無念で堪りません

こんにちは。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
先週末からユーロサッカーが始まった。
それまではアルメニアでテレビを見る気にならなかったので、テレビをしばらく見る機会がなかった。
開催国のスイスとアルメニアとは時差が3時間ほどある。
たまにはBBCのニュースでも見ることにしようということでテレビのスイッチを入れた。
すると秋葉原通り魔殺人のことが流れていた。
次の日にネットセンターで記事を読んで唖然とした。
言葉を失ってしまった。
犯人の行動は恐ろしく憑依しているようにも感じた。記事の内容が彼の本当の気持ちであれば、悪魔に取り付かれた魂の一人ではないだろうか。
「作業着がないから」という理由で罪もない人々を殺すことが出来るだろうか。
彼は計画的に誰でもいいから、殺したい!と思いつき、計画を実行したらしい。
それもわざわざ秋葉原通りが歩行者天国になる時間を狙っての計画だったらしい。
大人の男性が些細なことで、多くの人々の尊い命を一瞬に奪ってしまっていいのか。
以前、九州で公務員の男性が飲酒運転で前の車に突っ込み、追突された車には夫婦と3人の子供がいたが橋から車ごと落ちて、子供達を水死させた悲惨なニュースを思い出してしまう。
今回のニュースは悲しみを通り越して、怒りを感じてしまう。
私は自殺には賛成はしない。一人、一人、この世での課題は貴重だと思うし、自殺しても報われることがないし、あの世に帰ってさ迷うならば、この世で精一杯生きて欲しい。
そして、出来れば死の直前まで、死のうとせずに生きて欲しいと願う。
しかし、今回の犯罪者は一人善がりで、自分勝手な思い違いと思える行動を取るならば、
他の人を巻き込まずに、樹海にでも出来かけるなりして死んでくれれば良かったのにと思う。
今の時代は人生で価値があると信じてきた多くのものを失うことになるだろう。
そして、そのことを通じて、色々な気づきを頂けるだろう。
ただ、物資的な物を失ったからといって、生きることも無意味ではないだろう。
生きることこそが、本当の気づきに繋がるのではないだろうか。
5月に起きた天災で多くの命がこの世から去ってしまった。
この次元上昇中には物質を失う人もいれば、名誉、地位などのエゴで作られたモノを失う人もいるだろう。
しかし、これらはすべて私たち個人の意識が引き寄せたものだから、失うことで、それらは果敢無い存在のものであったか気づくこともあるだろう。
中国、ミャーマの人々は天災によって最愛の人たちを失ってしまった。
大事な人を失ったことがある人は、悲しい経験を通じて目の見えない存在を経験したことでしょう。
しかし、この度の事件は天災ではない。
安全だと思っていた日本でさえも、悪魔が憑依した人々がうろうろとしているが、表向きは善人の顔をしている可能性もある。
命を奪った犯罪者は無期懲役になるだろうか、それとも死刑になるだろうか。
どちらかに判決が下されたとしても、犯罪者は反省するだろうか。
見知らぬ人にタイガーナイフで刺されて殺された側の家族は、闇の中に放り込まれた気持ちであると思う。
家族側は生きるのも地獄であると思う。
言葉にならない・・・。
このことを個人のカルマという言葉で終わらせてはいけない。
この犯罪者のような危険人物は今の日本にはうようよしているだろうと思える。
この犯罪者は携帯電話ネットで書き込みなどをしていたようだが、個人情報どころでなく、事前に警察も尋問するなり出来たのではないだろうか。
霊的にも、社会的にも、改善する時期を怠ってはいけないのではないだろうか。
深く考える事件である。
被害に遭われた魂さまへ、ご冥福を心よりお祈り致します。
ご家族さま、ご友人さまへ、何と申し上げてよいか分かりません。
心よりお祈りさせて頂きます。
合掌