お別れの日まで  死を迎える日

11月11日に救急車で運ばれてから、お別れの日まで短い間でしたが、2つの病院を体験させて頂きました。
最新医療を施した病院に入院していた際、24時間体制で父の面倒を見て下さいました。
看護婦さん、看護士さん方も、一生懸命に父の面倒を見て下さいました。
転移する際にも、多くの看護婦さん達に、父にお声をかけて下さいました。
出来れば、その病院にそのままいさせて頂きたいと思いましたが、救急患者がひっきりなしに救急で運ばれ、手術をして入院する病院なため、病気ではない父を長期入院させることは出来ない状況で新たな受け入れ先が決まり次第、転移することになりました。
看護学生の男子の彼は本当に父に接するごとく、優しい言葉をかけて下さり、救急車に父と私が乗り、悲しいそうな目でお見送りをして頂きました。
私にとっても、その日は思い出深い日となりました。
ただ、人はこの世で最後の最後まで、最後の瞬間にでも人との出会いがあることに感謝しました。
誤嚥肺炎で高度な栄養失調なため、いつ、死んでもおかしくない状態で、転移した病院で父はいつも口をもぐもぐさせていました。
床ずれで体が痛い上に、手も足も腫れて痛みと戦う姿を見る度に、足を摩って、すこし楽になったのか、眠り始め、霊界に行ったり、父が生き、住んだ場所に行ったりしていたのか、「いま、京都に行ってXX(父の弟)の所へ、行って来たよ。」と言ったり、私が「誰か来た?」と聞くと、「まだ、誰も来ない」との返答でした。
眠っている時間が増えて来ました。
目も目やにだらけで、私が拭こうとすると「痛い!」と言って嫌がっていました。
転移する前の病院では、いつも体を拭いて下さったり、ひげも毎日剃って頂いていました。
父は毎日ひげを剃る人だったので、電気カミソリも入院の際に持って行っていました。
転移先の病院はひげが伸びても放置状態だったので、私も気兼ねして言いませんでしたが、これはひどいと思い、髭剃りを頼んだら、返事はして下さったのですが、次の日も、数日経ってもひげは伸び放題でした。
看護婦さんに頼んでお願いして、次の日に適当にした感じでした。
お父さんに「ごめんね。」と言うと、片目をすこし開いて「何?聞こえん!」と返答が返って来ました。
寝たきりの状態で点滴だけでも人には寿命があるのでしょう。
何度も急変し、心の準備をして行きましたが、お医者さまから「安定しました。」と言われて、胸が押し付けられる痛みと涙が目から溢れて来て、覚悟はしていても、やっぱり、死と向き合うのは悲しかったです。
日本滞在を1ヶ月間として、飛行機のチケットを購入していたので、変更するか、そのまま、キプロスに一度帰国するか、悩みました。
年末に差し掛かっていたので、チケットの変更もいつもよりも3倍高い値段で変更することになるので、どうしようかと悩み、キプロスに帰ってもこの状態だとまたいつ日本にトンボ帰りになるのか分かりませんでした。
主人と相談して、「キプロスに帰っても落ち着かないかも知れないので、延長しようと思うけど、あなたは有給が取れるのか?」と訊ねると、「たぶん、取れるけど、クリスマス前は無理だから、それ以降になるけど、調整して貰うね。」と電話で話したときに言われ、「取りあえず、私の日にち変更を先にしておいてね。」と頼み、すこし日本に長く滞在することで焦りが減りました。
実家の側に長年いた兄が10月に隣の市に引っ越して行ってから、父は使命が終わったかのように、急激に体が弱ったようでした。
実家は寒く洗濯も手洗いだったので、「お前用に新しい布団も揃えたし、こっちから病院に通った方が良いのでは・・・」と提案されましたが、兄宅はとても心地良いのですが、私自身一人の時間も持ちたい気分のときもあるので、ときどき、兄宅に泊まりに行っていましたが、行くと食べに行こうと言って私がすべてを支払うことになるので、高くなるので考えならが、行っていました。
行けば行ったで、色々と家族の話になり、私としては早く寝たいときもあるのですが、ダラダラと話していたら、気づくと午前12時が過ぎていました。
葬儀の事を話し合うと、兄は絶対に父の葬儀には参加しないときっぱりと言い切っていました。
兄曰く、「幼いころから酒癖の悪い父に何度殴られ、虐待されて育ったか数え切れない、恨みはあっても、愛しいとか何かして遣りたいとかも思わない。」と恨みの念が強いようでした。
そんな兄は義姉の父親が入院したり、老人ホームに入るにあたって市役所に行ったり、義理の父親の洗濯をしに行ったり、面倒を見ているようでした。
私がキプロスに帰った後、父が亡くなったら誰が喪主をするかと言う話になっても「ワシは絶対に葬式にも出ないし、お前が帰って来れない場合は、XX(姪っ子)にさせれば善いではないのか・・・。」と気持ちは難くに曲げれない様子でした。
そんな兄の気持ちを父は知ることなく・・・。
久しぶりに一人寂しいクリスマスを向かえ、その日は日曜日だったので、主人と話をした後に、体力的にもゆっくりしたいので、父の顔を見に行かなかった唯一の日でした。
兄には「お前が病院に毎日行っている間はあいつは死にはしないだろう、それにお前が行けば、ヒーリングしに行っているようなものだからな・・・。」と何度も言われていました。
主人を年末年始呼び寄せるため、私の田舎に空港から来れるか、どの経路で来ると一番安心かなども考えたり、大晦日に父宅では寂しいものがあるから、その日はホテルを取ろうとしても満室状態。
インターネット回線が繋がっていないので、電話帳とにらめっこして、主人が来たら除夜の鐘も撞きたいだろうと思い、色々と考えたり、電話をしたりバタバタしていました。
唯一の楽しみは湯船に浸かる寝る前でした。
12月26日 月曜日
バスの時間に合わせて、朝から掃除をしたり、洗濯したりしたら、早起きの兄から電話が掛かり、「病院、何時に行んか?」と聞かれたので、「10時6分のバスで行くけど?」と私が答えると、「じゃ〜、迎えに行ってやるから、待っとけ!」と言われ、すこし考えたが「10時には迎えに来てね。」と言って電話を切った。
直行で父のいる病院に行ってくれるのかと思いきや、何やら買い物をしたいらしく、色々と色んな場所に移動・・・。
お正月も近いので、買い物したい様子。
「Mが来たときには、どうする予定にするのか決めたのか?」と聞かれたが、「大晦日と、来年に京都に4泊する予定でホテルは
取ったけど、あとは、未定にしている」と話しながら、「ふ〜ん」と兄に何か計画があるのか、ただ、聞きたかっただけなのか?と思いつつ、「ねぇ〜、病院に行かなきゃいけないだけど・・・。」と言うと、「昼飯一緒に食べて行けば?」と言われ、「何か食べたい物があるんか?」と聞かれて、「普通のカレーが食べたい。」と私。帰国してから一度もカレーを食べてなく、
なぜ、カレーが食べたかったのか分からないが普通のカレーが食べたかった。
意外と普通のカレーが食べれる場所がなく、車でうろうろ、食に拘りがありすぎる兄と食事をすると、探し始めて食べるまで、時間が掛かるから、途中で「カレーじゃなくてもいいから、何でも良いから、適当にファミレスで良いよ〜。」と私も途中イライラし始めたので、ファミレスへ行くと混んでいるので待つから兄は嫌らしかった。
私も「もう〜、何でも良いよ!本当に!12時30分過ぎているし。」と怒った口調で言っていたら、「分かった、じゃ〜」と言いながら、なぜか車で40分もかけて地元付近に帰って来ていた。
兄と義理姉はカレー以外のエビフライ定食、日替わりランチに義理姉は拘りがあるのか、いつもどこに行っても昼間は日替わりランチを注文していた。
私はカレーライスとサラダを注文して食べ終わった。
喫煙家の兄はすでに外でタバコを吸って待っていた。
レストランを後にして、「駅辺りでいいから降ろしてくれたらいいよ。」と私が言うと兄が「うん、分かった。」と返事した後に、プルプルと兄の携帯に電話が入った。
運転中だったので、姉が電話に出ると病院からだった。
「お父さんが、急変しました。すぐに病院に来てください」と言うので、義理姉が「妹がいますので、変わります。」と私に代わり、「はい。行きます。」と返事をして、兄の所に電話が行くということは?「ねぇ、別に他の用事がないなら、病院に行ってくれる?」と兄に言うと「分かった。」と返事をして、病院に到着した。
面会者がその時間は多かったので、病院の駐車場は止めるとろこがなかったので、「病室に上がるから、待ってて・・・。」と
私はせわしなく病室に向かった。
おとといまでいたベットが病室になかった・・・。
個室に移されていた。
お医者さんと看護婦さんが移動した個室に案内してくれた。
目が開けれなかった父の目が半開きに開き、口がぽっかり開いていた。
すでに亡くなってからの連絡だった。
一日会わなくて、ここまでやせ細るものかと驚いた。
兄が下で待っているので、下に降り、「お父さん、亡くなってしまった。」と告げると「一緒に来て」と言うと、「なんで、ワシが行かんと行かんのか〜。」と物々と文句を言っていたが、「いま、ここにいるんだし。」と言うと、しぶしぶと靴を脱ぎながら個室に行き、お医者さんが「最後の診断になります。」と脈を計ったり、小型の懐中電灯で父の目に光をあてていた。
「ご臨終です。ご愁傷様です。」とお医者さまが言い、看護婦さんから私たちに「最後にお一人ずつ、お父さんのお顔を拭いて差し上げて下さい。」と温かいタオルを渡され、私が最初に拭き、兄が拭くときに「ここまで、やせ細るまで、よ〜う、頑張ったな、おやじ・・・。」と言いながら、拭いていた。
その後、私はバタバタと葬儀の手配をするにあたり、27日が友引になるので、28日に葬儀をすることになった。
葬儀の場所に行かなければならないので、兄にお願いして葬式にも参加することを検討して貰ったが、「ワシは絶対に出ない・・・。」と声を張り上げて、言っていた。
続く
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