変化の時期

1221298779_Miraicopy
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
先日、テレビを見ていたら、速報でカルフォルニア地震があったと伝えていた。
仲良くしている友人宅は丘に聳える場所にあるので、心配になって電話をした。
彼女の居る場所は揺れなかったらしい。
それにしても、何万キロも離れた場所の私達が国内にいる友人達より先に、彼女の安否を心配してくれて電話を掛けてくれたと言って、喜んでいた。
こちらが夜でも、向こうは昼間だったので、仕事中で忙しくしている彼女とは長く話さず、電話を切った。
ここ数年で急速な変化を感じる。
大きな目覚めの前には、精神的な苦痛も体験しないといけないでしょう。
古い意識から新しい意識への改革の時期とも言えるでしょう。
私たちは、神様の命令によって無理やり意識改革されているわけではないのです。
私たち自身が、生まれて来る前から、自ら決意して、個々の魂の成長の為に様々な試練を経験出来るように、選んで来ているのです。
生まれた後は、その決意を忘れてしまって、自分に降りかかる災難を悪い出来事だと錯覚しているのです。
出来れば、自分自身がどうしてこの地球に生まれたのか、思い出すことによって、不満や愚痴の数が減ることでしょう。
この地球には、私達が最低限必要な酸素も食糧もすべて、宇宙からの贈り物なのです。これほどまでに、多くの贈り物を頂いているのに、なぜ、気づこうとしないのでしょうか。
大きな課題をクリアーするには、多くの失敗や傷つくこともあるでしょう。
でも、生きているからこそ、苦しみ、悲しみ、傷つき、悶え、不安、妬み、憎しみを身体を通じて受け取り方、感じ方の変化も一つのステップなのです。
そんな状態になるには、必ず原因があります。一般的に「因果応報」と呼ばれていますが、これこそが「蒔いた種を刈り取らなければならない」というカルマの法則です。「結果を見て、自分が作った原因に気づくこと」つまり「果実を見て自分が蒔いた種の種類に気づくこと」が身魂磨きの法則なのです。
魂に沢山の埃がついたままで、死期を迎えることになると、来世もさらなる修行が待っていることになります。
あの世に帰る道を失った未浄化霊になる可能性も有得るでしょう。
私たちは「変化」という状況に立たされると、心身ともに、強張ってしまうことでしょう。不安感から、パニックになり、計画通りにことが進まないことは失敗だと思うこともあるでしょう。
しかし、変わらなければならないのが分っているのに、行動を起こすのを先延ばしにしていては、修復不可能になるかも知れないのです。
苦しみを通じて、私たちは強くなる必要があるのです。
霊的な生き方を忘れていた為に、思い出させて頂けるには、「暗闇」を通り抜けなければなりません。
「暗闇」を耐えていくには、信心と祈りを必要として、霊の道を導いて頂ける人が側にいることが最適でしょう。
もしも、そういった人がいなければ、霊的な本を読むことを薦めます。
でも、本だけでは、霊的な事柄は学べません。出来れば、多くの人に一日、3分でも、5分でも坐って欲しいと願います。それが、出来ないのであれば、霊的な生活を心掛けながら、祈って頂きたい。
本物の祈りとは何かを理解する必要があるだろう。祈りは意識レベルでの神様との繋がりを表すことが出来る。真の祈りとは、何かを頂く為のギブ&テイクの祈りではなく、神様のほうを向くことでもないだろうと思う。
神様と共に生きていたいと願うから、神様に向くのではないだろうか。
祈りとは、神様と対話することでも、何かを頂く為でもなく、神様と共に私たちが生きていくということではないだろうか。
一人でも多くの人たちが、自分自身の祈りを通じて神様と一緒に生きる人生を続けることで、もっと、深い「愛」「感謝」を感じることも出来るでしょう。
そして、自分が持って生まれたカルマを克服しながら、愛を持って行動し、他の人々へも、そして、地球に存在する生命に仕えるために生きることを学び続けていく必要があるでしょう。
私の好きな言葉にて「自分の修行は自分がやらねば、だれがやりましょう。そして、今やなれば、いったい いつ やりましょう。」
日常のあらゆる行動を通じて、謙虚に学び続ける必要があると思います。
大きな変化が世界中、地球上で起こるかも知れません。しかし、深いマイナスのエネルギーはさらに、恐れを放ちます。浄化するには、必要のない廃棄物は捨てる必要もあるでしょう。
私たちは霊的レベルを上げる為に、今の地球に生きています。
「魂磨き」に拍車が掛かる時期に差しかかっています。
90年代から、「モノから精神の時代へ」変化して来ています。
今、私たちが求める生き方は、「霊的に生きる」ことが出来る人は心身の埃を取り、終わりなき欲望と、満たされない空虚な魂を抱えたまま、この世を去って行かないように願います。
これからも、どうぞ、「真理のみを求め、いま、という瞬間を大事に生きましょう。」

ありがとうございます。
合掌