ダスカロスからのメッセージ

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
暑い、暑いと思いながら生活していると、毎年のことながら身体がだるく感じたりします。でも、体温より気温が高くなる夏のキプロス生活はあまり身体に良くないのではと思ってしまう。
山辺りだと、それほど暑くなく良い塩梅の温度。
地中海の海も捨てがたい。
ときどき、曇ることがあると、もしかして、雨が降るかな?と期待してしまうが、一滴の雨も降らない。
夏の季節、夕立があれば、大地も雨で浄化して貰えるだろうと思う。
悪い波動は感じない場所だから、燦々と照りつくす太陽と仲良く生活して行こうと思う。
ここ最近、ある方から、ある掲示板などでダスカロスの話題が尽きない様子を教えて頂きました。
私はその掲示板を閲覧していないが、私の名前も出ているらしい。
日本人人口が少ないキプロス
私でさえも、キプロスの存在は親友のスコットランド人に教えて貰ったぐらいだった。日系のエアークルーのお客様から、何でまた、そんな遠いというか、辺鄙な所へ行ってしまったのかと、移住を決めたときから、多くのお問い合わせを頂いた。
のんびりタイプの私の性格を理解している守護霊さまによる配慮ではないかと思う。他人の為と思って鑑定依頼を引き受けてしまうと、自分の時間が持てなくなった。前夫が他界してから、1年ほどは東京で鑑定を続けて来たが、オーストラリアに帰った。ある日、ギリシャ人のクレボヤンスの人と出会った。彼女が自分の事を視て欲しい、その代わりに私もあなたの事を視ます。という物々交換を提供された。自分でも長年住んだシドニーはそれほどステイせず、ヨーロッパに住む可能性があるのではと思っていたが、クレボヤンスの女性は同じような事を私に告げた。
ヨーロッパのどことまで、突っ込んで知ろうと思わなかった。
今の旦那と付き合い始めたころだった。
旦那の甥っ子が結婚するからと、お姉さんから電話があった。
ダウンアンダーからキプロスに来るとなると、オーストラリアドルがその当時は弱く、それにそんなお金はどこを探してもなかった。
2週間の滞在となると飛行機代だけでも驚くほどの金額で、私は旦那一人で絶対参加するべきだと強く言った覚えがある。
人情の厚いキプロス人家族は、わたし達が気兼ねしない為にも、知り合いの旅行会社が2人分の航空チケットをプレゼントしてくれたと言って頂き、そう信じて来た。
だから、そのチケットをプレゼントして頂いた方に、かなりのプレゼントをしていた。
実は義理姉がお足代として、チケット代もすべて配慮してくれていた。
額が額だけに、わが子が気さくに相談出来るおじさんにあたる旦那には、どうしても来て欲しかったらしい。
キプロスの結婚式は何度も参加させて頂いているが、人、人で平均2000人〜3000人の人たちがお祝いに駆けつける。
私にとってはキプロスでの滞在は色々な意味で摩訶不思議な気持ちにさせてくれた。
2週間のホリデー中、色々な場所に行った。
山に行ったり、女神アフロディテの生まれた場所、当時頃から、北キプロスにも行けるようになったので、わたし達は車を借りて旦那の思い出の地を廻った。
地中海の水は温かく、パラソルを借りていたが、全く使わずに5時間海の中で話しをしたりしていた。もちろん、その後は小さな水ぶくれが身体中に出来て痛いし、痒いしと見た目も悲惨だった。
周りの人たちはそんなに長く海の中で泳いでいられたね。と言いながら、ここの野バラのローズウォーターをコットンに湿らしてくれながら、パタパタと湿布してくれた。
家族や親類が集まる場所に行くごとに、キプロスに帰って来いコールで、私にも同意を求めて来る人達。
アフロディテの生まれた場所に、また、ここに来たい人は自分の身につけている物を木に括りつけると願いが叶うということだった。
私はそこに自分の身につけているものを、ぐるぐると木に括りつけた。
そうこうしてシドニーに帰ってから、3ヵ月後には日本、イギリスを旅行して、キプロス生活が始まった。
旦那にはここではしばらく「瞑想」を中心とした生活をしたいと願い出た。
自分と対話がしたい時期だった。
その間は鑑定をしないと決めていた。
毎日、毎晩、気づいたら、夕方になっていたりした。
雑念を捨て、無心に瞑想を続けた。
多くのグルと呼ばれる人と出会った。
夕方からは、近所のキッコー教会に毎晩のお祈りを捧げに行っていた。
サイレントの中、隣の子供の声、車の通る音、鳥が囀る声、レモンの木に花が咲き始めると、甘酸っぱい香りが身体中を覆っているかのように、とっても素晴らしい体験が出来た。
その後、今までの私の経験を「かく」ことで、人々に伝えるように指示があった。
何度も指示を無視していた為に、物体が動いたり、夢にまで出て来るようになった。
何を書いてよいか分らないし、タイプもPC波動が苦手だった私は苦戦した。
そうこうしていたら、ある日、私が幼少時代に夢で見たことのある髪の毛がもじゃもじゃのおじいさんが現れた。
ピンクの波動で柔らかい物腰だったが、とっても大きいイメージがあった。
その当時、私が求めていた師匠は映画「カラテ・キッド」に出て来るミスターミヤギさんのような人情のある人を求め探し続けていた。
探しても現れない。
探すのを止めた。
そんな中、ストロボロスに住んでいる世界一のヒーラーと呼ばれている人の話がフランス在住の日本語教師の人と話題にあがった。
わたし達もストロボロスに住んでいるけど、住所とか分らないままだった。
身近な人たちにヒーラーの話やサイキック、クレボヤンスの話はご法度であるキプロスでは、難関であった。
聞いてもみんな知らない。と言われた。
義理母に聞いたら?と私が旦那に言うと、みんな怖がって話をしてくれないだろうから、待つしかないね。
と、待っていたら、ダスカロスのサークルに参加していた人の連絡先を教えて貰った。しかし、この連絡先がドイツ。二人ともドイツ語が出来ないので、どうしよ〜?たぶん、英語を話せるだろうから、連絡してみることにした。
そして、ダスカロスの家と娘さんの住所を教えて貰った。
それからは、ダスカロスの話をしなくても、小さなキプロス、相手の方から旦那に電話してくれたりして、貴重な秘蔵のテープなどを無償で頂いたりしている。
ダスカロスのお墓は近所なので、頻繁にお参りしている。
しかし、私はマイペースタイプの性格な為、ダスカロスだけに拘ってはいない、常に自分の欠点が克服出来るように、内省を心掛けている。
シャーマン達の教えも貴重だし、ダスカロスの教えも尊い物だと思う。
そして、混ざり合った教えかも知れないが、ダスカロスから「愛」「赦し」を多くの人たちに教えてあげて欲しいと指示があった。
毎晩の様に、赤い薔薇と共にダスカロスの大きな写真から花びらと香りが送られて来ては、「ゆっくりでいいから、一緒に真理の追究をするように」と導きがあった。
もう、10年以上になるが、これからの地球人は一人、一人がメシアとして、自分自身を素直に見つめ、自分自身を内省して、研究して行くことで、人間の持っているエゴが半減して行けば、この地球と共に仲良く生きれる時代が来るだろうと、ある新聞に掲載させて頂いたことがある。
つまり、「WHO I AM ?」を理解することが、真理の追究の一つのヒントになると思う。
私は特別選ばれた人間でもない、ただ、この地にいるということは、過去世にて何かのご縁があったことは確かだろうと思う。
初めて来たときに、懐かしいと感じた国の一つであることは確かだし、3ヶ月後には右も左も分らない異国に来ることになったのも、偶然ではないだろうと思う。

ただ、もう少しギリシャ語が話せると、もっと深く理解出来るかも知れないという不満はあるかも知れない。
頭の回転がスローな私には、苦戦中。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。