延命治療をするか否か

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
パフォスはここ数日ずっ〜と雨が降り続けていました。
しとしとと雨が降ることがないパフォスなので、お洗濯が出来ず、そして、寒い!
今日は久しぶりに雨が降っておらず、お天気なので溜め込んだ洗濯をしております。
先月、ニコシアの友人のお父さまがお亡くなりになり、お葬式に行って参りました。
今月になってすこし元気になった友人家族から「気晴らしにリマソールのホテルにお泊りするから、一緒に数泊しましょう。」とお招きを頂きました。
主人と相談して、1泊でもとっても高級なホテルなので、遠慮したのですが、どうしてもとリクエストを頂いたので、1泊だけすると約束して行きました。
お葬式から2週間ほど経っていたので、彼女自身、すこし落ち着いたようで、一緒に夕日を見ながら、海岸を歩いたり、お酒を飲んだり、フランス料理を食べたり、水着を持参しないかったのですが、スパ施設を覗いたら、入りたくなったので、水着を買い、御曹司君と一緒にダラダラと温泉気分に浸かっていました。
素敵な時間を過ごし、週末に実家の父に連絡を入れたのですが、数回電話をしても父が電話に出ず、心配になったのでご近所の方に様子を見て頂きました。
「いま、お父さん、起きたみたいだから、連絡してあげて」とご近所さんの携帯電話からメールを受け取り、父に電話すると、
「寒いし、しんどいし・・・」という事で、横になっていたようです。
週明けにソーシャル・ワーカーさんにメールを私から入れ、主治医と会う予約は来月の中旬らしいが、早めに予約を変更出来ないのか尋ねたところ、主治医と確認してみるということで、予約を早めて頂いた矢先、胸騒ぎがしたので、眠れず、連絡を入れようと思って起きてメールチェックをしたら、父が緊急入院をしたということで、主治医に連絡を入れて欲しいと言われたので、すぐに連絡を入れましたが、看護婦さんから、「先生の電源が切れているので、明日にして欲しい」と言われ、また、眠れない夜を向かえ、主治医の先生と連絡が取れました。
父の容態の説明がある程度終わった後に「延命治療しますか?」と尋ねられました。
「兄と同意して、延命治療はしないと、決めています。」と答えのですが、なぜか、何回も本当に延命治療をしないのか?と問われ、だんだんと気持ちが延命治療しないといけない感じに思えて来ました。
ただ、父の場合は延命治療を受けたからといって元気になることはないと仰られ、胃ろう手術も難しいであろうと告げられました。
主治医の先生に「父に意識があるなら、父にどうして欲しいか聞いて下さい。」と尋ねて下さい。と言うと、「それは、お父さんにもうすぐ死にますよ。と宣告するのと同じだから、出来かねません。」と仰られ、「でも、本人が延命治療を受けたいと願うのであれば、父の意思を尊重します。父の命ですから・・・。でも、父は口から物が食べれなくなってしまった状態で、さらに、もしも、体力が多少良くなり、胃ろう手術をして、寝たきり状態を喜ぶ人ではないと思います。」と告げると、「判りました」と怒った口調で言われました。
延命治療をしないことが悪い人間のように、感じられました。
5年以上前に2度目の胃がんの手術をする前に、他の病院の先生には「あと、3ヶ月生きれば良いでしょう。」と言われ、病院を移転し、今に至っています。
父も数えで85歳です。
身長が172センチで体重が40キロあるかないかと入院する前に本人確認で言っていました。
9月頃まで、杖をついて歩いたり、畑仕事もしていると聞いていました。
ただ、近所に住んで絶縁状態になっていた兄夫婦が隣の町に引っ越して行ってから、急に元気がなくなり、父と兄の因縁関係はこの世に生を齎したときから始まっているので、父も兄がどうしているのか本当は気になるが、憎愛という何か深い部分で父は生き続けていた感じがします。
兄に父の件を告げると、「会いたくもないし、病院に行って顔を見るのもしたくない。」と言っていましたが、「病院に行って来た。」と言うので、話を聞いた次の日。
何か元気になった様子らしい。
元気といっても、意識が戻ったという意味で、普通の生活ができることは不可能な様子です。
胃がんで胃もないので、胃ろう手術をすることも出来ません。
また、体力が父の場合はないので、手術をしている間に死んでしまう可能性があります。
一昔であれば、自宅で食事が出来なくなったら、ゆっくりと柔らかい物、重湯、お水という感じで、新生児の逆のパターンであの世に帰る準備が出来ていることでしょう。
父の世代は幸せだと思います。
まだ、見取る人もいますから、私が父と同じぐらい生きたとして、家族に見送れることはないでしょう。
死の準備もある程度、自己責任という時代になっているかも知れません。
「平穏死」が善いか、悪いか。と聞かれると、それはその家族が決めれば良いでしょう。
ただ、食べるのが大好きだった父にとっては二度の胃がん手術でどんどん胃が小さくなり、それでも、食べ物の話をするのが好きでした。
戦時中に成長期を迎えたが食べれなかった思い、戦後、闇市で食べ物を購入していた時代、そして、食の飽和状態を向かえ、食べたい物を食べ、一時期は今の体重の2倍あったと若いころの写真を見せられると別人のようです。
身近な人の死を二度、私は経験していますが、やっぱり、死は寂しいものです。
霊界に帰る時期が来ている人を人間が作り出した機械で縛り付けて置くことが父の為になるならば、それはそれで良いと思います。
しかし、本人の意思ではなく、家族の意見が重要視されるのであれば、精一杯生きた父はゆっくりとお迎えが来るまで、自然の流れで寿命を全うして欲しいと願います。
さて、心の準備が出来るまで、「危篤」と言われていない父に会いに行くことを悩みました。
主人とも話し合い、意識があるうちに会い、父に会いに日本に帰り、容態が安定すれば一度、キプロスに帰り、様子を伺い、また、日本に帰ることも出来ると決断しました。
いつも急なため、バタバタと一時帰国を致します。
1ヶ月ほど、音信不通になる可能性があります。
ちょっと、帰ってみないと分かりません。
金曜日までの鑑定予約を入れておりますが、その後はすべての業務をお休みします。
年末年始で本来なら来年のメール鑑定もご予約する予定でしたが、田舎の父宅にはインターネット回線などなく、田舎にはインターネットカフェらしいものもないので、更新出来ません。
クリスマスまでには、どのような状況になっているのか報告できればと思っています。
寒いのが苦手な私には、生まれた故郷と言っても、慣れるまでにすこし時間が掛かりそうです。
突然ですが、よろしくお願い致します。
ありがとうございます。
カズコ
合掌
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