星に願いを込めて

私たちは生かされています。 寿命が来るまで生かされているのです。
死を迎えるときは、どんな職業の人でさえも、平等に訪れます。
この世で有名人であった人でさえも、死を迎えるときは平等に訪れます。
この世が仮の世界だと気づかないままで死んで行く人は、地上での生活での未練が残り、お迎えが来ても、霊界へ辿り着くことなく、未浄化霊として地球上へ送られて来る霊界からのメッセージを変換して、ネガティブな波動を送る魂達もいれば、死んだことさえも気づかずに、自分に似た波動や想念の人の身体に入り込もうと懸命に不運を招くような出来事やメッセージを送って来り、悪さを平気でしています。
生かされていることに、感謝出来る人は、人生観が変化することでしょう。
死の宣告を受けたり、事故で大怪我をしたり、ニアデスなどを経験した人は、生きることに貪欲です。そして、そういった人が
他人のために、生きようと心から願うことで、霊界にいらっしゃる魂団体も協力してくれるのです。
自然と感謝する気持ちが湧いてくるのです。
それこそが、「いまを大事に生きる」という人間らしい生き方なのです。
「いまを大事に生きる」ことができるのは、有難いことなのです。
幸せは「いま、ここ」なのです。
過去が幸せであろうと、それを自慢しても、「いま、ここ」で幸せでなければ無意味なのです。
私たちはすでに多くのものを受け取っています。
「いま、ここ」に感謝しながら生きることができないのに、未来に幸せを願っても空しい気持ちになることでしょう。
いつかときっとと思うよりも、「いま、ここ」を大事にすることです。
未来を意識し過ぎて、不安を抱えるよりも、気持ちを切り替えるだけで、幸せになれるのです。
前回のブログで書きましたが、「スピリチュアル症候群」
特別や自分の方が偉いという意識するのは、もうやめた方がよいでしょう。
特別視されたい、悟って聖人になりたい人もいらっしゃるのでしょうが、悟りとは人間らしく生きるお手本みたいなものではないでしょうか。
当たり前の生き方が出来て、悟りの一歩を理解できるのではないでしょうか。
感謝も出来ない人が、聖人になれるでしょうか。
新興宗教の教祖様になった人を見てみると、感謝出来ている人は少ないのではないでしょうか。
キリストや釈迦を超越するメシアが、この混沌とした時代で、我侭放題の人間達に何を言っても無駄でしょうし、メシアの存在を否定することでしょう。
私たちは自分の常識が正しいと思い込んでいるときもあるでしょう。
人間、特別視されればされるだけ、地に足が遠のいてしまいます。
自分で幸せを感じることが出来る人は、ごくありふれた存在だということに気づき、そして、それを評価せずに、素直に受け入れることです。
素直に自分という存在を感じることで、同時に自分という人間はとてつもないエネルギーを秘めていることに気づくことでしょう。
あるがままの自分の感情を受け入れて下さい。
すべての評価を一度、忘れて下さい。
あるがままに、ただ受け入れることに専念して下さい。
通信機能が劇的に進化しているために、自分の意見なのか、人様の意見なのか、本心が分からないまま、評価されつづけ、自分を見失わないようにしましょう。
評価基準が高ければ、高いだけ、自分はダメな人間だと思わないことです。
安心して、「あるがまま」を受け入れて下さい。
その「あるまがまま」こそが、「いま、ここ」「いまを大事に生きる」ことが出来るのです。
是非、いまある家族、いまある環境、いまある夫婦、いまある感謝の気持ちを大事にしながら、すでにあるものに感謝して下さい。
そうすることで、あなたが道に迷って、どちらを選択してよいか、困ったときに、必ず、愛のあるメッセージをお贈り下さることでしょう。
困ったり、悩んだりしないままでは、心が強くなりませんし、困ったりすることで、改善しようと願ったり、考えることで、いまよりも幸せになれるのです。
明日は七夕さま。
良い事を願って下さい。

『地球が平和でありますように、人類が仲良く、平和に暮らせますように!』



☆スピリチュアル症候群で使用させて頂いた画像は、私がTさんにお贈りしたスピリチュアル・ヒーリング・アートです。 Tさん、ありがとうございます。 ^−^



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