自分で選んだと思い込んでいるだろうが、実は見えない力が作用していたりすることも多々ある。
それは、私たちがこの世に求めて来たのは「魂の浄化」「魂の向上」だったりする。
だから、自分で選んだと思われる人やその他のモノなどに苦しまされたりすることもあるだろう。
しかし、相手と対立することで自分を正当化するのではなく、本当の自分を見つけ出すことが「縁」を通じて理解することも可能であろう。
だからこそ、出会いを大事にしながら、奥底に眠る自分を見つけ出す機会に感謝しよう。

ありがとうございます。