カントリーサイドでのドキュメンタリー映画祭

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こんにちは!
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カレンダーのページを捲るのを忘れてしまうほど、暑さと社交疲れで夏ばて気味です。
7月の終わりから4日間連続でパフォスから車で1時間ほどの場所の名前を聞いても覚えることの出来ない田舎で8回目のドキュメンタリー映画祭が行われるというので、ニコシアの友人から電話があった。
数年前にニコシアから行ったことがあるが、平日だった為に長いが出来なかった。
夜行性のキプロス人にはぴったりの暗くなってから野外劇場で小さなスクリーンが見やすいように、古代の劇場ぽっく綺麗になっていた。
その日は私達が住んでいる近所のパン屋さんにパンを取りに行って来て欲しいという友人からの願いがあったので、行くことにした。
パン屋から旦那が出てきて駐車している場所だと遠いからと言いながら、車を移動させて私もびっくりしたのは、1000個以上あるベーグルの2倍の大きいパンを車一杯に詰め込んでいた。
何個が行く途中に美味しくてむしゃむしゃと食べた。
村に着くと、どこもかしこも車と人で一杯でかなり会場から遠い場所に駐車して、パンを運んだ。主催者が誰なのか分からないまま、運んで帰って来たときには、パンは消えていた。
誰が誰だか薄暗いなかで、ほどんどの人が日焼けしているので同じような顔に見えたので、場所だけ確保して座った。
みんな用意万端でクッションを持参している人、映画祭のロゴ入りマークのクッションを持ち歩く人がうろうろしていた。
映画祭の会計を担当している友人は携帯に電話しても出ず、ドキュメンタリー映画が始まったので見ることにした。
その映画の内容は、キプロス人の版画家の生い立ちから今に至るまでのお話だった。
世界中を旅しながら、版画を彫り続けていく姿勢、キプロス戦争のときに難民としてギリシャに移動したときの話、8年前にトルコ人の住んでいた古い家を提供して貰ったので、その田舎はその人がいるということで、この時期になると映画祭を開催することになったらしい。
映画を撮影したかわいらしいフランス人の女の子が挨拶していた。
アニメーション作品もあったので、色々な国から来ている若者がビールを飲みながら、タバコを吸いながら野外でごろごろしながら見ていた。
アニメーション作品はスイス、フランス、ドイツなどからの出展だった。
日本の漫画と違い、立体感がある。
動物がキャラクターになる作品が多い。
ショート映画だから、終わると拍手される音と拍手の長さで興味を抱いた作品か分かる。
夜中の1時までだったが、次の日に義理母の住む山に行く約束をしていたので、途中で帰った。
山から海に向かう車とはすれ違うが、山に行く車はレンタカーを借りているイギリス人ぽっい人たちを見かけた。
山に行く途中、犬も人間もいないのに、羊だけが道を横断していた。その数、1000匹以上、その写真を旦那のカメラで撮影したが、旦那はワイルドフラワーを撮っている間に、手違いで削除したらしい・・・。
山にあと10分ぐらいで到着するだろうというときに、義理母から電話。
12時近くになっても私達の姿が見えないので、心配になったらしい。
いつもなら、ご飯を急いで食べろと言わないカテリーナだが、雲行きが怪しいので、早く食べて貰いたかったようだ。
食べ終わった直後から、雷がゴロゴロといい始めて、激しい雨が降り始めた。
私はすることもないので、毎晩、蚊とは違う得体の分からない虫に刺されて痒みのために眠れないので、昼寝をすることにした。
雨が止んだごろに、起きた。
体が寒くなって来たので、起きた。
キプロスコーヒーを家では作らないで、旦那が作ってくれた。
最近、旦那のブームはコーヒー占いみたいで、飲んだ後、鑑定をしてくれるというので、目覚めの一杯に飲んだ。
カップを逆さにして待っていたら、ヘルパーのベトナム人のウンガさんが行き成り、持って行こうとするので、旦那と私は彼女の腕を掴んで、説明したが、彼女は私が洗うから?と言って、カップをどうしても持って行こうと凄い力で抵抗していた。
カテリーナが説明すると、どうやら理解したみたいで、彼女にも飲んで見て貰ったらと言っていたが、彼女はゲラゲラ笑っていた。
山の果実園で収穫したリンゴやプラムを凄い量を持って帰れと言われても、冷蔵庫に入らないので、下に住んでいるイギリス人のジョン家族にあげた。
そうこうしていると、映画祭の前にジャズがあるから、またまた友人から電話。
行く予定はなかったけど、リンゴも沢山あったので、おすそ分けを兼ねて行く事にした。
やっぱりキプロス人の友人は時間通りに現れず、30分ほどビールを飲みながら待っていたら、新しいベンツで現れた。
主催の会計士を担当しているので、顔が知れているのか、ジャズ演奏が一番見やすい場所に席を取ってくれた。
ビールを飲みながら、ハルミという溶けないチーズと血圧が高くなりそうな昔ながらのオリーブを食べながら、暗くなって来たので、場所移動をした。見る予定がなかったが、キプロスの機織主婦たちのドキュメンタリー映画だったので、とっても興味を惹かれたので、席を確保、映画を撮るのに調査期間7年間、そして、映画を撮っても良いと許可を貰ったので、2年前に撮ったらしい。
機織の主婦たちも平均年齢80歳プラスでしわしわのおばあちゃんたちだった。
12歳ごろから織り始めてから、今まで止めずに織り続けている姿を綴っていた。
驚いたことに、材料のすべてを自分達で調達していた。
コットンの木を栽培して、コットンを摘み、近所の主婦たちで手分けして実とコットンを仕分けし、それを糸にしていたり、絹の糸の為に家で蚕を飼い、餌の好きなブラックベリーの葉っぱの為に、木を育て、ウールも羊を飼って、その羊の毛を海で洗っていた様子を今までやって来ていた。
歩くのがやっとらしいおばあちゃんたち二人でやる作業は二人の呼吸が合っていないと、糸が絡みあってしまうほど複雑な作業らしい。二人して歌を歌いながらぐるぐると10メートルのほどの場所を回っている作業を「テン・ネイル」と呼んでいるらしい。
機織の作業は肩も張るし、夜も遅くまで蝋燭の光で作業を続けてきたおばあちゃんたち、その間に子育てもして、家事もしながら、伝統芸を70年以上続けている姿は本当に感動的だった。
撮影の許可を貰えて撮影してくれた男性にも感謝だったが、もしかして、もうこの世にいないおばあちゃんたちにはもっと感謝だ。
少し離れた村だと、デザインが違うので、公開することでデザインが盗られる可能性あったそうだ。デザインもおばあちゃんたちの体で覚えているから、その場にいないとダメみたいだ。
義理母のカテリーナも体はあまり丈夫ではないが、今でも1ミリほどの糸で編み物をしている。かなり前に教えて貰ったがあまりにも難しいデザインなので断念したことがある。
伝統的な作品を作れる人たちが少しづついなくなっている。
機織のおあばちゃんたちも今では数えられるほどになってしまっている。
映画が終わると凄い喝采で拍手が終わらないほど、長い間続いた。
感動的な映画だった。
主役のおばあちゃんたちは若者に感動を与えた。
芸術とは。職人とは。生きるとは。人間性とは。魂が震え上がる感銘を受ける作品だった。
川の流れるような終わって欲しくない作品だった。
友人に感謝して、次の映画も見たい気はあったが、劇場をあとにした。
席を立つと、立ち見客が大勢いた。
4日間通っている人たちもいる様子だ。
今年は例年よりもお客さんの数が多すぎると言っていた。
野外劇場は無料な上に、最後まで見ている人にはパンやお酒、オードブルが提供される。
土曜日はキプロス産のぶどうで出来たお酒、ズバニヤを振舞った為に、みんな家に帰らずに、3時ごろまで飲みながら、映画の感想を討論していたそうだ。
映画の中に出てくる、おばあちゃんたちは作業を始める前に必ずしていた行為がありました。
十字を切っていました。つねにマリアさまと一緒にお仕事をしていたのでしょうか。
以前にもお話したことがある、ダ・ビンチもキプロスに来たときに、ある作品を見て感動を受けたようです。
長い文章をお読み頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。