神秘を盲信過ぎると危険!

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今年もあと60日間ほどで年を越すことになりますね。
今年の9月から様々の分野にて、スピリチュアルも含めて振り分けが細かくなって来ている。
この世もあの世の意識の世界に変化している。
意識したことが、現実化されやすい時期だからこそ、自分自身をよく知り、理解してこそ、本当の幸せを掴むことが出来るだろう。
スピリチュアル・ブームに突入してから、言葉を巧妙に使い分けながら、スピリチュアルを商売にしている人たちを見かけることも多い。
本物、偽者に関係なく、どちらに繋がるかは自分自身の波動である。
霊界に帰れば分かると思うが、ソウルグループと言われる魂の組み分けは、同じような波動でなければ交わることが出来ない。
この地上界でさえも、交わりそうで交われないグループ分けがされている。
しかし、この世では若輩の魂も学ぶ気さえあれば、肉体を借りて生活している間、高貴な人の本や教えと繋がることが出来る。
この世で学んだ知識や経験はダイヤモンドの輝きよりも、美しく光を放している。
学ぶ気さえあれば、高貴な魂を保持した人から有り余るほどの教えを学ぶことが出来るが、本を読んだ後、自分が体験していない出来事でも錯覚してしまう人もいる。
たぶん、頭で理解しても、魂が向上していないのであろう。
このタイプの人は、偽りの愛を盲信してしまい過ぎて、読んだ本を鵜呑みにしてしまい過ぎて、精神と魂のバランスを崩しているだろうと思える。
そういう人の心の状態は現実離れしている。
つまり神秘なものに惹かれてしまい過ぎて、占いやニューエイジに惹かれ、宇宙人やカルト的な趣味に埋没しやすい傾向がある。
ここ最近はスピリチュアルという言葉も定着しているが、一皮剥くと、神秘好きやオカルトが趣味の人々が「スピリチュアル」という言葉を使うことで現実逃避をしているように思えるのは私だけだろうか。
思春期の時期は誰でもピュアな子供心から、嫌でもオドオドした汚れた大人の社会に足を踏み入れる時期に差し掛かると、「この世的」な俗世界を憎む気持ちの裏返しで、生きる気持ちが半減されることもある。
それは反抗期の時期と重なる為に、それまで大人しかったタイプの人間が突然凶暴になったり、親の不祥事などを発見すると、一緒に食事を取ることさえ、話すことさえも拒絶してしまうこともあるだろう。
思秋期は心の葛藤との戦いの時期でもある。
その葛藤を味わって来た人であれば、汚い社会を毛嫌いしたからといって死ぬまで逃げることが出来ないことを身体を持って体験していることだろう。
だから、心の中では安堵感を感じることも出来るだろう。
その安堵感は自信となって、生きる中で活かされる。
しかし、夢見がちだったり、オカルトが趣味だったり、何でも霊、霊感やスピリチュアルに当て嵌めて考え過ぎると、カルト宗教などに染まりやすい人にならないようにしないと、気が付いたときには怪しいカルト宗教に染まっている人は誰が何を言おうと、教祖さま的な人の言葉が絶対になってしまっている。
この嵌っている人は、ヒーラーや奇跡に強い憧れを感じている人もいる。
ここ最近、話題のヒーラーと言えば、20世紀を生きた偉大なヒーラーこと「ダスカロス」だろう。
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ダスカロスは既に他界しているが、ここ数年間で精神世界を学ぶ人で知らない人はいないと思えるほどの勢いで、知られ渡っている。
しかし、そんなダスカロスに強い憧れを感じている人たちの中にも、ダスカロスが教えていたヒーリングを学ぶことで、自分もそのような人になりたい、特別な力を持ちたい、つまり「アイドル」志向が心の中に秘めていたため、ダスカロスを愛するが為に、ダスカロスを学ぶことで、ダスカロスと同化したいのだろうと思えるが、ダスカロスは学ぶモノではない。
この世に生きている中で、努力なくして本物との出会いや真理の追究は困難だろうと思える。
その努力とは、現実から目を避けず、どんな問題にも正面から向き合うことで、体験を通じて、生きていることを理解出来ることだろう。
苦しい思いをしているのは、あなただけではありません。
この世に生を受けた人、すべての人は、苦しい思いを死期が来るまで通る必要があるのです。
苦しみを体験してこそ、愛、優しさが分かるようになれるのです。
ですから、苦しいからと言い訳しては、現実逃避をしていても、問題は解決されないままこの世を去って行くことになりかねません。
優柔不断な面やオカルトの趣味は、現実を素直に受け止める必要があるでしょう。
私達は辛い経験を通過してこそ、情緒豊かな人間を育むことが出来るのです。
心の傷とも素直に向き合う必要があるでしょう。
たとえば、幼少時代にイジメに遭ったり、学友たちから疎外されたりすると人間不信に繋がることでさえも、すべて体験です。
誰でも、子供心に悲しみ、無常観、ショックなどを受けて成長します。
こうした感情を引きずり成長すると、他人の苦しみを分かち合える慈悲愛のある優しい人になれることもありますが、その反面、社会に対応する気持ちが弱まり、
極端な人間不信から、現実逃避してしまう傾向になる人もいます。
ちゃんと、地に足をつけた生活をして参りましょう。
日常生活の中で、あなたが嫌だと思う人や思い出に対して「許す」と思った瞬間、そのときこそ、心の重荷が取れることが出来るでしょう。
そのとき、あなたは真の慈悲愛を体得し、その体得こそが、この宇宙の真理であることを理解出来るでしょう。
本当に真理の追究をして行こうと思う人であれば、能書きだけのスピリチュアルやニューエイジャーにならないでしょう。
神秘の本質を理解しないまま、目の前に起こる不思議にばかりとらわれてしまうと、瞑想という名から、妄想の世界に入ってしまわないように、注意しましょう。
ありがとうございます。