「あるがまま」の生き方

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
日本の政治にも変革が訪れましたね。
変革の時期に日本に5週間ほど帰れるので、肌で何かを感じるかも知れません。
スケジュールはすでに満杯状態です。アルメニアで出会ったAさんと厳島神社の散策もしたいと思いましたが、宮島に行く時間もないかも知れません。
連休には姉も実家へ帰って来て貰ったり、入院する予定のある姪っ子、さらに、父のヘルパーさんの件で支援センターの方たちとお話したり、ご近所の方たちにもご挨拶したりで、海外に住んでいる私があれこれする係りみたいですから、帰ったら、温泉に浸かりたいと思っていましたが、自分の時間が持てる可能性は非常に低そうです。
旦那にはフィクサーカズコと言われしまいますが、しんどいと思ってもやっぱりやってしまう自分がいるのです。
先日、映画「ZEN」を見ました。
私の好きな道元師がどのように演じられるのか、かなり期待して見てしまいました。
日蓮親鸞などは劇的な生き方をして来たので、映画化しやすいと思っていました。
道元師の場合は演じるにも、難しい人格ではないかと思っていました。
拝むことで救われる信仰を齎した親鸞日蓮とは違い、「人間とは何か。」という仏教の正統派とも言える真理を追究する禅のこころを中国から日本に持ち帰った人です。
達磨も座ることで、自分が見えてくる正統派でした。
人間、孤独感、雑音がないと恐怖心を感じる人もいるぐらい、座ることで幸せになれることも出来ますが、ドラック患者のように、麻薬が切れると幻覚に襲われて、自分を見失ってしまう可能性もあります。
自分というモノを見失ってしまっては、正しい修行も出来ません。
死ぬまでが大事な修行です。死んでからは霊界に帰りますから、この地球で体を借りているときのように修行が出来なくなります。
私が好きな道元師と中国人のおじいさんの会話にて、おじいさんが椎茸を干しているときに、道元師が気を使って他の若い人にやらせてはどうかと言いますが、おじいさんは「他の者は私ではありません。」道元師は「少し陰って来たときに、干した方がお楽ではないでしょうか?」と言うと、「わたしがこれおをやらねば、いつだれがやりましょうか。いま、このときはここ以外にないのです。」そのとき、道元師は気づいたそうです。
それが禅のこころになりました。
そして、道元師が悟ったときには、睡眠欲、飲食欲、疑い、貪欲、悩み、怒り、財欲、性欲、名誉欲が身体を剥がれ、心身脱落したのです。
私達日本人が日本に生まれたことも偶然ではありません。
さらに、変革が起こることにもすべて意味があります。
人任せにしていた政治から、一緒に変える政治にして行くことで違う方向へ進んで行けることでしょう。
拝金主義の為にこの世に転生していないのです。
この世のおろかさ、人間の醜さ、お金を神さまだと思い、人を騙し、追求したのちの空しさ、そうしたモノが見えてきたら、本来の人間とは何かを追求したくなると思います。
真実が見えてきたら、本当の意味で真理が見てくる事でしょう。
死んでからでは遅いのです。
純粋なこころを取り戻しましょう。
純粋なこころを取り戻すことで、水晶のような澄み切った綺麗なこころになることで、ものの真実が見えて来る事でしょう。
日々に起こるすべての出来事は、必然的に起こります。
逃げていても、その出来事を通じて何かを学ぶ必要があるでしょうから、ゆっくりでもよいので、事実から目を逸らさないことです。「あるがまま」の現実を受け止めることです。
伴に頑張り続けましょう。
ありがとうございます。

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