故郷

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こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
実家には10月の連休ごろまで滞在する予定でいましたが、私の体力にも限界を感じたので、日程を変更して早めにキプロスに帰って来ました。
身体はガリガリな父でしたが、耳や目が悪くなっている為、さらに頑固な上に、注文が多く、買い物リストも細かく、さらには、重たい布団が欲しいなどと意味不明なことを言い始める始末でした。
2年間という歳月は父をさらに頑固にさせ、猜疑心も強くなったように思えます。
ご近所の方で毎朝、父のところへ行き、父の作ったご飯を食べる女性の方は何か持って行くとお金を父があげるので、自分のところでいらなくなった蛍光灯を新品だと言って、父のところに持って言って、父が「これは新品ではない!」というと、「おじさん、これ昨日買ったばかりだから新品だよ!」と言って、取り付けてくれて、父が「電気が点かない?」と訊ねると、「ちょっと、接触が悪いみたいだけだから。」と言っていたので、私が製造月日を見ると、なんと10年前の物で「これ!10年前のものだよ!」というと、「どうして分かるのか。」というので、「ここに年月日が表示してあるんだよ!」と教えると、裏切られたことに対してかなり嫌な気持ちになったようでした。
さらに財布の件なども「財布を買って来てあげたから、」と言って2000円で買って来たからと言うので、「領収書があれば2000円あげるから」と父がいうと、「領収書はなくしたから、あそこのデパートで買ったから、2000円」と言い、あげたようでした。
父から財布が欲しいというので、買って行きましたが、2000円の新品の財布に子供が縫ったような形跡があり、さらに黒い財布でしたが、グレーのガムテープが貼ってあったので、父に「自分でこんなことをしたの?」と聞くと、そんなことはしないというので、家にあったものを父に買って来たと言えば、いくらかお金が貰えると思ったようです。
彼女が働いている会社も仕事があまりないので、定年までに会社が持つかどうか分からないから、ヘルパーになろうと思うと言っていました。
父は耳が難聴なので、父の場合は思ったことや伝言はすべてメモ帳や雑記帳を作り、細かいことまでも書いてありました。
父がお金をあげなければ、きっと寄り付きはしないでしょう。
私が居る間は、あまり姿を見ませんでした。
今までは笑うことが多かった父が2年間でさらに悪い方向へ変貌したのにはショックでした。
私が座っただけで、「お前は同じことを言う」「お前はやくざみたいな人間だ!」とか、急に怒り始めたりして、家にいると、誰かから電話が掛かって来る上に、突然の来客もあり、その度に「お〜い、電話!」「誰か来た!」とか、ゆっくり出来ない上に、「お前に帰って来いなど頼んだ覚えはない!」などと言われて、悲しい誕生日を迎えました。
いくら親子と言え、優しい言葉を掛けて貰うこともなく、姪っ子が子宮癌で手術をして入院していたので、お見舞いに行ったり、退院したのでお見舞いに行ったりして、さらには、ごみ屋敷になっている兄のところに姪っ子が退院したら帰って来るけど、子守とお金の援助とさらには、掃除を手伝いに来いと命令されたときには、お金の援助をした私が掃除と子守もする為にキプロスから帰ったのではないので、どちらの家に居ても、地獄界のように感じました。
政権が変わったときに日本にいましたが、ミカさんご夫婦からご丁寧にとっても美味しいチーズケーキを誕生日に合わせて届けて頂き、ありがとうございます。
長い間、ネット環境がなかった為に音信不通になってしまい、ご迷惑をお掛け致しました。
久しぶりの日本の感想を色々な人に聞かれました。
印象としては、「昭和」のイメージ。
通信機や電気関係、さらにエコカーは発展しているように見えましたが、戦後の日本のエネルギーを感じました。
政治に関しても、新総理はアメリカからの自立と主張していますが、欧州とこれから仲良くするとなると、EU加盟国自体がひとつの国ですから、外交をどのようにして行くのか。貧富の差の多いアジアと友好関係に持って行こうとするのであれば、相手国もある程度経済的に余裕がないのであれば、援助ばかりで借金が減るのでしょうか。
ダム建設中止の案もありますが、最初にあんな莫大なお金を掛けてダム建設しようとした事態が問題だったのではないでしょうか。
建設業界も悪化状態らしい様子ですね。
実家に滞在中に不思議な女性や家族を見かけました。
シルバーカーのような乳母車に寝袋やどこかで拾った得体の知れない物を押している20代から30代の女性は地元の人ではないでしょう。
住む家もないかも知れないホームレスさんかも知れないと思えました。
福祉に力を入れて行くならば、頼ることが出来ない人には仮説住宅さらに生活保護も出してあげた方が良いと思えます。
家族と言うだけで、身内が出来ないこともあると思いますので、若い人が放浪しなくて良い、明るい国になって欲しいと願います。
参議員選挙もありますから、どのようになって行くのか。
今後、国民の声も反映して欲しいと願います。
家族の事では疲れましたが、一人ぶらぶらと瀬戸内の幸を食べ歩きました。
温泉にも一人で行き、紅葉に変わり始める秋の景色を見ながら、露天風呂に浸かりました。
肉体的、精神的にも余裕があれば、東京へも足を運んで見たかったので、ちょっと残念でした。
ひとつ楽しかった出来事は父に頼まれて行ったスーパーで後ろから私を呼ぶ声があったので、小中学生の同級生と立ち話を5分ぐらいして、8月に40人ぐらい集まったという話を聞いて、そうだったの?と、言って「またね!」と言って別れて、次の日に人数は少ないけど、参加出来る?と言うので、「もちろん、参加したいと思うけど・・・、参加者の人たちは誰?」と訊ねると、かなり虐められたメンバーでしたが、参加することにしました。
中学校以来会っていない人達も多く、お顔を見ても「???」でした。名前を聞いて、さらに仰天でした。変わっていない人もいれば、オヤジになっている人もいるけど、不思議なことに声は同じ。3次会まで行き、お腹が捩れるほど笑いました。
今回の日本は涙あり、笑いありでした。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。